Led Zeppelin ヒストリー


1944年1月9日ジミー・ペイジ(ジェイムズ・パトリック・ペイジ)ミドルセックス州へストンに生まれる

1946年1月3日ジョン・ポール・ジョーンズ(ジョン・ボールドウイン)ケント州シドカップで生まれる。

1948年5月31日ジョン・ヘンリー・ボーナム、ウスターシアーにて生まれる。
8月20日ロバート・アンソニー・プラント、スタッフォードシャー州レディッチに生まれる。

1957年 ジミー・ペイジ,両親からスパニッシュ・ギターをプレゼントされる。

1960年 ジョンポールジョーンズ、初めてベースを手にする。

1961年ロバート・プラント、髪を伸ばしロックンロールに夢中になる。父親から度々ブルーズ・クラブに連れていってもらうようになる。

1962年 ジョンポールジョーンズ、スタジオミュージシャンになる
ジミーペイジ、「ニール・クリスチャン&ザ・クルセイダーズ」に加入。

1963年 1月 ジミー・ペイジ初めてレコーディングに参加。ジェット・ハリス&トニー・ミーハンの「Diamonds」。
10月 ジミー・ペイジ、「カーター・ルイス&ザ・サザナーズ」のシングル「Your Mamma's Out Of Town」に参加。いくつかのラジオ番組に出演する。 ジョンポールジョーンズ、ジェット・ハリスとトニー・ミーハンのバンドに入る。

1964年 ロバート・プラント両親のすすめで公認会計士の勉強を始めるが、結局家出をする。
4月ジョン・ポールジョーンズ自分のソロシングルを作る。「Baja/A Foggy Day In Vietnam」バート・プラント、「アンディ・ロング&ジ・オリジナル・ジェイメン」「ザ・ブラック・スネイク・モウン」、「ザ・クロウリング・キング・スネイク」で活動。
ジョン・ボーナムはじめてバンド活動を行なう。「テリーウエッブ&ザ・スパイダース」
ジョンポールジョーンズ、ジミー・ペイジ共に、スタジオのセッションマンとしての地位を確立する。

1965年ジョン・ボーナム「ア・ウエイ・オブ・ライフ」加入。パット・フィリップスと結婚 サニー・ボーイ・ウイリアムスンUのバーミンガム公演で、ロバート・プラント,楽屋に忍び込んでハーモニカを盗む。
1月ジミー・ペイジ、サニー・ボーイウイリアムスンUとセッション。
2月ジミー・ペイジ、ソロ・シングル 「She Just Satisfies/Keep Moving」 リリース

1966年 6月ジミー・ペイジ、ヤードバーズに加入。
10月ロバート・プラント、リスンのシングル「You Better Run/Everybody's Gonna Say」でリード・ヴォーカルをとる。
11月ジェフ・ベックがヤードバーズを脱退。ジミーペイジがリードギタリストになる。
12月ジョンポールジョーンズ、オリンピック・スタジオでヤードバーズのレコーディングに参加。「Little Games」のストリングス・アレンジを手がける。

1967年ロバート・プラント、「ザ・バンド・オブ・ジョイ」でジョン・ボーナムと出会う。
3月ロバート・プラント、ソロ・シングル「Our Song/Laughung ,Crying,Laughing」をリリース。  
ジェフ・ベックがシングル「Hi Ho Silver Lining」をリリース。B面にはペイジの作品「Beck’S Bolero」を収録する。
8月ヤードバーズ「Little Games」をアメリカでリリース。その後、「White Summer」を収録。
9月ロバート・プラント、ソロ・シングル「Long Time Comming/I've Got A Secret」をリリース。

