Living Legendの証言


☆地味頁さん

ZEPPは私の青春そのものでした。
初来日公演は武道館に2日行き、果ては大阪まで行きました。
1977年には仕事でLAにいましたが、NYとLAのライブに行ったものです

初来日公演の武道館は初日と二日目で大阪も二日でした。
確か大阪の後の日は4時間以上のライブになった記憶があります。

1977年のNYは急遽仕事でLAからNYに飛び、慌ててダフ屋からチケットを買いMSGに入ったのですが、ちょっと何日かもう記憶がないんですよ。申し訳ありません。
LA公演は初日でしたね。これはしっかり覚えています。

NYとLA、どちらも強烈な印象が残っております。
いや何と言うか1977年のライブは音が凄いんですよ。
初来日公演も音が凄いのですが、その質感が変わっていたのです。
あと77年はジミーのカリスマ性が凄いのに驚きました。
ギター・プレイは初来日のときより粗い印象がありましたが、とにかくもうそんなの関係なし。
バンド全体がスパークし、大袈裟な表現ですが(笑)小宇宙が現れていました。
そうそう今思い出しましたが、私は77年の双方のライブをステージ近くで観たのですがLAでのジミーの衣装のズボンは芥子の花と龍があしらわれていましたが、NYはちょっと違いましたね。

NY公演「IN MY TIME OF DYING」。
あのジミーのスライド・ギターとバンドの一体感はもう鳥肌ものでしたよ。

何分34年前の記憶なので、もう曖昧ですが思い出したらまた書きますね。

娘と息子もZEPPファンなのですが、特に娘がJIMMY PAGEフリークで、77年MSG公演のジミーのズボンの件でアヤをつけられました(笑)。
「もう、お父さん、MSG初日よ!ジミーは芥子の花と龍をあしらったパンツをはいていたんじゃないの?!」
私は「うーん、かなり前で観たんだけれど、照明が暗くてなー。“アキレス”やアンコールは明るかったんだが、もう感激しまくりでさ。そうかも知れないな。芥子と龍だったかも知れない」と言う会話をしました(汗)。

それでNYで思い出したのですが、翌朝、ホテルでモーニングを食べながらNYタイムスを読んでいたら、ZEPPのライブ評が載っていて大絶賛されていたのですが、多分、初日でしたね。音源を聴いて「永遠の詩」でのロバートの声、「ノー・クオーター」の演奏から、そう思いました。

とにかく凄いんですよ。
NYでも凄かったのですが、LAがまた尋常じゃない凄さ。

LAではボーナムのドラムが暴れ回り、バンドの演奏が崩壊するか?という極地点での演奏でした。
よくジミーもジョンジーも付いていったな、という感じです。
と、言うよりもよく思い出せば、ジミーも相当乗りまくって異常なハイテンションぶりでしたよ。
きんどーちゃんさんの叔父様でしたか?音が微動だにせず、音が物質化してそこに在るような感じ、と言われたのは。
いや、正しくそういう感じなんですね。本当にそうだと思います。
あと、ジミーとロバートがアイコンタクトをしょっちゅうやるのですが、それがカッコいい。

私は初来日の大阪4時間ライブも強烈な印象をもっていますが、うーん、77年のNYとLAの方が凄かったと言い切れます。

NYもLAも「永遠の詩」でジミーが激しくWネック・ギターを弾きまくり、バンド全体が音の塊を聴衆にぶつけてくるんですよ。
「カシミール」は雄壮な演奏で、「アキレス」でのスパークぶりはとにかく凄い、としか言いようがないのです。
「天国への階段」までバンド全体のパワーがとんでもなく凄いんですよ。

娘と息子にもっと具体的な感想を言え、と言われるのですが、「いや、とにかく凄いんだよ・・・・」としか言えないのです。

あとアメリカ人の社員で、場所は忘れましたが、全米ツアーの最後になった2日間のスタジアム公演まで行った人がいますね。
あ、また思い出した。これは日本人社員で同僚ですがシカゴまで行ってライブを観た(聴いた)者もいます。ジミーがナチの軍服を着た時のライブだそうです。


佐藤宣彦さんという
http://www.addamstown.net/~nov/
ご本人に伺いましたところ、以下のような返事が返ってきましたので、そのまま掲載させていただきます。

「 SaturdayとはPrivateなClubで毎週土曜日だけオーナーの知人、仕事仲間?等を集め開いていたPartyでした。(料金Free)

大学1年生だった僕がやっていたBANDは SpanishHaremNight 。

大学の先輩がオーナーという関係でそこで演奏をする様になり、ある日知人の女性から『祇園のある店にZEPが来ているんだけれど、そっちに連れて行っていい?』とTelが有りました。
もちろんO.K.。 懐かしいですね。
1時間弱JAMって、1時間近く一緒に話し、飲んだ覚えが有ります。
もちろんサインを頂きました。
其の時の写真が雑誌に載っていた記憶が有ります。たしかPinkのT.Shirtを着てたな。(Shinko出版?) 手に入れたいんですが。
という事で、この都市伝説は真実でした。」


☆きんどーちゃん

ネブワース:
 ロンドン在住の商社マンである叔父にチケットを取ってもらい、単身でイギリスに行き、その息子(従兄)と1979年8/4と8/11のライブを体験しました。私は中学2年生でした。
ネブワース・ライブに関しては、ブート音源、ブートDVDを見聴きして批判するZEPPファンが多いのが事実です。
しかし、私は(8/11はともかく、汗)8/4はその場で体験した者にしか解らないLED ZEPPELINの世界があったと断言します。
とにかく約20万人(15万人?)近くが集まった為、もう異常な暑さでした。その暑さの為、前座のキース・リチャーズ&ロン・ウッドのニュー・バーバリアンズのライブも楽しめませんでした。
ところがその後場内が暗くなり「ZEPPELIN」コールが沸き立ち、オープニングの「永遠の詩」が始まるや否や、私は驚愕しました。音が物質化しそこにあるような、また音が微動だにせず音が存在する感じなのです。この「永遠の詩」と続く「祭典の日」は03年発売の「DVD」に収めてほしかったです(涙)。
とにかくジョン・ボーナムのドラムが凄い!それとユニゾンでベースを弾くジョン・ポール・ジョーンズのプレイも素晴らしいのです。
そのリズム・セクションをバックにジミー・ペイジが我の強いギターを弾きまくり、ロバート・プラントが歌うのですが、絶対無比のZEPPワールドが展開されました。
多少ギターがつっかえているな、という感じも受けましたが、「貴方を愛し続けて」「ノー・クオーター」も良く、「テン・イヤーズ・ゴーン」は最高でした(この曲も「DVD」に収めてほしかったです)。「カシミール」は荘厳の一言で、こんなにスケールの大きな曲だったのか、と驚いたのを鮮明に覚えています。
そして圧巻だったのは「アキレス・ラスト・スタンド」。もう4人が一体になって音のプレゼンスを聴衆に叩き付けてくるのですが、とんでもなく素晴らしい演奏でした。
「天国への階段」のギター・ソロは短めでそれが少々残念でしたが、まあそう思うのは贅沢と言うものです。
当時はロンドン・パンクが吹き荒れ、ニュー・ウェイブが台頭してきた時代でしたが、それでもLED ZEPPELINは唯一無比のロック・バンドであることを証明したライブでした。

本当に今思い出してもあのライブ、特に「アキレス・ラスト・スタンド」の演奏は何だったんだ?と思います。
私はそれまで77年のエアロスミス、キッス、78年のクラプトン、ジェフ・ベック&スタンリー・クラーク、デビッド・ボウイの来日公演に行き、またその後も様々なライブに行きましたが、あの時のZEPPの凄さを超えるライブには出会っていません。
ECもJEFF BECKも78年以来、ストーンズは90年以来今日まで来日公演は皆勤賞ですが(エアロも皆勤賞に近い)、常に進化するJEFF BECKは素晴らしいのですが、本当に79年8/4のZEPPを超えるライブは経験していません。
理由はやはりバンドのメンバーの化学反応でしょうね。1+1+1+1=4ではなく10になるのです。

8/4に叔父の住まいに帰宅したら本物の58年製レスポールをただで譲ってもらいました!自分の息子には59年製レスポールを譲りました。
余談ですが77年のエアロスミス、78年のボウイのライブも凄かったですよ。ECのベスト・ライブは93年、BECKのベスト・ライブは今年4月か昨年2月のライブにします。

☆きんどーちゃんの叔父様

71年日本編 :
私の叔父は1935(昭和10)年生まれで71年には36歳でした。
叔父は大のジャズ・ファンで家でジャズのレコードを聴くだけでなく、よくジャズ喫茶に足を運んだ模様です。
すると「あれは俺が確か34歳の頃だから69年かな」と言うところから思い出話が始まりました。
何と何軒ものジャズ喫茶でLED ZEPPELINのレコードがかけられていたそうです。
「ロックは下手クソ」と思い、ロックに無関心な叔父でしたが、ZEPPのレコードを耳にすると「このドラマーとベーシストは本当に上手い、ギターもボーカルもかなりいいな」と若者が好きなZEPPに関心をもったようです。レコードを買うまでは行きませんでしたが。
ところが71年に叔父は某商社で課長職に就いていたのですが、部下の若者が酒席で「今度、LED ZEPPELINが来日するのでコンサートに行きます」と言い、叔父は好奇心から自分の分のチケットも取ってくれ、となり2日ぶんのチケットを入手したそうです。
「あれは9月だったな、何日かまでは覚えていないが。
その部下と日本武道館に行ったんだよ。席は前から8列目だったことを覚えている。周囲を見渡すと長髪の若者が多く、ヒッピー風情の奴が堂々とアンパンをしていたりするんだよ(笑)。
それで場内が暗くなったら若い連中が嬌声を上げ始めたんだ。
何か司会者がアナウンスをしたんだ。
その直後、2、3、4!と言う声が聞こえたかと思うと、とんでもない爆音がPAスピーカーから炸裂したんだよ。
髭面のギタリストがサイドステップを切りながらギターを弾き、ボーカリストが甲高い雄叫びを上げたんだ。
とにかくドラムの音がデカくて一瞬で耳をやられた(笑)。
もうジョン・コルトレーンとかのライブとは違うんだ。
何て言うんだろう。音の塊が武道館内に留まっているという感じ。1曲目でギターの弦が切れたようで、弦の張り替えをその場でやっているんだよ、多分ローディーだと思うんだがね。その間、周囲を見ると若い奴等までが、信じられないものを聴いた、という感じでいたんだ(笑)。
ただ俺は直感的に物凄い体験をしにここに来たんだ、と言う確信をもったよ。
2曲目以降が進むとベーシストがキーボードに替えたりしたんだが、とにかくドラマーのバスドラ、スネア、ハイハットのコンビネーションが凄いんだ。またベーシストも凄く上手い。ロックのリズムセクションにも凄い奴等がいるんだということを知ったよ。
ギタリストはレコード以上に目茶苦茶上手いじゃないか。ボーカルもレコード以上にテンションが高い。そう思ったよ。
そして驚いたのはギタリストがバイオリンの弓でギターの弦を弾いたこと。それが終わった後のギターの速弾きも凄かったな。
あと、その曲が終わった後、何とギタリストがネックが2本もついたギターを手にしたんで。あんなギター、初めて見たよ。
それでバラードなのかフォーク調なのか解らないが、静かな演奏から始まって、最後には激しいロックになったんだよ。驚いたな、あれには。
あとはなー、驚いたのはドラム・ソロ。あいつジャズ・ドラムの影響を受けているな、と直ぐにそう思ったよ。
ただ何故かジャズのライブと違い、ベース・ソロが無いんだよ(笑)。あれだけ上手いベーシストなのに勿体ないと思ったよ(笑)。
それでコンサートの終わり近くだった記憶があるんだが、全学連風の奴が前に飛び出し、消防隊の人間とモメてんだ(大笑)。それを見たボーカリストが怒ってさー(笑)。
ただ、とにかくね、音が流れるという感じではなく、音の巨大な塊が場内に存在する、そういう感じなんだよ。あとは、異常なまでのエネルギーの発散なんだよ。とんでもない体験だったなー・・・・。
2日目も行ったけれど、1日目より遙かに良い演奏だった記憶があるな。
そして9月末にZEPPELINのレコードを3枚買い、確か晩秋くらいに4枚目が出て買って聴いたよ。」