1968年1月バンド・オブ・ジョイ、ロンドンのミドル・アースにレギュラー出演。
3月ジョン・ピールのラジオ番組「TOP GEAR」で、ペイジのニュー・ヤードバーズの曲「I'm Confused」のセッションがオンエアされる。
4月ジョンポールジョーンズ、ペイジとドノヴァンのHurdy Gurdy Man」で、セッション。結成の噂のあるペイジのニュー・グループについて慎重に考えるべきだと意見を言う。
5月バンド・オブ・ジョイ解散。ロバート・プラントはマーキー・スタジオでデモ・テープをレコーディング、ジョン・ボーナムはティム・ローズとツアーに出発。
6月2日ヤードバーズの最後のレコーディング・セッションがニューヨークのCBSスタジオで行なわれ、ペイジの「Tangerine」が演奏される。
6月5日ヤードバーズ、アメリカでの最後のギグがアラバマで行なわれる。
6月22日キース・レルフとジム・マッカーティがヤードバーズを脱退したと報道される。
6月ロバート・プラント、アレクシス・コーナーとレコーディング。ジミー・ペイジ、ジョー・コッカーとオリンピック・スタジオでレコーディング。  
7月7日ヤードバーズの最後のギグがルートン工業大学で行なわれる。
8月ジミー・ペイジ、クリス・ドレア、ピーター・グラントは、バーミンガム師範養成所でホブストウイードルと共演するロバート・プラントと出会う。この時,以前ジョー・コッカーのセッションでペイジと仕事をしたことのあるプロコルハルムのB.J.ウイルソンと無名のポール・フランシスは空席となっているヤードバーズのドラマーのポジションに誘われていた。
ロバート・プラント、パングボーンにあるペイジ宅を訪れた後、ニューヤードバーズのヴォーカリストとして仕事をしてほしいと申しこまれる.
クリス・ドレア、ヤードバーズ脱退。ペイジはジョンポールジョーンズをグループに誘う。
ジョン・ボーナム、プラントの推薦でニューヤードバーズに加入。
8月12日ロンドンのジェラード通りで4人ではじめてリハーサルを行う。
9月7日デンマーク、Gladsaxeを皮きりにスカンジナビアツアーが始まる。
10月25日ニュー・ヤードバーズ」というグループ名を改めステージで「レッド・ツェッペリン」と名乗る。
10月オリンピック・スタジオにてファースト・アルバムのレコーディング。はじめてステージを行う。
11月9日プラント、ロンドンでモーリンと結婚。
11月ピーター・グラント、アトランティック・レコードとレッド・ツエッペリンに関する世界的な協定を取り決め、スーパーハイプ音楽出版社を設立。
12月26日初のアメリカ・ツアー開始。
1969年 1月 17日アメリカでファースト・アルバム「LED ZEPPELIN」リリース



2月2日アメリカツアー幕を閉じる。
3月19日スカンジナビア・ツアーの模様が30分番組としてデンマークで放映される。
3月21日BBCの番組「HOW LET IT IS」にて、「コミュニケーションブレイクダウン」を演奏する。
3月23日ジョン・ピールのラジオ番組「TOP GEAR」で初のラジオ・セッションが行なわれる。
3月25日映画「SUPER SHOW」のためのフィルム・セッションが、ステインズにて行なわれる。
3月28日 イギリスで「LED ZEPPELIN」発売。
5月USツアー続行。  セカンドアルバムに向けてのレコーディング・セッション開始。
6月BBCラジオ・ワンのためのセッションがエオリアン・ホール、ロンドンメイダ・ヴェイルでレコーディングされる。
6月28日「Bath Festival」出演。 
6月29日ロンドンのロイヤルアルバートホールで「Pop Proms」に出演
7月5日3回目のUSツアー開始。 セカンドアルバムのためにレコーディングも重ねて行なわれる。
8月USツアー幕。
9月短いオフ。セカンドアルバム完成。
10月フランスツアー  
10月17日4回目のUSツアー。ニューヨークのカーネギーホール初出演の初のロックグループとなる
10月31日「LED ZEPPELIN U」リリース。



11月8日USツアー幕。
11月サード・アルバムのためのレコーディング。オリンピックスタジオで開始
12月11日「LED ZEPPELINU」のゴールドディスクとプラチナディスク授賞式。
1970年1月7日UKツアー,スタート。
1月9日ロイヤルアルバートホールでのギグが企画もののツェッペリンTVドキュメンタリー番組のために収録される。
2月ロバートが交通事故のため顔を負傷。エジンバラ公演中止になる。
2月21日ヨーロッパ・ツアー。フォン・ツェッペリン伯爵側から名称の無断使用の事で法律的な圧迫を受ける。そのため「ザ・ノッブズ」と名前を変えた。
3月13日ヨーロッパツアー,幕。
3月21日USツアー、スタート。
4月4日BBCのジュリー・フェリックスのショウにジミー・ペイジが出演。「White Summer」「Black Mountain Side」を演奏する。
4月6日メンフィスで名誉市民の称号を受ける。 
4月19日USツアー,幕。
5月ロバートとジミーはサード・アルバムのための曲作りと準備のためブロンイアーのコテージに入る。その1ヶ月後にグループはハンプシャー州のヘッドリー・グレンジでレコーディング開始。
6月オリンピク・スタジオにてレコーディング・セッション。
6月20日21日アイスランドのレイキャビクでウオーミングアップ。
6月28日Bath Festivalに出演。
7月9日ドイツツアー,スタート。
7月〜8月上旬アイランドスタジオにてサードアルバムのための追加レコーディング。
8月5日USツアー,スタート。
9月19日USツアー,幕。
9月27日メロディー・メーカー誌の年間人気投票でビートルズを押さえて1位に。
10月23日「LED ZEPPELIN V」リリース。
11月サード・アルバムのためのレコーディング。オリンピックスタジオで開始
12月11日「LED ZEPPELINU」のゴールドディスクとプラチナディスク授賞式。



11月〜12月オフ。アイランド・スタジオで4枚目のアルバムのための最初のセッシヨンが行なわれる。
1971年 1月ヘッドリーグレンジでの4枚目のアルバムのレコーディングのために、ローリングストーンズ所有のモービルスタジオを持ちこむ。
2月14日ロンドンで開催された「Disc&Music Echo」の授与式に出席.投票の結果。「World Top Band」に選ばれる。
3月5日UKツアー、スタート。
3月23日UKツアー、幕。
4月4日3月にロンドンのパリス・シアターでの模様がBBCのラジオ番組「IN CONCERT」で放送される。
5月ヨーロッパ・ツアー開始。
7月3日ヨーロッパ・ツアー幕。
8月19日USツアー、スタート。
9月17日USツアー、幕。
9月28日 初来日公演。5日間のステージを行う。
11月11日UKツアー、スタート。
11月12日4枚目のアルバム、リリース。



11月20日21日「Electric Magic」に出演。
12月15日UKツアー、幕。
1972年2月予定されていたシンガポールのコンサートが彼等の髪が長すぎるという理由で入国を拒否され,中止になる。
2月16日オーストラリア・ツアー、スタート。
4月〜5月5枚目のアルバムのためのレコーディング・セッションが、スターグローブス(ミック・ジャガーの別荘)とオリンピック・スタジオで行なわれる。
6月6日USツアー、スタート。
6月28日USツアー,幕。
8月〜9月オフ。
10月2日2度目の来日公演スタート。6回のステージを行う。
10月28日29日モントルーのカジノでライヴ。
11月30日UKツアースタート。
1973年 1月30日UKツアー幕。
3月3日ヨーロッパツアー、スタート。 
3月26日 「聖なる館」リリース。