以上が昔、叔父から聞いたZEPP、71年初来日ライブの印象でした。

その叔父ですが、それ以後、大のZEPPファンになりました。メンバーの名前も覚えて(当たり前か)。
とにかく自宅ではジャズを頻繁に聴き、ZEPPも聴く、という感じだったそうです。「聖なる館」「フィジカル・グラフィティ」「プレゼンス」「永遠の詩」とアルバムが出るごとに購入したそうです。
ただ、本当にうらやましいのは絶頂期のJIMMYのギターを生で聴いた、と言うことです。
続く77年MSGライブで叔父は「日本における風評とは真逆の話」をしてくれました。明日、時間があれば書きます。
そうそう叔父はロンドン支社長職を終えて日本に帰国し、本社の要職に就いたのですが、96年2月に、その年に61歳になる叔父をペイジ/プラントの武道館ライブに連れて行きました。
叔父から譲り受けた58年製レスポールには、今日まで様々なエピソードがあります。


77年US編:
 そのZEPPファンになった叔父ですが74年4月にNY支社長を命ぜられ、家族ともどもNYに行きました。ローンで買ったJBLの最後期型ハーツフィールド、マッキントッシュのC22、MC275も一緒に。
叔父は75年のZEPP・NYライブのチケットを部下に取ってもらったそうですが、急にデトロイト出張が入り、行けなくて悔しい思いをしたそうです。
「そういう訳でさ、次のNYコンサートには必ず行こうと思ったんだ、今度は息子を連れてね。
77年の確か6月だった記憶があるな。ところがさ仕事が多忙で多忙で行けそうになく、チケットを取らなかったんだよ。
しかし自由の女神が味方してくれたのかな(笑)、NY公演の6月10日、夜、急に仕事がキャンセルになんだ。それで急遽、息子を連れてMSGに行ってダフ屋からチケットを買い、場内に入った訳だ。
そしたらさ、何と前から5列目で(笑)また耳が一発でやられるのかとビビッたよ(笑)。
で、場内が異様な雰囲気なんだよ。パーン、パーンという炸裂音がするんだ。何だ?と思ったら爆竹を上げている奴等が何人もいるんだよ。
そして場内が暗くなり暫く待たされたな。それから暗いんだけれどメンバーがステージに現れ、物凄い大歓声。肉食動物はすげーなー(大笑)。
そして1曲目が始まった。息子が“永遠の詩”だ!と叫んで、その直後、もう71年の日本武道館どころじゃないんだよ、音のデカさが!もうボーナムのドラミングが尋常じゃないんだ。また一発で耳をやられたよ。ペイジがサングラスをかけ白い衣装を着てWネックギターを激しく弾くんだ。
暫くして気がついたんだけれど、71年との大きな違いと言うのは、ペイジが派手なアクションをするようになっていたのはどうでもいいんだけれど(笑)、強烈なカリスマ性を身に付けたというのに驚いたね。
もう息子はすっげー、と何度も言っていたな。
ただ、確か“貴方を愛し続けて”辺りだったかな、耳が慣れてきていろいろキチンと音が聴けるようになると、プラントの声がもう高域が出ず、ペイジのギターもぞんざいなんだよ」
と、ここで私が「ジミーのギター・プレイの衰えに批判の声が高いんですよ、80年代から今日に至るまで」と口を挟むと、
「批判?そうなのか?日本ではそうだったのか?あー、そうか、海賊盤の類を聴いてそう判断しているのか?そりゃ、実際にライブを体験していない連中の発言だな。ペイジのギターがぞんざいなのなんて何一つ問題じゃないんだ。これはその場にいた人間にしか解らないことなんだよ」と語った。
私は「あ!俺のネブワース体験と同じだ!」と思った。
「とにかくな、すげー、の一言なんだよ。武道館でも音の塊が場内に存在するという感じだったが、それがもう何十倍もパワー・アップしていたんだ。
音の塊をメンバーが聴衆に叩き付けてくる、そんな感じだよ。
“ノー・クオーター”あとは“テン・イヤーズ・ゴーン”だったかな、それらの後にアコースティックものを演ったんだが、静かな曲でも、バンドがパワフルなんだよ。そうパワフル。最初の“永遠の詩”から一気にメーターがレッドゾーンに飛び込む、そんな武道館以上のパワフルさがコンサートの終わりまで続いたんだよ。もう71年の武道館以上にパワフル!音の塊が場内で微動だにせず存在しているんだよ。
そのバンドのパワフルさと巨大な音の塊が強調されていたのが、コンサートの終盤に演奏された“カシミール””アキレス最後の戦い”だったんだ。
もうね“天国への階段”まで異常にパワフル。
あれがLED ZEPPELINの完成型だったのかも知れないなー。
日本での評価がどうあれ、実際にライブを体験したものにしか解らないよ。
俺は71年の武道館ライブ以上に凄いと思ったよ」
と、叔父は締め括りました。


余談

71年武道館ライブの印象も77年MSGライブの印象も、96年2月にペイジ/プラントの武道館ライブの後、2人で日本酒を一杯やりながら寿司を食べつつ、叔父が話してくれたことです。
77年のライブ(まあ、メンバー4人の調子が良かった時だと思いますが、笑)が71年の武道館ライブ以上に凄かった、と言うのが新鮮に聞こえました。
80年代には77年、79年、80年のライブは日本で批判の対象になっていただけに私は嬉しかったです。あ、記憶違いでなければ、批判は90年代半ばまで続いたような・・・・。

とにかく80年代はJIMMY PAGE批判が凄かったんですよ。
雑誌のZEPP特集でもJIMMYの項になると「ギタリストを止めて、プロデューサーに専念した方がいい」と堂々と書かれていたのです。特に斎×節×、こいつは許せない!

私はZEPPのブートをレコードとCD、合わせて300枚くらいもっていますが、もう日本初来日公演の特に9/29は凄いと感激しました。
しかし、私が1番好きなのは77年なのです。
理由は全員の調子が良い時には、何か神がかった演奏になり、とんでもないパワー、オーラが音を通して感じるからです。
それを叔父が実際にライブを体験した者として、証言してくれた形になり、「ああ、やはり」と思いました。
JIMMYのギター・プレイがぞんざいだなんて本当に関係ないんですよ。
あの4人が揃って生まれ出ずるパワーとオーラ。そして音の塊。これがZEPPがロック史上、唯一無比な存在であることを表しています。

私はもう長年、数多いネブワース・ライブ批判者たちに「いや、違うんだ!あれはなー・・・・」と何度も何度も反論しました。追体験ですが77年ライブも同様ですね。

しかし、ネブワース・ライブに関しては、03年に「DVD」が発売され、一部ではあるものの映像・音源が収録され、溜飲が下がりました。
あとは77年ですね(笑)。ステージ上でビデオ撮影している写真が3点確認されていますので。3点ともROBERTのジャケットが異なるので、シアトル公演以外にも3回はビデオ録画されているはずです。

さて、私はと言えば79年に58年製レスポールを譲ってもらい、エレキ・ギターに開眼し、25歳ですから90年から今日まで、東北の片隅でZEPPのトリビュート・バンドを行っています。ただ、全国的には無名です(笑)。

私は4歳の頃からクラシック・ピアノとクラシック・ギターを習い、高校3年生の終わりまで続けていました。
そんな訳で、指が達者に動いてくれ、また絶対音感があるので、エレキ・ギターはJEFF BECKの「スキャッター・ブレイン」を除いては全て耳コピーで学習しました。

中学3年生時に「ブラック・マウンテン・サイド」をアコギでコピーしていると、「あ、このチューニングはD-A-D-G-A-Dか」と知り、また「あ、カシミールも同じだ」となり、それでプレイしていました。
ところがですよ。高校生になると、そのチューニングに関してJIMMY PAGEのファン同士、喧嘩になるのです。
理由はJIMMY PAGEのギターの譜面(出版されている楽譜ですね)と異なるからです。
私は「これは譜面が間違えてんだよ!」と何回主張したことか。
これは大学生になっても続きます。

だが、しかーし。90年にJIMMY御大が4枚組リマスターBOXセットのプロモで来日した際のインタビューで、その2曲のチューニングが「D-A-D-G-A-D」であることが明らかにされ、私は高校生、大学生の連中で連絡が取れる者たちに「ほーら見ろ!」と言いまくり溜飲を下げました。

私も大のJAZZ・ファンなので大学生時代に東京で見聞きした逸話を少々。
叔父が20代の頃には下北だけで約10軒近くのJAZZ喫茶があったそうです。しかし私が大学生の頃には3軒しかありませんでした。
それで過日閉店した下北のJAZZ喫茶(こう書けば解りますよね)のレコード棚にZEPPのIとUがあったのを覚えています。
またグレース・マーヤを発掘した有名JAZZ喫茶オーナーが新宿で一時期、MILES・DAVIS、JOHN・COLTRANE、SONNY・ROLLINS、HANK・MOBLEY、etc・・・・の合間にZEPPのIをたまにかけたそうです。
あとは吉祥寺でパラゴンでJAZZを鳴らしているお店でも一時期、Iをかけていたそうです。
あと、何かのZEPP本で「昔、一時期、ZEPPのIとUを鳴らすJAZZ喫茶もあった」と書かれていました。



☆遠い親戚・S氏のZEP体験記 

私の従姉の息子のお嫁さんのお爺さんが、大のZEPファンで、BBSにZEP体験記を書いてくれるように、改めて電話でお願いをしたのですが、恥ずかしい・代筆してくれ、と言われましたので、私が代筆します。

そのお爺さんは1946(昭和21)年に岩手県・一関に生まれて、東京の大学に進学したそうです。
「まあ、私がまだ学生だった頃は、3年生の頃から訳の分からない学生運動が盛んになったんだけど、ロックアウトなんて、まだなかったからね。まあ、真面目に学生をやっていたんだ。バンカラだったけれどもね(笑)。
音楽面に目を向けると、ジャズを聴いていたね。周りの連中もそうだった。レコードなんて買えないからさ、当然、ジャズ喫茶通い。あとは、クラシックを流す純喫茶にも通ったよね。
え? BEATLESの来日公演? いや、当時は全然興味がなかった。当時、ロックって言ったのかな、よく覚えていないが、私は当時、BEATLESなんて下手くそがやっているイギリスの歌謡曲という認知だったな。後で、『Abbey Road』を聴いて、考えを改めるんだけれどもね(笑)。
そして大学を出て就職をして(←私のZEP叔父のライバル商社)入社1年目の時だった。間違いないよ。仕事帰りに、シモキタのジャズ喫茶、“マサ×”に寄って一杯やりながらジャズを聴いていたんだ。そうしたら、突然、歌入りの曲がかかった訳。私は、何だ? と思い、他の客の様子を窺ったら、真剣に聴いている連中が多いんだよ。何か、凄まじいエレキ・ギターのソロが入った時には、のけぞったよね(笑)。そうしたら、今度は、今はアコギって呼ぶらしいけれども、アコギの曲で、曲が凄まじい展開をするのを聴いたんだ。歌は、もう雄叫びの部分があって。そうしたら、次はブルースと来た。私はね、直ぐにレコード担当の人の元へ行ったよ。そうしたら、ロックのLED ZEPPELINと言うグループのレコードだ、と教えられた訳さ。もう一発で虜になったよ。
そして、冬のボーナスと蓄えていた金で、月賦ながらオーディオを買って、欲しかったジャズのレコードを何枚も買う一方で、ZEPPELINのファーストも買ったって具合。ロックにも本当に上手い奴等がいるんだってことを知ったよ。

ああ、ゴメン、ゴメン。初来日公演だったよね。その時は、こいつ(←妻、お婆さん)との結婚を秋に控えた9月の武道館の2日目に行った訳。席はねー、アリーナの中央の後ろの方だった。だから、メンバーの姿も遠いんだが、“移民の歌”から始まって、もう大衝撃だったよ。ボーナムのドラムの音で耳がやられたんだから。後は、髭を蓄えたジミーがサイド・ステップを軽く切りながらギターを弾いていて・・・・・、そうそう、レコードと違って、最後にギター・ソロが入ったのに感心したよ。ジャズ・キチの私としては、やはりアドリブやインプロビゼーションが入らないと全然、面白くないからね。次は、“ハート・ブレイカー”だったね。それでね、遠くから見ていてもロバートはギリシャ神話に出てくるような神の様な(笑)感じで、ロバートが腕を上げるだけで黄色い歓声が場内にこだまするんだ(笑)。
ちょっと曲順とか記憶が曖昧だけれども、ジミーのギターなんて目茶苦茶、巧いじゃないか。ジョン・ポールのベースの音もキチンと聴きとれたが、達人だね。ロバートもハイテンション。だけど、ボーナムのドラムの音のばかデカさには参った(笑)。
やはり、コンサートってものはレコード通りじゃ、面白くないよね。アドリブやインプロが入って違う形になってこそ、面白いんじゃないか。まあ、私がジャズ・キチだから、余計、そう思うんだろうね。あ、そうそう。“幻惑されて”なんて、まさにそうじゃないか。とにかく、あの曲でのジミーはもう本当に凄かったよ。とにかくアドリブ、インプロを交えてギターを弾くんだが、とにかく巧い。
あと、来日公演の後で発売された4枚目のなかから、“天国への階段”を演奏したんだけれど、Wネック・ギターなんて初めて見たからね(笑)。
それに、アコースティックものも良かったなあ。
ああ、ゴメン、ゴメン。お酒の酔いで、思い出せない部分があるなあ。
とにかくね、後はアメリカでも経験することになるんだけど、あの4人が揃った時の、何て言うの? そうそう、カリスマ性。それが、とにかく凄いんだよ。

ああ、ROLLING STONES? 1990年? 行った、行った。高い金を払ったのに退屈だったね。キースなんて、よたって、まともにギター、弾けないし、あれじゃー、家でライブ・レコードか普通のレコードをオーディオで聴いていた方がいいよ。


そのお爺さん、ZEPの2度目の来日公演、武道館のチケットを会社を休んで取ったそうですが(鷹揚な時代だなー)、急なカナダ出張が入ったそうで、チケットを泣く泣く会社のZEPファンの後輩に譲ったとのこと。
後、昨日、書き忘れましたが、武道館で開演前に当たりを見ると、ヒッピーなのかフーテンなのか判らない長髪の若者が多く、少々ビビッたらしいのです。また、開演前にトイレに行ったら、微かなマリファナの臭いがしたそうな(笑)。
また、昨日、書き忘れましたが、お爺さんのSTONES評、キース評に私は、少なからずムッ! としました。自分がけなす分には差し支えないのですが、他人さまにけなされると、私はSTONES擁護派、キース擁護派に回るので、STONESとキースってムツカシイです。。。でも、STONESって、ジャズ・ファンに嫌われる傾向にあるのは、古今東西に同じ・・・・・・。

それで、そのお爺さんは1974年からLA支店に赴任。

「LAに赴任して翌年だったね。ZEPPELINが全米ツアーを行ったんだけれども、LA公演の日にちを見たら何と、東京の本社行き、帰国をするスケジュールだったの。それで、カリフォルニアのロングビーチ・アリーナのチケットを取ったんだ。日にちは3/12だったと思うな。娘の誕生日の近くだったから、多分、そうだと思うよ。

いや、会場に入ったら、客の歓声が物凄いんだ(笑)。開演前なのにあれだけ騒ぐのは、やはりアメリカ人だからだろうね。オープニングは“ロックン・ロール”だったね。ジミーの左指の骨折の報せを聞いていたから不安だったんだけれど、勢い凄かったよ。席は、またアリーナの中央の後ろくらい。でも、ボーナムのドラムで耳がやられた(笑)。2曲目は何だったかな・・・・。え? “シック・アゲイン”? ああ、そうだ、そうだ。何かね、ジミーとボーナムが飛ばしすぎ、と言った感じで好調だったな。ただ、耳が慣れてくると、ロバートの声が武道館の時より高くないんだが、それでも威厳のあるボーカルだったね。
とにかく、この日のライブは、来日公演より凄いと思ったよ。
曲順を忘れているけれども、“ノー・クオーター”が凄かったね。ジョン・ポールのキーボードからアドリブ演奏に入ったんだけど、3人のね、これが最高だったよ。あと、確か、『フィジカル・グラフィティ』が出てからのツアーで、『フィジカル・グラフィティ』からの曲が出色の出来映えだったことを覚えている。そう、そう。“死にかけて”、“トランプルド・アンダー・フット”、“カシミール”、とんでもなく凄かったよ。“カシミール”なんて、物凄く雄大でさあ。
“幻惑されて”も凄かったなあ。ただ、ジミーのギターが粗い印象を受けたけれども、何、そんなの全く問題じゃない」

ここで私は、多くのZEP体験者が語る、「音が流れず、音の塊が、或いは、音が物質化し、そこに在る」、と言う印象を持ったかどうかを訊いた。

「うん。正しく、その通りだね。音の塊がそこに在る、と言う感じなんだ。それは、武道館でも感じたんだが、武道館以上だったよね」

私は、(あー、やはり。俺のネブワース体験と同じなんだ)、と思いました。

「とにかく、この時はね、ロバートもジョン・ポールも凄かったんだが、ジミーとボーナムが凄かった。武道館以上に凄かった」

と言う言葉で、お爺さんの75年ライブ体験記は終わりました。
続いて、77年ライブなのですが、私の叔父同様に日本の風評とは真逆の話をしました。



さて、そのお爺さん、昼酒のピッチも弱くなり少々、酔い覚め気味になりました。
「それでね、77年のUSツアーは、LAの初日と4日目に行ったんだよ」
「ちょっと待って下さい! LA初日と言ったら『Listen to This,Eddie』と言う海賊盤で有名なライブで、ZEPファンの多くが、名演としているライブなんですよ!」、と、私。
「ああ、何でもそうらしいね。こいつ(←息子さん)がその海賊盤を買っているからね」
(え? 息子さん、ZEPファンなの?)、と、私は息子さんに目を向けたら、息子さんは穏やかな笑みを浮かべました。
(あっちゃ〜。初来日公演に、75年3/12に、『Listen to This,Eddie』かよ。え? LA、4日目って2回? マジ、うらやましー)、と私が思った時に、お爺さんは話を始めました。

「LA初日はね、席はアリーナの若干右よりで、それなりに前の方だったんだ。もう開演前から若者たちが嬌声を上げて、派手に爆竹を鳴らしているんだ。ちょっと、ビビッたけれどもね(笑)。
そして、“永遠の詩”から始まったんだが、もうボーナムがドラムを連打しまくりで、また耳を一発でやられた(笑)。ジミーが白いスーツを着て、Wネック・ギターを激しく弾いて、えらくカッコいいんだよ(笑)。
ロバートのボーカルが入った時だ。ひょっとしたら、俺はここで物凄い経験をするんじゃないか、と思ったんだ。
照明が暗めで、メンバーの姿がよく見えないんだけれど、却って、それが良かったのかな? 演奏に集中できたからね。
そうだ、そうだ。3曲目だ。思い出したよ。さっき君が言った、音が物質化し、音があたかもそこに在る様な印象を持ったよね。確か・・・・、そうそう、“俺の罪”。いやー、凄かったね!
メンバーの姿がよく見えないんだけれども、何て言うか、メンバーたち4人から発散されるオーラって言うか、カリスマ性がとんでもなく強烈なんだ。“貴方を愛し続けて”や・・・・・、あ、“ノー・クオーター”だった。その頃になると耳も慣れてきて、演奏がよく聞こえるようになったんだけれども、何て言うのかな、とにかくパワフルなんだよ! パワフル!
来日公演の時から思ったことだけれども、ZEPPELINと言うのは尋常じゃない、異常なまでにエネルギーを爆発させるグループなんだ。だけど、この日は、来日公演や75年以上なんだよ。もう、比べものにならないくらいに、エネルギーの爆発が物凄いんだ。アコースティックをやったけれども、そのアコースティックでも異常にパワフルなんだ!」

ここで、私が口を挟んだ。
「日本では、77年のライブにおいてジミー・ペイジのギター・プレイに」、と私が話したら、話している途中にお爺さんはニヤッと笑い、私の言葉を遮って、こう言いました。
「ギター・テクニックの衰え、だろう? それは、息子経由でいろいろ話を聞いているよ。
確かにさ、ジミーのギター・プレイはぞんざいだったな。だけど、そんなの何一つ問題じゃないんだ。ほら、MILES DAVISの場合、ペットのテクはお世辞にも上手いとは言えない。だけど、誰が、MILESを下手だと批判する? しないだろう? それがジミー・ペイジにも言えるんだよ。日本人だけだよ、ジミーを下手だと批判するのは。
あとね、君もネブワースに行ったから解っているだろうけれども、海賊盤を聴いてみてどう思う? 実際のコンサートの半分も伝わってこないじゃないか。海賊盤の類を聴いて、ジミーに関して知ったふりをする方が愚かなんだ」
(あ、俺のネブワース体験と全く同じだ・・・・・。ネブワースの海賊盤なんて1/3も伝わってこないぞ。YouTubeだって・・・・・)、と、私は思った。
「それで話を続けるとね、“カシミール”が本当に物凄くて、“アキレス最後の戦い”はより物凄かった。とんでもない、スペクタクルだよ! “天国への階段”もパワフルでさあ。
本当に物凄いコンサートだったよ。あんなのジャズのライブでも経験できないからね。