4月2日ヨーロッパツアー、幕。
5月4日USツアー,スタート。
6月23日ジョー・マソッド映画撮影を開始。
7月27日28日29日マディソンスクエアガーデンでのUS最終公演。映画の撮影が行なわれた。
10月ジョー・マソッド、それぞれの家で各自の単独シーンの撮影を開始。
11月6枚目のアルバムのための最初のセッションがヘッドリースタジオで行なわれた。
12月ジョンポールジョーンズ、プロデュースしたメードライン・ベルのアルバム「Comin Atcha」のプロモーショのためBBCにベースプレイヤーとして出演。
12月10日11日ジミー・ペイジが山を登るシーンをネス湖付近で撮影。
1974年1月アトランティックと再契約。将来にわたるレッド・ツェッペリンのレコードは発売元はアトランティックにした自己レーヴェルからリリースする事を発表した。
グループを脱退しようか悩んでいたジョンポールジョーンズが復帰。6枚目のアルバムのためのセッションがヘッドリーグレンジで再開される。
2月14日ジミー・ペイジ、ロンドンのレインボウでロイ・ハーパーと共演する。 
3月新しいレーベルは「スワンソング」と決定する。
4月 スワン・ソング、バッドカンパニー、マギー・ベルと契約。
5月ニューヨークとロサンゼルスでスワンソング事業開始のレセプションが行なわれる。
メンバーはLAフォーラムのエルビス・プレスリーのコンサートに行き、プレスリーと会見する。
6月オリンピックスタジオでミキシング・セッション。以前のアルバムのアウト・テイクも収録する。
7月ジョー・マソッドの代わりに映画監督についたピーター・クリフトンはメンバーと共に撮影を進める.
8月31日ジョンポールジョーンズ、ハイドパークのフリーコンサートでデイブ・ギルモアとスティーブ・ブロウトンのバックバンドに参加。
9月ジミーペイジバッド・カンパニーのコンサートに参加。
9月14日メンバーはウエンブリースタジアムでのCSN&Yのコンサートに参加。
10月31日スワン・ソング、ハロウイン・パーティで正式に発表。
12月21日ジミーページとジョンポールジョーンズはロンドンのバッドカンパニーのコンサートに参加する。
1975年1月11日12日USツアーのウオーミングアップのためのコンサートを行なう。ブリュッセルのバック・ステージでロバート・プラントはボブ・ハリスからインタビューを受ける。その時の模様はテレビで放映される。
1月18日USツアー、スタート。
2月24日 「フィジカル・グラフィティ」リリース。



3月27日USツアー幕。
5月17日ロンドン、アールズコートでの5日に渡る巨大コンサート開催される。
5月26日ロバート・プラントとモーリンはアガディールでオフを過ごすために出発。この旅行は後に「アキレス最期の戦い」の歌詞中に記述される。
6月プラントとペイジ「MorrocanFolkFestival」参加のためマラケッシュで合流。
7月プラントとペイジはカサブランカ、タンジールを通り、「MontreuxJazzFestival」で他のメンバーと合流。その後、ロードス島に戻る。
8月3日ペイジはイタリアを離れ、リハーサルの計画を立てる。
8月4日ロバートとモーリンはロードス島から帰る途中、運転していた車が道を外し木に激突するという事故に遭う。モーリンはロンドン、ロバートはジャージー島で療養する。 
9月ツアーをキャンセルし、ロバートはマリブに移る。ペイジもあとに続く。ニューアルバムのための曲作りが行なわれる。
10月ハリウッドのSIRスタジオで、レコーディングのためのリハーサルが行なわれる。 
11月ミュンヘンのミュージックランド・スタジオで18日でレコーディング。    
12月10日ジャージー島に移動。グループはビーハンのウエスト・パーク・ナイト・クラブに飛び入り出演。
12月24日全員帰国。
1976年1月1日 ロバート、パリで初めて松葉杖なしで歩く。
1月ロバート、ニューヨークで、インタビューの取材に応じる。ペイジはエレクトリック・レディ・スタジオでミキシング。
3月ジミー・ペイジ、スワンソングの事務所で一連のインタビューを受ける。 
4月 5日「プレゼンス」リリース。