それに、4日目も良かった、物凄かったよ。ただ、ボーナムのドラムが初日に比べると大人し気味で、その分、パワフルさでは初日に軍配が上がるな。
そうは言っても、この4日目だって、来日公演や75年以上の演奏だった」

(結局、ライブは行ったが勝ち、か。ペイジ/プラントの来日公演だって、実際に行った時はとんでもなく良かったのに、後でその日のブートを聴いたら、実際のライブの半分もそのライブの素晴らしさが伝わってこないんだもんな)、と、私は思いました。

そして、余談が続きます。

「LA初日の翌日の夕方だったんだけれどね、仕事でタクシーを使った時のことだよ。LAの高級ホテル街をタクシーが通ったんだけど、1つのホテルの入り口付近に大きな人だかりが出来ていたんだ。
私は、まさか、と思って、そこでタクシーを降りて、人だかりの方に向かったんだよ。そうしたら、人だかりを屈強なボディガード、数名がかきわけて、何と、ジミー、ロバート、ジョン・ポール、ボーナム、ピーター・グラントが出てきたんだ。
私は、もう驚いたよ。ところが、私の前をジミーが歩いた際に、ジミーが転びかけたんだ(笑)。それを私が咄嗟に支えたんだよ。ジミーはサングラスをかけながら、笑顔で私に、ありがとう、と言ってくれたんだ。
いや、未だに私の腕が覚えているが、本当に華奢な身体だったね。本当に細くて軽いんだ。
何かね、凄く感動したよ。
ただ、ジミーの身体からはジャンキー独特の化学物質の臭いがしたんだ。強烈にね。あれ、相当にドラッグをやっていたんだろうなあ」

以上で、そのお爺さんのZEP体験記が終わりました。

何でも1973年生まれの息子さんは、高3の時に、付き合っていた奥さんに「おめでた」をさせてしまったらしく、大学進学をやめて、高校を卒業してから中途採用で某大企業の子会社(と言っても、かなり大きい会社)に就職し、昨年6月末の株主総会で、42歳になる若さで取締役部長に就任したらしいのです。
それで、昨年の夏から時間に余裕が出来たことから、ギターを始めたそうです。「目標は、ジミー・ペイジです!」、彼はそう言い切りました。

その息子さんに言われました。
「父さん、父さん。ほら、きんどーさんをよく見てよ。
きんどーさん、パーマっ気が薄れた77年7/23、7/24のジミー・ペイジによく似ているよ」
「ああ、本当だあ!」、と、お爺さん。
頭をかいた私と笑う妻と娘でした。


☆K.Yさん

私はかつて71年大阪フェスティバルホールに於ける初日公演と翌年72年来日コンサート最終日,京都会館に於ける彼等のライブをリアルタイムで経験したラッキーな人間の中の一人ですが,とにかく71年の初来日に於ける大阪公演の彼等はそりゃ凄まじかったです。
それに彼等自身,ノリにノッて演奏し続け,ふと気がつけば終演時間は11時近かったような気がします。
ライブが終わって会場を後にする時,ある警備員が,もっと早く終わってもらわないと困るんだよな,なんて一人で愚痴ってました。(笑)

今思うに,あんなにエネルギーが迸っているようなバンドは現在活躍中の現役バンドの中でも余り見かけません。
それにライブを見て思ったのですが,メンバー全員,演奏するのが楽しくて仕方ないというような感じにも見受けられました。それに全員若かったですからね。

それにオフタイムでは同年京都観光をした際,繁華街からかなり外れた,ある飲み屋? に行ったようですが,どこからこの店のことを知ったかは定かではないですが,メンバーも人目を避けて静かに飲みたかったのでしょう。現在はもうとっくにありませんが京都は北山通り近くの知る人ぞ知る,週に一回しか営業していないという(まあ今考えると,この店のオーナーは道楽で営業していたとしか思えませんが) とんでもないお店にメンバー全員,突然現れたらしいのです。

70年代初期の京都は何処からともなく人が集まってきて,それこそ今とは比較にないほど活気に満ち溢れていましたし,それこそユニークな店,またイベント等多々ありました。
そんなことで,ここで飲んだ勢いで突然,店のアマチュア.バンドの楽器を借り演奏し始めたというのですから信じられません。

でもその時の写真はアナログ時代の何というアルバムタイトルだったかは忘れましたが,以前彼等のアナログブート盤の裏ジャケで見たことがありますが,ロバート以外は全員楽器を借り座って演奏しています。
いいなあ,店にいた人は超ラッキー,何せタダで聞けた。(笑)

 

1972年,京都公演。

とにかく今になって思うことは京都で公演していただけたなんて,正に夢みたいな話ですが,当時は今のようにステージから客席まで数メートル離れているということはなく何せ,かぶりつき状態で見られましたから,そりゃもう迫力が違います。(笑)
オープニングはロックン.ロールから始まり,のっけから盛り上がったまではいいものの,すぐに当時としては始めて聞く曲が始まり,即ちその曲を含む何曲かはアルバム「聖なる館」からのものであるということは翌年にならなければ解りませんでしたが, 初来日と比較すると新曲も何曲かあり,当初盛り上がった観客も新曲が始まると急にクールダウン。

それにこの72年2度目の来日時点でアルバム「聖なる館」のレコーディングが,すでに完了していたかどうか私は解りませんが恐らく今思うに彼等も来るべき翌年に予定されているアメリカ公演に向けて実際ステージに於いて新曲を試していたのでしょう。でも実際のライブは初来日公演よりも彼等のボルテージは下がっていたように思えます。

ロバートも何だか,やや苦しそうに歌っていた感じもしますし,この時期に於ける多数の他のブート盤と比較してみてもこの京都公演は彼等にとっては出来が今イチだったのではないでしょうか? 悪く言えばいかにもリハーサル中の彼等を見ているようなと言えば,これはちょっと大袈裟かも解りませんが,初来日公演が余りにも素晴らしかっただけに,2度目の来日公演は,やや精彩に欠けたステージだったように記憶しています。

それにプレイしていた曲は,余りにも昔のことなので何の曲だったかは忘れましたが,演奏中に突然,ひとりのド派手な女性がステージに現れ,曲に合わせてステージの,やや中心部で踊り始め,ヤケに気になった覚えがあります。(笑)
ライブ終了後,いっしょに見に行った友人と共にあれは誰なんだ? 一般客か? でも一般客がステージに現れるか?
ありゃどう見ても来日中,ZEPをひっきりなしに追いかけていたグルーピーか,何かだよ! と笑いながら喋ってましたが。(笑) 結局この京都公演が2度目の来日に於ける彼等の最終公演となり,その後,解散まで来日していただけませんでした。

また72年京都でのライブにて,ステージが始まる前に彼等が使用している機材をポッカリ口を開けた状態で見つめつつ,へえーっ! これがジミーのアンプか? とため息まじりで見とれていました。(笑)
ステージ向かって右側に例のオレンジマークのアンプが2段重ねに置かれていました。
このアンプ,一時はブラック.サバスのトニー.アイオミ,または故ロリー.ギャラガー,国内バンドでは,かつてのクリエーションのギタリスト,竹田和夫氏等が使ってましたね。

それに正面に置かれたボンゾのバスドラのまたデカイこと。
これはDVDのDISC.2で最初に始まる移民で見ることも出来ますが,確か72年の来日公演もこの色のドラムセットだったはずです。
とにかく目の前でじっくり見たのはこの時が初めてで友人と,こんなバスドラ使ったら普通リズムがもたつくだろうし,これはちょっとやそっとでは使いこなせないな,と喋っていましたが,ライブを見るやいなや,とにかくボンゾはあの体格ゆえに,もたつくどころか余裕でいとも簡単に使いこなしているのですから,まったくスゴイ人です。




*エディ藩さんとお話した昔話をひとつ。
1969年3月だったか, カップスを脱退されたエディさんはき元メンバ−でリズムギタ−とヴォ−カルも担当されてたケネス伊藤さんが住むハワイへ行かれたんです。

元々ケネスさんはアメリカ国籍でしてグル−プ脱退後は親が住むハワイへ帰ってたそうなんです。
エディさんはハワイへ来てしばらく経っ後,ZEPのホノルル公演を見行かれたそうです。
確かにZEPは69年5月初めにホノルル公演してますよ。

彼は恐らくZEPを見た初の国内ミュ−ジシャンでしょう。下記のように仰ってました。

その時, ZEPを初めて見たんだか, どう転ぼうにも勝てないと感じたな。
根本的に音楽に対する姿勢が全然違うんだ。オレはもう一度, 音楽そのものをイチから考え直すべきだなと感じたと。
それにしてもエディさん, その頃はまだ22歳の若さですよ, 凄いな。


☆おぎ〜さん

私も71年大阪公演行かせていただいた者ですが、スミマセン、その時ジャリンコだったのと、最近の物忘れのひどさで、あんまし覚えてないのです・・・・・(T_T)

たぶん28日のほうだったと思いますが、記念においてあったチケットとかパンフ類、地震のときにガレキと共に捨てられた可能性ありで、残念ですが今確認できません。

しかし、あのサウンドの部厚さというか、音圧というか、すさまじいエネルギーは、あれ以降一度も体験できていません。
同じようなことを渋谷陽一氏や、某レコード会社のトップが言っておられるようですが、オーバーではなく本当だったと思います。

単に音が大きい、ドラムがバカでかい、というだけではなく、(大きい音ならその後何度も聞きましたが)、音が大きな塊になって迫ってくる感じで、まずそれに圧倒されて観客は最初声も出ずただ立ち尽くしていました。 

そして、大きい音なのですがラフではなく、非常に端整というか、よく弾きこまれていて、どの曲も危なげが全くなかった。
この人たちは、仮に暴走しても最後にはきっちり収められる実力のあるミュージシャンだということが、ガキの私にもわかりました。
当時、来日した外タレの中には、見掛け倒しというか、ひどい演奏力のバンドも結構あって、「金返せ〜」なんてのもあったので、Zeppは「結構なお手前」でしかも「お腹いっぱい」で、「サービス満点」という印象でした。(^o^)丿

一つには、大阪フェスティバルホールという会場の良さもあったと思います。
当時、東洋一の音の良さ、といわれており、現在でもここがお気に入りのミュージシャンがたくさんいるそうです。
Zeppの背骨を震わせるラウドな音から、アコースティック・ナンバーにおける繊細なピアニシモまで、きれいに聞こえていました。
残響なども適度だったと思います。(ガキん子の感想ですが・・・)

それで、3時間以上もやってくれたのに、ほんの一瞬だったような気がして、もっと聞きたい気持ちでした。
当時ガキだったので正確ではないかもしれませんが、今となってみれば、本当に貴重な体験だったと、感謝しています。(*^_^*)Zepさま、ありがとう!!


☆zoso-ledzep4yyさん

71.9.28大阪公演初日
1. IMMIGRANT SONG 
2. HEARTBREAKER 
3. SINCE I'VE BEEN LOVING YOU 
4. BLACK DOG 
5. DAZED AND CONFUSED
11. STAIRWAY TO HEAVEN 
12. PLEASE PLEASE ME 
13. FROM ME TO YOU 
14.CELEBRATION DAY 
15. BRON-Y-AUR STOMP 
16. THAT'S THE WAY 
17. GOING TO CALIFORNIA 
18. WE SHALL OVER COME 
19. TANGERINE 
20. DOWN BY THE RIVERSIDE 
21. WHAT IS AND WHAT SHOULD NEVER BE
22. MOBY DICK 
23. WHOLE LOTTA LOVE 
24. C'MON EVERYBODY 
25. HIGH HEELED SNEAKERS 
26. COMMUNICATION BREAKDOWN

静かな観客にアピールする為に即効でBEATLESナンバーを披露したりでお腹いっぱいです。(^^♪

対して72.10.10京都公演(日本最終日)ですが
この日、東京ビブロスで打ち上げパーティーに参加する為に京都発最終の新幹線に乗車しないといけないので2時間以内でコンサートが終了したとの事です・・・

ステージで乱入された曲は『WHOLE LOTTA LOVE』でして
踊っていたのはの夏川 翠嬢の72年追っかけ日記によれば
JPJの日本人グルーピー“P子”さんとの事です。^^;
『いっちょ、行ったろか〜』ってステージに向かって行ったとの事です。
“P子”さんは、夏川 翠嬢も驚く程のケバサで73年ニューオリンズで女性と間違って
オカ○と寝てしまった件といい、
JPJの美的感覚が他のメンバーとは異なる事が思わぬ所で発覚してしまったとの事でした。(*^_^*)

72.10.10
1.ROCK AND ROLL
2.BLACK DOG
3.MISTY MOUNTAIN HOP
4.SINCE I,VE BEEN LOVING YOU
5.THE SONG REMAINS THE SAME
6.THE RAIN SONG
7.DAZED AND CONFUSED
8.STAIRWAY TO HEAVEN
9.OVER THE HILLS AND FAR AWAY
10.WHOLE LOTTA LOVE〜MEDLEY P子乱入〜
11.IMMIGRANT SONG


彼らが京都見物に行ったものの雨にたたられてくさっていたら、「サタディ」という土曜しかやってないお店に立ち寄り、出演していた日本のアマチュアバンドの楽器を借りて突然演奏をはじめ、大喝采を浴びたそうです。
その時いた人達は本当にラッキ−でしたよね。


71.9.28大阪公演初日のアンコール一曲目“C'MON EVERYBODY”のハプニング

☆zoso-ledzep4yyさん

ライブでのハプニングといえば
71.9.28大阪公演初日のアンコール一曲目“C'MON EVERYBODY”において
スタッフもステージに引っ張り出して、セッションを行ったとの事ですがその様子も覚えてらっしゃいますでしょうか?
雑誌の情報ではクライブ・クールソン(ローディー)がボーカル、フイル・カーソン(レコード会社役員)がベースとの事なんですが・・・
Ruty LedさんのHPで、コールさんの本の翻訳によれば
“レッド・ツェッペリンはフィルに対して、大阪公演で少しベースを弾いてみないかと誘った。フィルはかなりのベースの名手であったが、めったに他のプレーヤーと共演する事の無いレッド・ツェッペリンからの誘いを名誉に感じた。しかしながら、この誘いには下心が有った事をフィルは知る由も無かった。
フィルは合図に従ってステージの上に上がった。ジョン・ポールはキーボードの方に移動し、フィルはベースを手にした。フィルの演奏は最初からぴったり合っていた。彼は実にいい気分で聴衆を眺め、本当にその場を楽しんでいた。しかしながら、曲が始まってから4分ほど経った頃、フィルは彼の耳に聞こえるのはベースの音だけである事に突然気が付いた。彼はすぐに回りを見回したが、ステージの上には彼一人が取り残されていた。
それは、他のメンバーが曲の途中で姿を消してフィルには一人舞台で何とか頑張ってもらう、という悪戯だった。フィルは果敢にもベース・ソロを試みたが、他のメンバーが戻って来そうもないのを悟ると途中で止めてしまった。他のメンバーが馬鹿笑いする中、フィルはベースを置してステージから立ち去った。”

これは、本当なんですかね?(^。^)

 

☆K.Yさん

何かそんなことあったような。

アンコールに時に於いて,何人か出てきたような?
ありゃ当時のZEPのボウヤ(ローディー)か? 何かですね。それにやたらオッサンずらした人もいましたが。(笑)
でもあれは困る。今だから言えますが欧米に於いて,そんなことをやったものならばブーイングどころか完全にタタかれますよ。

それにお客はZEPを見に来ている訳ですから,たとえ彼等がおもしろがってやったこととは云え勝手に関係者をステージに上がらせるなんてとんでもないし,ましてや演奏なんて。
それゆえ予想外にこんなことをしてくれるものだから,せっかくメリハリのある演奏が続いていたのに,急に白けて,すぐさま印象の悪いステージに変貌してしまうのだからコンサートの流れというものは怖い。

それに,こんなこと言っちゃ何ですが例え彼等に悪気がなかったにせよ,今思えば日本を舐めているとしか思えない行動である。またこんなことをされて喜んでいる人がいるから,余計にナメられるしタチが悪い。
しかし私は詳しくは知りませんがZEPの歴史の中でも,こんなことをやったのは日本に於いてだけかもしれない。
他では聞いたことがないし欧米では彼等自身,とてもこんなことは出来ないだろう。

話は変わりますが,実際ライブを体験した人間が言うのもなんですがこの頃のジミーってギターをよくあれだけ下げた状態で弾けるものだと思いましたが,でもあれは誰の影響なんだろう? ヤードバーズの頃は写真で見ても,あんなに下げてなかったですよね。ひょっとしてスティーブ.マリオットの影響かな? スモール.フェイセスのブートビデオで見るマリオットはギターをかなり下げた状態で弾いていて,かっこいいのですがジミーも彼をかなり意識したのかな? ご存知の方,お教え願います。

実際72年ZEP来日公演では幸運にも,ほぼ目の鼻の先で見ることが出来たのですが,よく見るとやっぱり指は長い人ですね。あの指じゃレスポールのハイホジションも楽々弾きこなせますよ。それに演奏中はすごい汗。髪の毛を伝わってポタポタとステージ上に落ちていました。
ついこの間のような気がしますが。それも今は遠い昔。


AERA増刊号取材

☆K.Yさん

LIVE IN OSAKA 1971年9月28日

今回アエラ誌に語ったZEP初来日公演について,現在私が記憶している限りのオリジナル発言をカキコミさせていただきます。それゆえ取材時とは若干異なる部分,また取材を受けた以前に載っている「LIVING LEGENDの証言」に於いて,少なからず重複する内容等も絡みますので,何卒そのへんはお許しを。

なお,取材時には私個人的なZEPへの思い等,その他モロモロ記者の質問の中にはありました。しかるに皆様には非常に恐縮ではありますが,あえてここでは省略させていただきます。
あくまでも初来日公演1971年9月28日大阪フェスティバル.ホ−ルでのことについて述べさせていただきます。

★さてZEPなんですが,大阪では28日,29日と2公演ありましたが,どちらを見に行かれたのですか?

☆28日です。友人と見に行ったのですが,見るや否や,すべてがケタ外れで大衝撃を受けました。
彼等がステ−ジに現れたとたん,場内からは絶叫とも思える凄まじい歓声が上がり,その盛り上がり方は,ちょっと言葉では言い尽くせません。
なにはともあれ,この日のブ−トを聞かれたら良くお解りになると思いますよ。

とにかく演奏するたびに大歓声が場内に響き渡るのですから。ステ−ジ構成もジミ−のギタ−を前面に押し出して進行して行くので,お客も大満足だったはずです
彼等もノリノリで,よってフェスティバル.ホ−ルでの28日と29日の2公演は来日中,ベストの出来栄えには違いないでしょう。
ひょっとしたら,現在でも彼等はそのことを良く憶えているのではないでしょうか?

コンサ−ト終了後,私は帰りの電車の中で友人に「こんなすごいものを見てしまったオレは将来,一体誰のコンサ−トを見たらいいんだ? 見たいア−ティストは今後来日するとは思うけど,もうこれ以上何もかもが想像を絶する熱狂的な素晴らしいコンサ−トを見ることは今後不可能じゃないかな。

世の中にはスゴイ人はいくらでもいるとは思うが,こんなにもケタ外れのコンサ−トはもう2度と見ることはないだろう。
オイ,本当に見に来て良かったな。今日のコンサ−トは生涯,記憶から消えることはないよ。オマエもそう思うだろ?」ということを話してましたが。

★お客さんの層はどんな感じでしたか?

☆男女問わず,圧倒的に20歳前後の方が中心だったとは思いますが,会場内には,かなりご年配の方も結構おられましたよ。

★ジミ−がメインで使用していたギタ−は?

☆ギブソン.レスポ−ル.スタンダ−ド
来日時で使用したギタ−ですが年代等は解りませんが,もしも仮に現在オ−クションに出品したとしたならば,おそらくエリック.クラプトンの愛器「ブラッキ−」と同等,もしくはそれ以上の値段が付けられることは,ほぼ間違いないでしょうね。

それに初来日時に於いて成毛滋氏は特注のギタ−を直接ジミ−にプレゼントしたらしく,どこの会場でのことかは解りませんが,実際使用したようですね。
おそらくメインで使用したなんてことは考え難く,多分アンコ−ル時に試してみたのかな?(笑)

★ジミ−ってカッコ良かったですか?

☆ええ,そりゃもう。
今にして思えば自分の演奏に酔っていたというか,とにかくステ−ジ上の彼は自信満々でした。でもこれはジミ−だけに限ったことではなく,他のメンバ−にも言えることですが。

それに彼はファン.サ−ビスにも徹底していました。
常にお客に見られているということも意識しているようで,絶えず動きまくっていましたね。
また同じことがロバ−トにも言えます。

★ロバ−トは?

☆この日の彼は非常に調子良かったのではないでしょうか?
まったく元気そのもの。動きまくってましたよ。

★ジョンジ−はどうですか?

☆どんな曲に対しても冷静にプレイし,常にク−ルな人という印象がありましたが。見事なサポ−トだったと思います。
一方,彼がいてくれたからこそ,ある種他のメンバ−たちがステ−ジ上で大暴れ出来たとも取れます。

★ボンゾは?

☆彼等のDVDはご覧になられましたか?
アルバ−トホ−ルでのオ−プニング「WE`RE GONNA GROOVE」を見られただけでも彼の凄さがお解りになられるかとは思いますが,実際生の迫力はこんなものではありませんね。
もうケタハズレもいいとこです。
もちろんテクニック的にも素晴らしい人ですが,簡単に一言では言い表せません。ごめんなさい。

そんなことで「MOBY DICK」では大暴れしていました。
こんなパワフルなドラマ−,現在でもいませんよ。
何せこの日の彼のテンションは凄かったですね。
とにかくバスドラ踏み込んだ音の出方が違う。
ズド−ン! ズド−ン! と前に突き出る感じ。解るでしょ?
そんな空気までもが感じ取れて凄かった。

★印象的だった曲は?