5月23日ロバート,ペイジはLAフォーラムでのバッドカンパニーのステージに、出演。
6月19日ロバート「Cardiff Rock Festival」に出席。
8月ペイジ、トライデントでサウンド・トラックアルバムのミキシングを完了させる。
9月12日ペイジ、モントルーのスタジオでプレイされたボーナムのパーカッションの曲をプロデュース。
9月ペイジ、ケネス・アンガー監督の「ルシファー・ライジング」用の音楽を三年かけて26分しか作らなかったので、担当をクビになる。
10月20日映画「The Song Remain The Same」がニューヨークのマンハッタンズ・シネマ・ワンで世界に先駆けてプレミアム公開される。
10月 22日映画「永遠の詩」のサウンド・トラックリリース。



11月2日ロバートとグラント、「The Old Grey Whistle Test」でインタビューを受ける。
「Dazed And Confused」のビデオ・クリップも放映される。
11月12日ロンドンでツアーのリハーサルを開始する。
1977年1月21日ロバートとボーナムはロキシーでのザ・ダムド、ジェネレーションX、イーターらのライヴに出かける。
2月24日ロバートがへんとう腺炎にかかり、27日から予定していたUSツアーが延期する。
4月1日USツアー、スタート。
7月23日オークランド公演後、ピーター・グラント、ジョン・ボーナム、リチャード・コールと親衛隊のジョン・ビン
トンらはビル・グラハムのスタッフと楽屋裏で乱闘となる。
7月25日オークランドの1件で暴行罪に問われることになる。
7月26日ニューオーリンズへ移動。ロバートの5歳の息子カラックがウイルス性の病気で急死したことを知らされる。
すぐに帰国。残るツアーはキャンセルされた。
8月14日ペイジ、プランプトンのハーフ・ムーンでロン・ウッドとチャリティーギグを行なう。
9月ペイジ、WEAの経営会議でリヴァプール・エクスプレスのビリー・キンズレイ、カール・サイモンズ、フィル・
カーソンらとジャム。
10月ペイジ、スワンソングの事務所で、インタビューに応じる。
1978年2月16日オークランドの1件で執行猶予つきの判決になり、実刑は免れる。
5月メンバーはフォレスト・ディーンのクリアウエル城で再会。今後について話し合いリハーサルを行なった。
7月ロバート、ウルバリーホールでミッドランズのいくつかのバンドの演奏に参加。
8月ロバート、イビザ島でドクター・フィールグッドと共演。
9月15日ロバート、ジミー、ジョーンズの三人はリチャード・コールの結婚式に出席。
9月16日ロバート、バーミンガム・タウン・ホールのダイヴ・エドモンズのライヴで、アンコールで共演。
10月ジョーンズとボーナム、ロンドンのアビーロード・スタジオで行なわれたポールマッカートニーの「Rock−estra」のセッションに参加。
10月ロンドンでアルバムのためのリハーサル。
11月1日ロバートとジョーンズ、フルハムで「Golden Lion Rock Raffle」に出演。
11月6日レコーディングのため、ストックホルムのポーラー・ミュージック・スタジオに向けて出発。
12月一旦レコーディングを終了。ペイジは自宅でミキシングをする。
1979年2月ポーラー・スタジオに戻り、ミキシング・セッション再開。
5月ロバート、ストールブリッジでメルビンズ・マロウダーズと共演。
6月9日ロバート、BBCのラジオ番組「Rock On」でインタビューを受ける。このプロジェクトは2年続く。
6月26日メンバーはハンマースミス・パレスでのロックパイルのギグとクラレンドンでのアフターパーティに出席。
7月4日プレイ・スタジオにてリハーサル。
7月19日ペイジ,ロンドンの事務所でインタビューを受ける。
7月23,24日コペンハーゲンのフォルコネル・シアターでライヴ・リハーサルを行なう。
8月4日ネブワース初日
8月11日ネブワース2日目
8月20日 「イン スルー ジ アウト ドア」リリース。