☆全部 (笑)
まず「移民の歌」から「HEARTBREAKER」に移行した瞬間,場内は大絶叫の嵐。
「DAZED AND CONFUSED」に於いては皆,ジミ−のバイオリン奏法? に釘付けになってました。非常にトリッキ−なプレイで何をやるのだろうと。
一方,ガラリと赴きを変えたアコ−スティック.セットではジミ−の弾くアコギも素晴らしく,またギタ−の音色も非常に良かったですね。

「STAIRWAY TO HEAVEN」
えっ,ありゃ何だ? ダブルネック! アレ使って一体何を弾くんだ? という声が突然何処からともなく聞こえてきたことを思い出します。
このギタ−,かつて60年代にエルビス.プレスリ−が多分,休憩時間だとは思いますがレコ−ディング.スタジオ内で白のダブルネックギタ−を椅子に座って,つま弾いている写真を雑誌で見たことはありましたが,実際弾いている姿を見たのはジミ−が最初でした。

当然,当時は新曲だったのでお客もジックリ聞き入っていたように記憶していますが。
その時は想像出来なかったですが,まさかこんな超有名曲になろうとは。(笑)

★音は大きかったですか?

☆大音量には違いありませんが耳を劈くような音ではありませんでした。会場にもよりますが,大阪フェスティバル.ホ−ルは音響設備が充実してるせいか,音質はかなりクリア−だたように思います。

★3時間以上あったコンサ−トだったと聞いていますが,本当ですか?

☆はい。正にマラソン.コンサ−トでした。
アンコ−ル時には2階から1階に飛び降りようとしていた人が数名いましたが,キッチリ警備員に止められていましたね。(笑)

終演は確か11時近かったように記憶していますが,会場を後にする際,警備員が「もっと早く終わってもらわないと困るんだよな」なんて一人愚痴っていたことは今でも鮮明に憶えてます。(笑)

★席はどのあたりだったのですか?

☆1階中央左寄り。まあジョンジ−側ですね。

★初来日時でのステ−ジ.セット,照明等はどうでしたか?

☆現在,人気ロック.バンドの大規模なセットと比較すると当時の彼等のセットは,いたってシンプルそのものです。
彼等のセットも75年アメリカツア−からはレ−ザ−光線等も使用して大規模なものになって行くようですが。。。

★とにかく生で見られたことはラッキ−でしたね?

☆ホント,ラッキ−でした。

 

(P.S) そんなことで本日仕事で大阪に行った帰り,久しぶりにフェスティバル.ホ−ル前を通った。
あれから約34年の月日が流れた。何故か信じられない気分になった。ついこの間のような気がして。。。
そう思うとジ〜ンと胸に熱いものが込み上げてきた。


AERA増刊号取材後の証言1

☆K.Yさん

1971年9月28日,当時高校生だった私は友人と共に大阪フェスティバル.ホ−ルにいた。
将来私はどれだけの来日ア−ティストのコンサ−トを見るかは解らないが,でも今回のコンサ−トは私にとって何か特別なものになるだろうという予感はあった。

エリック.クラプトン,ジェフ.ベックそしてジミ−.ペイジ。
ザ.ヤ−ドバ−ズ出身3代ギタリストの中で,まず最初にジミ−が日本の土を踏んだ。
当時は長髪が当たり前の時代だったから右を見ても左を見ても会場内には,「あれ? あそこにいるのはジミ−じゃないのか?」と勘違いするほど彼のヘア−スタイルや服装を真似る人がファンの中には結構いた。

そんなことで会場内ではいろんな話が飛び交っておもしろかった。「どんなギタ−持ってくるのかな? レスポ−ルか? テレキャスタ−はどうなんだ? 使うのかな? 一曲目は何から始まると思う? おお〜! オマエ来てたのか? 知らなかったよ。席はどのあたりだ? なぁ,オレの席見てくれよ,いいだろ? ジミ−側だぜ。いいなぁ〜,オマエの席」という具合。
これは今でもハッキリと憶えている。(笑)

そしてコンサ−トは始まった。移民の歌。
キッチリ纏まったスタジオ.バ−ジョンもいいが,ジミ−のギタ−ソロが入るライブ.バ−ジョンの何と素晴らしいこと。
当然お客は一曲目から総立ち。
スタジオ.バ−ジョンとは,まったく異なるライブでの移民の歌。大ショックだった。
それにしても音自体は非常に大きな音だったが,妙に耳障りのない誠にクリア−な音だったように思う。

元々大阪フェスティバル.ホ−ルはクラッシック.コンサ−トには最適で巨匠カラヤンをはじめとする指揮者,またクラッシック界に於ける世界最高プレ−ヤ−たちがこぞって絶賛したほどで素晴らしく音響設備の良いホ−ルとして世界的に有名である。

そんなところで彼等も演奏したものだから耳の良いメンバ−たちは,「あれ? 何か普段と音の跳ね返りが違うな? 今日のオレたち,なかなかいいんじゃないの? 」なんて思ったかもしれない。

ジミ−.ペイジ とにもかくにも初来日に於ける彼の人気は凄すぎた。彼がステ−ジに現れたとたん,場内からは大歓声が飛ぶ。また彼がギタ−ソロに入るや否や,待ってました! とばかりに,これまた場内からは大歓声。
それにちょっとしたアクション,またギタ−をチェンジした時に対しても大歓声が飛ぶ。
ハッキリ言って何をやってもサマになる。
そうなると彼の存在自体,もう別格である。

ジミ−もまだ来日の噂さえなかったクラプトン,ベックと並び当時27歳の青年であるにも関わらず,早くも日本ではロック.ギタリストとしてカリスマ的存在になっていた人である。それゆえ日本で見ることは想像すら出来なかったし,まず来日は不可能に近いであろうと思われていた人のプレイを実際,生で見ることが出来た喜びは非常に大きかった。

一方この頃のロバ−トは真にス−パ−.ボ−カリストであったと言っていいだろう。後年ブ−ト等で聞く限り前年よりも,若干声の衰えが出始めてはいるものの大阪公演でのハリのある声は素晴らしく,この日も快調。
また歌わずとも立っているだけでサマになる彼に対してもジミ−同様,場内からはヤンヤの歓声が沸く。

しかし今思うと,その頃から声の衰えがシワジワと押し寄せているのだからボ−カリストとしての絶頂期の姿はZEP結成時から,ほんの数年しかなかったと思うと残念でならない。

静かな紳士 ジョン.ポ−ル.ジョ−ンズ。
彼がいたからこそ他のメンバ−がある意味ステ−ジでは大暴れ出来たともとれる。
それに彼はどんな曲に対しても常にク−ルに演奏。
あくまでも控えめで,その姿勢は徹底していた。

そして暴れん坊ジョン.ボ−ナム。
あくまでも個人的な意見だが,とにかくこれだけパワフルなドラマ−は初来日公演から30数年経った現在に於いても彼に匹敵する存在のドラマ−はゼロである。

かつて演奏中にバスドラの皮を破ったことがあるなんてことを雑誌で読んだことがあったが,なにはともあれ中途半端なパワ−ではない。
しかし大きなバスドラだった。当時あれだけ大きなバスドラを使っている人は初めて見た。

また「DAZED AND CONFUSED」に於けるシンバルワ−クも,こんな力で叩かれたんじゃシンバルもたまったものではない。
ジックリ見てたがボチボチ割れるんじゃないだろうか? という叩き方だったが,そこはプロ中のプロ。
キチっとした手加減で叩いたいたんだろうな。

 

ここでは2度目の来日公演について一部紹介。これもLIVING LEGENDの証言には載せていません。

今回はジミ−。

さてさて私が見た72年京都会館に於けるライブは高校3年生の時。
当時はまだ先行予約など,なかった時代だとは思うが,友人たち数名と,ほぼ徹夜状態で並んだ。腹が減ってはと友人の中には食べ物を持ってくるヤツもいた。

前年のコンサ−トが余りにも素晴らしすぎたせいか,学校のロック好きの連中も「おまえ去年見に行ったんだって? 連れから聞いてるぞ。 あの時はメチャ良かったらしいな?」なんてことを言われ,今回京都での公演は学校も近いことだし他のクラスの同級生も数名行った筈。

正直言って72年のライブではジミ−の顔が真近で拝めたし,それに前年の来日時で伸ばしていたヒゲもない。肌は真っ白でメチャ綺麗な男性だった。
スラっとした体つき。それに長い指。
ちょっとした仕草でも場内からは大歓声を浴びる。
そんな訳で見た瞬間,ジミ−はやっぱりヒゲのないほうがいいなと思った次第。
私の記憶では彼の服装はジ−ンズに派手な花柄模様のシャツ,ロバ−トはTシャツにジ−ンズ,ジョンジ−もジ−ンズに確か白のTシャツ姿だったと思う。でもボンゾだけは何故か記憶が飛んでる。ジ−ンズには間違いないと思うが。。。

一曲目はロックンロ−ルから始まったが,低く構えたレスポ−ルを前に突き出し,ステ−ジ狭しと右へ左へ踊りながら弾くジミ−のカッコ良さといったら失神しそうなくらいだった。まさに完璧だったし,完全にノックアウトされた。
彼はどうやったらカッコ良く映るのか? を常に考えているんじゃないかな?

とにかくカッコ良さが他のギタリストとは比較にならないどころか,ギタ−を持つだけであんなにキマる人は,それまで余りお見かけしたことがが無かった。余談だか翌年大阪厚生年金ホ−ルで見たジェフ.ベックは,さすがにキマってたなぁ〜(笑)

例えば現役でバリバリ活躍中のエアロスミスのジョ−.ペリ−などは,あのカッコ良さにほれ込んだじゃないかな?
なんとなくそんな気がする。

 

 

****************************

最後に。。。
現在50歳の私ですが,あれから34年も時が流れたかと思うと夢のようです。これほどパワフルで素晴らしいバンドを生で見られたこと自体,非常にラッキ−だったと思いますし彼等の残した遺産はザ.ビ−トルズ同様永遠に語り継がれることでしょう。


AERA増刊号取材後の証言2

☆bowさん

王子を見た日。ZEPを見た日。
それはなんていいお天気だったことでしょう。雨上がりの木の葉がゆれて緑の匂いがします。
楽しみにしていたライヴです。
隣のクラスのジミー様命!の
「**ちゃん、来てるかなぁ?」
などと話しながら私たちは九段の駅から武道館へ向かう道を歩いていました。
ロックのライヴは友達と並んで開場を待つのも楽しみの一つでしたのでかなり早めの時間だったと思います。

玉砂利の横の歩道を続々と集まるファンの列が続いていきます。

車が通る音がしました。最徐行で窓には黒いシールドがかかった黒塗りハイヤー5、6台が通り過ぎていくのです。

その中の1台だけ助手席の車窓が開いていました。
肘をついて大笑いしているのは
(酔っ払っていたのかもしれませんね。ご機嫌さんでした)

!!!ロバート・プラントさま!!!