12月2日ペイジ、ブライトンでのポール・マッカートニー&ウイングスのギグに出演。
12月12日ロバートとボンゾ、ウイングスのバーミンガムのライヴに飛び入り。
12月29日ロバート、ジョーンズ、ボンゾの3人はウイングスのロンドン・ハンマースミス・オデオンのカンプシャー
救済コンサートに出演。ロバートはロックパイルと「リトルシスター」を演奏。さらに3人でポールとロッケストラの
フィナーレに登場し、出演者と共演。
1980年2月3日ロバート,バーミンガム・トップランクでロックパイルとジョイント。
3月ボンゾ、テレビ番組「Alright Now」でインタビューを受ける。
4月27日ヨーロッパツアーにむけてレインボウ・シアターでリハーサル開始。
5月5日ニュー・ヴィクトリア・シアターにてリハーサル。
5月18日シェパートン・スタジオにてリハーサル続行。
6月17日ヨーロッパ・ツアー、スタート。
7月7日ヨーロッパツアー幕。
8月オフ
9月USツアーのためにジミーのウインザー邸に集合。
9月24日ボンゾ合流。
9月25日ジョン・ボーナムの死亡が確認される。
9月27日以降全てのスケジュールをキャンセル。
10月10日 ジョン・ボーナムの葬式がウースターのラショックで執りおこなわれた。
11月7日残されたメンバーはジャージー島で今後の事を話し合う.
12月4日レッド・ツェッペリン、以下のメッセージを残し解散。
「我々は、最愛の友を失いました。彼のご家族には深い敬意を払います。我々メンバーとマネージャーはともに、
分かちがたい絆で結ばれていたと感じています。彼を失い、バンドとしてこれ以上活動を続けていくことは不可能
であるとの結論に達しました。」

1981年3月9日ロバートプラント、ストールブリッジ・ワイン・バーにてハニードリッパーズで古いR&Bを演奏。
3月10日ペイジ、ジェフ・ベックのハンマースミス・オデオン公演のアンコールで彼と共演。
8・9月ロバート、ロックフィールド・スタジオでソロ・アルバムのレコーディング。
9月ペイジ、映画「Death Wish2」のサウンド・トラックをレコーディング。
12月15日(ジミー・ロバート・ジョン・ピーター)ゴールデン・ライオン・フラムに演奏なしの出演
1982年2月15日「Death Wish2」、スワン・ソングからリリース。
3月レッド・ツェッペリン最後のアルバムのために、スタジオ・アウト・テイクのミキシングが始まる。
5月ロバートとペイジ、ミュンヘンでフォリナーのライヴで共演。
6月28日「Pictures At Eleven」リリース。
11月22日「コーダ」リリース。