手を 伸ばせば届く所を通っていかれたのです。

誰も反応しませんでした。

次第に目が丸くなり、口が開くような感じで、
しばらくしてから
-永遠の時が過ぎていったような気がいたしますが-
そうね、10bぐらい後から
「!!きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁ!!!!!」
 という声が響いて行きました。まるで伝言ゲームみたいに。
とにかくいいお天気でした。
お陽様を1つに集めたような金の巻き毛と笑い顔でした。
今でもはっきり思い出せます。

たぶんそこでもう気を失ってしまったのでしょう。
初来日ライヴは
ジミー様のおみ足が驚くほどすんなり長かったことしか覚えておりません・・・。

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初来日で一番印象に残っているのはこの一瞬です。
大勢いたので覚えている方もいらっしゃると思うのですが・・・。
高校生だったワタシはジャズ喫茶(ライヴあり)やロック喫茶には行った事がありましたし、野音やホールもよく行っていて、バンドやイベントをやっている友達もいましたが
何故か?来日ミュージシャンはこの世のものとも思わなかったらしく(本当にこの世のものとも思えないほどかっこよかったし)近くに住んでいたにもかかわらず
ホテルに追いかけて行くとかは考えもつきませんでした。ビートルズ当時からそういうことがあるのは知っていましたが。
ましてやビブロス、MUGENなどのディスコ(古。は特別なヒトが行く所だと思っていましたねぇ・・・。


WHOLE LOTTA LEDのギタリストNICKの証言

☆LiZaさん

英国で人気投票No.1のZEPトリビュートバンド、WHOLE LOTTA LEDのギタリストが高校生の時に見たライヴの想い出(拙訳、恐縮ながら...)を転載させて頂きます。現在彼らはZEPが初めて天国への階段を演奏したアルスター・ホールをはじめとして、ZEPが演奏した事のある同じステージを踏んで年間100本以上のライヴをこなしています。

NickのBath Festivalの想い出

初めてLed Zeppelinを観た時の事を、僕は絶対に忘れないだろう。1969年6月28日のBath Festivalに、友人達数人に説得されて行くことになった。ロックコンサートには一度も行ったことが無く、たいして気乗りもしなかったけれど”OK。行くよ。”と言ったのだった。土曜朝早く、僕と友人のケヴィンは出発し、ヒッチハイクを開始した。誰にも拾って貰えず、2マイルもいかないうちに挫折しかけた時、遂に拾われたのだが、乗せてくれた男は実に風変わりで、殆どしゃべらなかったが、自分の殻を破った後は急速にどんどんおかしくなっていき、バース近郊に近づいて道路が混み始めた時も、彼のおかげで僕らだけ渋滞知らずだった。というのは、彼は緑の分離地帯を飛び跳ねながら他の車達を追い抜き、道路を逆走した挙句の果てに、行き止まり道の石畳を転げ落ちそうになったのだ。

僕らは車からほうほうの体で逃げ出して、歩いて残りの旅を続けた。6時半頃、次のバンドはLed Zeppelinだ、という放送があった。僕は彼らについて聞いた事が無かったけれど、KevinはZEPの演奏開始までにステージの前の方へ行った方がいい、と言った。バンドが登場した時、楽にステージに寄りかかり見上げていた僕の視線を受け止めたギタリストは微笑んで返した。何を演奏していたのか曲名は覚えていないけれど、音が周辺のビルに鳴り渡っていたのは忘れられない。そして、その時から僕は夢中になった。彼らが演奏したのは45分間位だったと思う。

僕が次に彼らを観たのは1970年1月、BristolのColstonHallだった。

1970年のバースフェスティバルまでに、彼らは超有名バンドの一つになっていて、20万人のファン達がShepton Malletの会場にやって来ていた。この時、僕はBSAバイクで行ったのだけれど、会場から1マイル離れた所に停めなければならなかった。前の年と随分様子が違い、とても沢山の人がフェスティバルにいて、ステージに近づくのには一苦労だったが、その状況だったのに反して、僕はバックステージで彼らが写真撮影をする所を観る事が出来た。日が沈むと同時にバンドは登場し、それからの2時間かそこらというもの、サマセットの広野に音と煙が流れていく様は素晴らしい雰囲気だった。このコンサートでは、当時未発表だったサードアルバムからの曲を抜かせば、僕には殆どの曲が判っていた。

この時、自分が30年後に同じく熱烈なZEP狂の前で同じ様に同じ演目を演奏しようだなんて知る由も無かった。

僕の4度目にして最後のZEPのコンサートは1975年5月18日(日)LondonのEarl’sCourtにおいてなのだが、その話は次の機会に譲るとしよう!


博多のバー「パパリンゴ」のマスターの証言を聞いた話

☆オニヨメさん

パパリンゴのマスターの話は最高でした。ZEP広島公演に夜行列車で行ったそうですが、平和公園でメンバーにばったり会って「Are you LED ZEPPELIN?」と聞いたそうです。
生まれて初めて喋った外国人がロバート・プラントだなんてうらやましい・・!
それと帰りの駅のホームで、ジミー・ペイジに「これ、食べて」とみかんを渡したら喜んでいたとか、
爆笑ネタ満載でした。

 

☆LiZaさん

ZEP広島公演の目撃証言の更に目撃証言の追加です。(笑)

コンサートが終わってお客が引き、会場内の片付けの途中で人が途絶えた隙に、高校生だったマスターはステージに登って、バスドラの裏を確かめたのだそうです。そして、ペダルが1つしか無いのを確認して愕然とし、以来ドラムをやめた、と仰っていました。2本の足で叩いているかのような音が出ていたそうです。

他に、Immigrant Songでロバートが舞台の袖からどのような出現の仕方をしたか、というのを、パパリンゴのフロアを遣い切って再現してくれました。見た感じ、エジプトの壷絵にある、横向きの人みたいな…(笑)前奏部分で拍子をとりながらステージ中央まで歩いて行ったようです。


☆54歳のJPさん

1972年の大阪フェスティバルホールで当時大学生の私はノックアウトされました。今でも大阪駅のホームでまだ耳鳴りがしていたのを憶えています。71年の公演に行った友人にその素晴らしさを何度も聞かされていたので、一年後の来日は本当にラッキーでした。その後、クラプトンの初来日、Jeff Beckの初来日、SANTANAの初来日等、数多くの来日公演に足を運びましたが、今までで一番良かったのは?と聞かれると72年のZEPと75年のMiles Davisと答えます。

アンコールをいれて4時間の大阪公演(これは「伝説」以外に表現不可ですな)、そして私が参加したアンコールを入れると3時間半の72年大阪公演。しかも、最初から最後までの高いテンション。これはDeep Purpleの「in Japan」のジャケットの写真のように当時のライブでは聴衆はアンコールまで立ち上がらず一音も聞き逃すまいとステージを凝視していたものなので、とくに数十年経った今でも印象が残っているのかもしれません。

あのボンゾのグルーヴ感は実体験した者にしか分からないと思いますが、ブートレグで聴ける71年大阪フェスティバルホールでの一曲目「移民の歌」のカウント「ワン、トゥー、スリー、フォー」を聴くだけで、その凄まじさが分かると思います。72年の大阪では、「Rock'nRoll』の、例の「ダッダダッダダダ〜」で始まりましたが、当夜の全聴衆がその瞬間にのけぞった筈です。

ご存知のようにZEPは71年には広島でチャリティー公演を行いました。丁度試験の日程と重なった私は泣く泣く諦めたのですが、留年覚悟で言った連中からその凄まじさを後日何度も聞かされ、本当に後悔しました。曰く「ボンゾのバスドラの音ときたら、まるで大砲のようだった」「興奮してステージに駆け上った連中を屈強なクルーたちが投げとばした」等々。確かその数ヶ月後のウェザーリポート初来日公演(ベースはミラスロフ・ヴィトウス)会場の大阪フェスティバルホールで偶然会った高校の同級生H君に「Led Zeppelinの方が良かった」と聞かされ、ますます悔しい思いをしていた矢先のこと、突然の再来日のニュースに、前年と同じく試験の時期と重なっていたものの、当然留年覚悟で(今度は広島公演はなかったので)大阪まで行きました。

アンコールを入れて3時間半では最終の新幹線は無く、同行した西ノ宮の友人宅に泊まりました。友人の姉がピアノを弾きながらキャロル・キングかなにかを歌ってくれたのを思い出しました。当時の来日公演の会場には必ず超ロングヘアーの外人のグループがいて開演前は大騒ぎをしていたものですが、演奏が始まると日本人の聴衆に合わせて(?)おとなしくしていました。でも来日公演のブートには必ず連中の掛け声が入っていますね。
一曲目はRock'n Rollでしたが、4曲目Misty Mountain Hopから怒濤のごとくSince I've Been loving Youが始まった途端、涙が流れて止まりませんでした。コンサートで泣いたのは初めてでしたので、自分でも驚きました。
また、Whole Lotta LoveメドレーのなかのBluesでのギターとヴォーカルとのスリリングな掛け合い、メドレーの中にプレスリーの(唄い方もそっくりだった)Heart Break Hotelが出たのも驚きました。当時の日本人ロックバンド(G.S.以外)は不動のスタイルで演奏していたのに、驚くべきステージアクションもあり、フェスティバルホールから歩いて大阪駅までの帰路、Robertのステージアクションの真似をしながら帰ったものです。

やがて1980年9月、朝日新聞紙上にてボンゾの死を知り、同12月朝日新聞にLed Zeppelin解散のニュースが載り、同じ頃ジョン・レノン射殺の記事が載った夜か翌日の夜、我がK市にてJeff Beckのコンサート(Ds.はサイモン・フィリップス)があり、現在の私の妻を含めた4人はコンサート帰りに相当量の酒を飲んだのは云う迄もありません。


 ファンクラブ会報「THANK YOU」より

リサーチ、Mrプラントに会見成功

・・・とML風にせまってみたけれど。取材権もなく会うことも公に許されず、潜り込み+ねばりでやっと会えたわけなのである。今回は主催ニッポン放送、ウドー、
後援ML、平凡パンチ。その他大手(宣伝力のある)の雑誌しか会見は許されていない。無力の私たちは他のファンの女の子たちと一緒にホテルにねばっていた。29日テストを終えて11時50分に赤坂見付でスタッフの本多さんと待ち合わせた。11:30頃来日との事で飛行場には、警官も来るというし、テストで間に合わないからホテルへ直行。
20分も待てば羽田から来ると思ったらウソで、2時になっても来ない。(ここまで待っているのも、すごい労力を要する)「サインなら外で待っていて下さい。」と追い出そうというので、こわい顔して「サイン?」と聞き返したら、隣の子に「あなたは、どなたをお待ちですか?」という。その子が「お友だちです。」というと「サインだったら外へいって下さいヨ。」といって離れていった。それからいつ何どきこういう事があるかわからないから、ビクツイて座っている。そのうちオナカがすいてきた。お昼食べていないから。ティールームへ行く事にした。その間にロビーを通るのではと不安な気持ちだったけれど。3人でメニューを見てワッフル3つとミルク、コーヒーを2杯を飲む。おいしかった。1人が席をはずしたので2人で待っていると、プロモーターウドーの社長とローディーがやってきた。「ギョッ。」「まずい。」顔を覚えられてマークされたら。すると隣のテーブルについた。こわくて盗み聞きする力もなかった。(残念)おびえていると、なんとしたことか、プラントが入ってきた。すると先の2人が向こうへ行こうとカウンターの方へ行ってしまった。2人でどうしようとウロタエてしまって、コップを倒しそうになったり、資料をガサゴソしたり。ええい、いっちゃえ。たとえウドーにどなられても、本人がいるんだもの。運だ。
 最初ウドーの人のところに頼みにいこうとして「あのう」といっても、聞こえないふりをしたので、強硬手段で直接プラントのところへ行った。今回のローディーは、いじわるで有名で、いやな顔してにらんでいた。で、まあ、ツェッペリン・リサーチですといって会誌(ちゃんと英語に訳してあるのだ)をわたして、NHKでやったスーパーショウのカラー写真を18枚程と去年来日したときのを1枚わたしたのだけれど、ロバートは機嫌が良くて、シャツのボタンも止めないでひっかけていた。去年のレセプションでもスープを飲んだけれど、今回もスープをたのんだ。それで写真の説明や会誌の説明をしたりなんかしていたら、「あっちへいかないと、もう会わせないよ。」とウドーの人がえばっていうのでロバートにいいつけてやったのダ。でもZeppに帰っちゃえば関係ないけど、こっちはヤバイので「平気だよ。ここにいなさい。」とロバートがいうのを振り切って「ロビーで待っている。」といってティールームを出て、側のロビーの椅子で待っていたわけ。ウドーの人たちが出ていってあとは自由にさせようといって通り過ぎていってから、しばらくして出てきたのです。もう忘れて部屋にいってしまうと思ったら、チャーンとこっちに向かって歩いてきたので、エライなあと思ったのです。それでもって、質問用紙を出して(答えを書いてもらうつもりでなくて、さっきこちゃこちゃいったことをはっきり書いてもらおうとした)みたら、さっさと答えを書き始めたのです。それが後のページのANSWERであります。それで数人のファンに囲まれはじめ、一緒にいろいろ話をしてから立ち去りました。