11月ジョーンズ、ポールマッカートニーの映画「ヤア!ブロードストリート」に出演。
1983年5月23日ペイジ、ギルフォードタウンホールでのショーのアンコールでエリック・クラプトンと共演。
7月11日ロバート、「The Principle Of Moments」リリース。
8月29日ロバート、USツアー、スタート。
9月20日21日ペイジ、ロイヤルアルバートホールでの「ARMS」救済コンサートに出演。
10月1日ロバートのUSツアー終了。
11月22日ロバートのUKツアー、スタート。
11月28日「ARMS」のUSツアー、スタート。
12月4日ブリストルのコルストン・ホールでのアンコール・ジャムでロバートとジョーンズ共演。
12月9日「ARMS」ツアー終了。
12月13日ハンマースミスオデオンのアンコール・ショーでペイジとロバート共演。
12月24日ロバート、UKツアー終了。
1984年2月ロバートワールドツアー。
3月ロバート、ニューヨークで「The Honeydrippers Vol.One」の素材をレコーディング。
6月ペイジ、テットフォードでの「May Tree Fair」でロイ・ハーパーとギグ。アルバム・レコーディングも行なう。
6月5日ペイジ、ノッテンガム・ボート・クラブでイアン・スチュアーツ・ロケット88と共演。
6月24日ペイジ、ドルトムントでイエスのステージに出演。
7月16日ペイジ、イタリアで「Piotoria Blues Festival」に出演。
7月28日ペイジ、「Battersea Park Festival」でロイ・ハーパーと共演。
8月ペイジ、ポール・ロジャースとともにザ・ファーム結成。ノミス・スタジオにてオーディションとレコーディング。
11月12日ハニードリッパーズ、「The Honeydrippers Vol.One」をリリース。
11月23日ペイジ、ロンドンのロック・ガーデンでロイ・ハーパーと共演。
11月29日ザ・ファーム、ヨーロッパ・ツアー、スタート。
12月15日ハニードリッパーズ、アメリカのテレビ番組「Saturday Night Live」で演奏。
1985年1月ロバートはサードアルバムをレコーディング。
1月18日ロバート、ロールズホールでのチャリティコンサートのため、ハニードリッパーズを再編成。
2月11日ファーム、デビューアルバムをリリース。
2月28日ファーム、USツアー、スタート。
3月4日ペイジとロイ・ハーパーによるアルバム。「WHATEVER HAPPENED TO JUGULA?」リリース。
3月22日ジョーンズ、サウンドトラック「SCREAM FOR HELP」リリース。
5月9日ファームのUSツアー,幕。
5月ファーム、いくつかのUKのステージに出演。
5月20日ロバート、サードアルバム「SHAKEN’N’STIRRED」リリース。
6月10日ロバート,ニューアルバムのツアー、スタート。
6月13日ライブ・エイドにフィル・コリンズを加えて参加。3曲を演奏する。
7月23日ペイジ、ミードウランズの彼のコンサートでアンコールでロバートと共演。
9月10日ロバート、ツアー幕。
1986年1月レッドツェッペリンのメンバーは実験的レコーディングのため、バスのヴィレッジホールで再会。トニー・トンプソンがドラムスを担当。
1月ファームのセカンドアルバム、リリース。
3月14日ファームのUSツアー、スタート。
3月15日ロバート、ビッグ・タウン・プレイボーイズをフィーチャーしたチャリティー・コンサート「Heart Beat」がバーミンガムのNECで開催される。
5月28日ファームのUSツアー幕。
5月ジョーンズとロバート、ベン・E・キングのロンドンでのコンサートに出席する。
7月ペイジ、ニューヨークで開かれたレス・ポールの72歳の誕生祝賀会に出席。
9,10月ロバートとペイジ、ニュー・アルバムのレコーディングを計画。
1988年5月アトランティック40周年記念イベントにジェイソン・ボーナムを加えて参加。
1990年11月「LED ZEPPELIN 1968-1980」4枚組ボックスセット、「リマスターズ」(ボックスセットのダイジェスト盤」リリース。

1997年 「BBC セッション」リリース。

1999年 EARLYDAYS」リリース。

2000年 LATTER DAYS」リリース。

2003年 HOW THE WEST WAS WON」リリース。

2003年 「DVD」リリース。

2007年 MOTHESHIP」リリース

2007年映画『永遠の詩』のリマスターDVD&サントラCDリリース

2007年12月10日ロンドングリニッジにあるO2アリーナ(2万人収容)を会場に、アーメット・アーティガンさんのトリビュート・コンサートで再結成。
2012年12月10日「CELEBRATION DAY]リリース

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JIMMY PAGE*ジミー・ペイジ、ギター
ROBERT PLANT*ロバート・プラント、ボーカル ハーモニカ
JOHN PAUL JONES*ジョン・ポール・ジョーンズ、ベースギター キーボード
JOHN BONHAM*ジョン・ボーナム、ドラムス

 

 

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