それから、ペイジに会おうと思ったのだけれど、ローディーに頼んで、廊下で待っていたら、どういうわけか、又、プラントさんがエレベーターから出てきたのでハズカシクなってしまったのです。“AGAIN SEE YOU!”なんて、笑いながら言いましたが、ここで「ペイジさん出してヨ。」というのもナンだと思ってやめといたのであります。(やれば良かったと残念だけど)ところがローディさんは酔っていて、話にもならなかったのです。こわいので逃げ出しました。待っている間にもボーイが追い返そうとしたし。最初から取材権がもらえれば、こんなミニクイ目にも会わんのに、サスガ中小企業。
 ロビーでローディに会ったら、プラントさんに渡した会誌や写真を借りたものだと思ったらしくて、我らに押し返していきました。そこで、シツコクも(シツコクて
嫌われるのも覚悟で)、プラントさんに又、会ったので「これはあげたのです。とっといて下さい。」といったら、ちゃんと受取ってくれたわけです。そしてペイジさ
んは結局、出歩かないヒトなので会えないと思って、ジョンジーさんに残りを渡しました。ジョンジーさんは、こっちが説明しないうちから、“レッド・ツェッペリン
・リサーチ?”といって喜んで、写真も見ていたゾ。エレベーターのところで見ていて、エレベーターがきたので、あっどうなるかなと思ったら(その瞬間サインを求
めた子がいたので)、片足をつっこんでドアを押し開いたままサインして“バーイ”といって去ったのです。2日、3日とまあ、こんなカンジでやったのです。4、5日は
こちらも休みまして、9日までの間Zeppの連中は、香港に遊びに行きました。すごいエネルギー!!
9日には、朝っぱらからスタッフと待ち合わせてヒルトンホテルへ。なにしろ、大阪へ行く日であります。Zeppが飛行場へ行くのを見送ってから、ゆっくりと、新幹線で新大阪へ行くつもりでありました。ところが、どうゆーわけか、急にZeppも新幹線に変更ということになり(何せ連中は新幹線が大好き)、「エーッ」という感じ。でもそこまでついていくのもなんだし、どうせタクシーがどんどん引き離されると思って、連中の次の号になると思っていたのです。連中がホテルからタクシーに乗って、我々は次の次くらいのタクシーで東京駅へ。当然すぐに連中のタクシーは見えなくなりましたが、駅に着いたら、Zeppがタクシーをおりているところ。何となく「追いかけてるわけじゃないぞゾ。」という雰囲気で、別のところへ行くよーな顔で、離れていたのですが、心の中で見張っておりました。ホームへあがっていくエスカレーターでは後にくっついて乗っておりました。そうしてもちろん連中はグリーン車(9号車)です。我々はいちばーん前の1号車に乗り込んだのです。離れているとはいうものの、同じ列車。「ホテルではファンが群がっていて疲れているだろうし、退屈な列車の中でペイジに会見するには、最後のチャンスではないだろうか。しかし、ウドーの人達も、バッチリついとるゾ。」意を決して、とことこ歩いていったのですが、恐ろしくて(何しろヒルトンでウドーの人達が怒ったので)なかなか入れない。「どうしよう。きっと怒るよ。」連中が寝ていて、こわい人達だけ起きていたらおしまいだ。そう、入口には、ちゃーんと見張っていて、たぶん荷物を。「今、みんな寝てるよ。」といわれたのですが、「じゃ、後にしようか。」とかいっているうちに、間違えて何回も自動ドアのシートを踏んじゃったのです。すると急に右側に座っていたおじさんが、こわい顔して、何も言わずに足でドアを“ガン”と一発蹴ったのです。もう、驚いて、こわくて、何でこんな事しなくてはいけないんだろうって悲しくなったのです。でもサインとかは、去年貰ったし、誰だって出来るし、どうしても、ゆっくり、ペイジに話して質問したいと思ったのです。何回も間違えて踏んだので、プラントが起きたので、入ってみることにしました。
“Oh,Led Zeppelin Research”とペイジさんが言ったので、2人ともやっとオボエタか、と思った。で、ペイジさんに、これを書いてと紙を渡そうとしたら“Tell me
What you want,deahing”と言ってわざと顔を近づけてプラントが言うので、「ペイジさんにこれを。」と強調していったのです。その間にペイジさんは、めずらしそうに、衿につけていたトウモロコシのブローチをさわってました。ものすごい天使のような顔で寝ていたヒトです。で、会誌を渡していろいろ言っていたら、急に車掌さんが来て、「迷惑なるので外でやって下さい。」とオソロシク言ったので、外へいったのです。1号車といって、ふて寝していたら、誰かが肩を叩くので、もう着いたかなと思って、目を覚ましたら、リチャードさんというヒトで、Zeppからレポート用紙とボールペンを頼まれて届けに来たらしいです。驚いて、言葉も出ないうちに帰って行きました。3人共寝ていたので、ハズカシイかぎり。わざわざ1号まで捜して歩いてくれたのです。

大阪グランドホテルは、フェスティバルホールの隣でありました。白井君をはじめ、リサーチの会員も東京から数人ばったり顔を合わせたりして「みんな好きだなあ。」と互いに驚く有様。
 すっかり疲れた私達は、ゆっくりしようということで、だらだらしました。狭いロビーで、しょっ中、プラントが出入りしていました。私達は9日はコンサートに行く
予定でなかったけれど急に、5時50分頃に当日券を買いに隣に行って、再び連中が出て行って、私達も行きました。
 大阪フェスティバルホールはとてもいい。これは大阪コンサートへいった東京勢が誰でも言うのだけれど、客種もいい、もちろん、使用目的がれっきとしたコンサートホールなので音も良い。同じ¥3,000でも席だっていい。武道館は沢山の人が入る。どうでもいいって人までも券を買って入るから、全体的に客がスレてきた。ところが大阪は、1,2年前の東京って感じで、素直なロックファン。かっこつけて、文句ばかりいっている東京と違った。これじゃアーチスト自身大阪でノルのも当然。コンサートも良かった。プラントとペイジが、一緒に踏んだステップを忘れられない。今度の新曲もとても良い。ニューアルバムを楽しみにしているファンが沢山いる。投稿にも、去年の方が良かったという声が多いけれど、京都を除いては、そうは思えない。やっぱりZeppが一番と思ったのだけれど。
 ホテルでは、ばっちりジョンポとエレベーターで数回会ったが、ちゃんといつもグルーピーがいて(東京のゴーゴーガールで、ジョンポの方がオネツ。セカンドワイフにしたいとのこと)、「グッ、邪魔しやがって。」と言いたいのを押さえている顔なので、何も話さなかった。彼は写真やファンが嫌いなのである。
 12時過ぎになると例のところへ行って遊んでくる。そして翌日もコンサートなのだ。
 10日は連中はタクシーで京都へ。こっちは国鉄のフリー切符で40分程で京都に着いた。スタッフは、あのひどいコンサートを見てしまったのだけれど、幸か不幸か、私はおばあちゃんの家で、ゆっくり休んでいた。大阪が良かっただけで、何となく、それでいい、それ以上変なのは見たくないと思ったら、やっぱり、東京のビブロスで早く遊びたいために、1時間半のコンサートをうわの空でやってのけた。アーチストとしては最低だよね。

Chie

会員による会見記のオマケ

KNさん

・多分初めてレポートいたします。
会報12月号(72")が無事に私の家に届きまして喜びに泣き伏せトボトボとおメメをこすって会報を1pageづつ苦労して読解していったのであります。
すると“リサーチMrプラントに会見成功”が目に入りさらに読解して行って9pageに達した時、Zepp4人いれども私の最も愛するジョーンジーさんことジョン・ポール・ジョーンズ様のことがちびしっと書いてあったでしょう?ホラRの発音が100点とかいうKさんの感想が、あれをたどっていくとエレベーターのところにジョーンジーさんがいて写真を見てたら“サインを求めた女の子”とは私のこと(ハズカシー!!)
私はKさんがいたことは知っていた(ジーンズはいてた方、スカートの方はザコ)(ワーン、ザコザ私なのだ。Kさんなのだ。エーン!)だけど会報に書いてあったのはまちがっているはその真相をお話ししよう!!ジャーン
ジョンジーさんはupのエレベーターボタンを押してエレベーターを彼は待っていたのです・・・・・・・・・・・・。
その前に私の前を彼が通り過ぎて行ったとき私は信じられなくて(二度目の再会)足が動かずエレベーターのところへ彼がついたとき、あわてて72年のサインを求めてしまった。彼はやさしかった。エレベーターが来ちゃって入ろうとしたのに私たちがしゃべれぬEnglishを必死に露出して、Wont you please Write your Name,などとすかしてみたら、どういうわけか通じて喜んでサインに応じてくれた握手もついでにしてくれたあったかい手だった・・・・(思い出しても涙する)・・・・ウーン感じちゃう

●その時、(ここから真相)エレベータに足をつっこんではなかった。彼は“さきに行って下さい”と言ってエレベーターボーイに先に行かせて私のサインに応じて、なにかいっしょうけんめい私にきいてきたけど、あまりの発音の良さに聞き取れず私はニコニコしてただけそして会報には“バーイ”と書いてあるが彼は“see you again”と言った。最後の言葉なのだ。29日はZeppメンバー全員と会えて私は幸せそのもので夜は眠れなかった。
それから運か不運か彼のグルーピーとかいうペコという女には全く会えなかったのです。以上が真相ですよ、リサーチのみなさん!
K会長コケにしてゴメンネ!!許して!!スキスキ!!だけど正確に!!明確に!!  ではでは。

P.S ジョーンジーは写真とファンが嫌いとおっしゃいますが私は彼のお部屋でお話できましたよ!30日の日プレゼントあげたらものすごく喜んでくれてつれてってくれたの2階の?の間、通訳つきでお話しましたよ。やさしい人だったのに!いろいろ聞かされたのです。私は聞こうとしたこと彼の顔を見てて全部忘れちゃったので私からはきけなかった!くわしくはつぎにレポートしてもいいですよ!だけど私Zeppのメンバーにガキあつかいされたのです。ジョーンジーもガキだと思ってつれてってくれたのでしょう。ロバートとジミーはニヤニヤしてからかうのだ。くやしい、けどうれしい。
今もあの日を思うと受験勉強も身に入らないありさま。

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