K.Yさんの「こんなのあるよん」

70年代のコンサート・チケット・チラシ・パンフ その他

BECK.BOGART & APPICE

1973年5月18日 厚生年金会館大ホ−ル

71年72年と立て続けに来日を果したZEPのコンサ−トは生涯忘れられないコンサ−トになりましたが
72年10月10日,最終公演地である京都会館でのコンサ−トから約半年後,ついにジェフ.ベックを生で見る機会に恵まれました。
彼のギタ−プレイは常々ジミ−が絶賛していただけあって真に鳥肌モノでした。
ERIC CLAPTON

1974年11月5日 厚生年金会館大ホ−ル

  とにかく日本で見るのはほぼ絶望的。こうなりゃアチラに行って見るしかないと思っていた1974年夏,突然彼の来日が決定。
  ついに見られる。それも日本で。どれだけ長い間待ったことだろうかと思った人はメチャ多いはず。
  ステ−ジに表れたクラプトンはグラス片手に上機嫌。恐らく,すでにこの頃からアルコ−ル中毒だったのでしょう。
  タバコに火をつけ一服した後,ストラトキャスタ−のヘッドへと素早く,お決まりの位置にタバコを挟んだ瞬間,場内からは大歓声。
  初来日とあって大いに盛り上がったコンサ−トでした。お客の中には突然 「神様〜〜!」 と絶叫する人もいたくらいです。(笑)

ERIC CLAPTON

1975年10月24日 京都会館第一ホ−ル

75年ですが前年とは別人かのようにギタ−を弾きまくりオ−プニングからLAYLAを演奏するとは意外でした。
ERIC CLAPTON

1977年9月29日  京都会館第一ホ−ル

77年はアルバム「SLOWHAND」リリ−ス直後だったかと記憶してますがバックコ−ラスもイヴォンヌがすでに脱退してマ−シ−1人でした。
ERIC CLAPTON

1979年11月26日 京都会館第一ホ−ル

79年のコンサ−トは武道館でのコンサ−トが後日アルバムとして発売され何かと話題を呼びましたね。セカンドギタ−にアルバ−ト.リ−が参加。
彼が弾く自作の「COUNTRY BOY」での絶妙の指さばきは現在も鮮明に記憶してます。

DEEP PURPLE

1972年8月16日 大阪フェスティバルホール

別にZEPファンの方々にケンカを売るつもりは毛頭ありません。(笑)
この頃の日本ではロバ−ト.プラントとイアン.ギランは何かにつけてよく比較されてましたね。
  ひょっとして彼等は当日,リハ−サルに於いて大阪フェスティバルホ−ルの音響設備や音の反響の良さに驚いたのではないでしょうか?
  私は前年に於けるZEPの例があるのでパ−プルの連中も始めから当日の演奏が名演になることは,ある程度解ってました。
  何せココはクラシック界一流プレイヤ−,指揮者たちが絶賛する世界的に有名なホ−ルですからね。

  彼等が演奏を録音したことは大正解。後日ライブアルバムとして発売され世界的ベストセラ−になりましたね。
  そういう意味に於いてZEPも最初からやたらテンションが高く異常な盛り上がりで名演は約束されていた71年大阪初日の演奏を,もしもココで完全収録し
  後日ライブアルバムとして発表したならば ( 多分ジミ−のことですから抜かりなく録っているでしょうが)
ブ−トで有名な77年6月21日 L.A フォ−ラムでの音源を収録した「LISTEN TO THIS EDDIE」 また個人的には72年6月19日,シアトルでの音源を収録した
  「LIGHTBRINGER」以上のス−パ−ライブアルバムになっていたかもしれません。
EMERSON LAKE & PALMER , FREE

1972年7月24日,阪神甲子園球場

エマ−ソン達のアンコ−ル時にはグラウンド内にお客さん達が殺到しパニック状態でした。
ROD STEWART & THE FACES

1974年2月15日 大阪厚生年金大ホ−ル

フェイセスがステ−ジに現れたとたん,お客さん全員総立ち。そのままの状態でコンサ−ト終了まで続行。初めて見るロッドは何て華やかなこと。
RORY GALLAGHER

1974年1月28日 大阪厚生年金大ホ−ル

ロリ−.ギャラガ−はアンコ−ルも3回含め約2時間半強の大熱演。ギタ−の音色も個性的で,とにかく上手い人でした。
TEN YEARS AFTER

1973年5月19日 京都会館第一ホ−ル

京都会館の席順は後席から1列2列と順番に数が増えていきます。
よってTEN YEARDS AFTERのチケットは最前列真正面である1階36列34番。
私が初めて最前列,それもかぶりつき状態で見たロック.コンサ−トです。
特にコンサ−ト終盤,I`M GOING HOMEが演奏され私の体から約2メ−トルの距離で見るアルビン.リ−の迫力たるや,それはもう素晴らしかったです。
SLADO

1974年3月10日 京都会館第一ホ−ル

スレイドはT.REX やデヴッド.ボウイ等,イギリスでグラムロック華やかかりし頃にデビュ−したバンドですが,実際彼等の生音を聞くと
意外とタイトでストレ−トなロックでした。ボ−カリストであるノディ−.ホルダ−の歌は迫力がありサ−ビス精神豊富なショ−マンでした。
SUZI QUATRO

1974年11月20日 京都会館第一ホ−ル

ス−ジ−.クワトロのコンサ−トですが何故か関西公演は京都だけでチケットはすぐに売り切れた記憶があるのですが。。。
コンサ−トはアンコ−ル含めて約一時間半。ステ−ジ狭しとベ−ス弾きながら動き回り,お客さんのノリも良く熱狂の一夜でした。
LEON RUSSELL

1973年11月6日 京都会館第一ホ−ル

初めて生で触れるスワンプロック。レオンはSHELTER PEOPLEのメンバ−を引連れ,時には激しく,
反面まるで教会音楽でも聞いているかのように穏やかな雰囲気もあり
コ−ラスワ−クも見事で素晴らしいコンサ−トでした。またギタリストであるウェイン.パ−キンスも派手さこそありませんが,いかにもツボを抑えた見事なサポ−ト。
ちなみに彼はその後スト−ンズ76年作「BLACK AND BLUE」のレコ−ディングにも参加。収録曲「HAND OF FATE」で素晴らしいソロを聞かせます
JOHN MAYALL & HIS BLUES GROUP

1974年10月26日 京都円山野外音楽堂

この頃.京都の音楽シ−ンは地元WEST ROAD BLUES BANDの活躍もあり一大ブル−スブ−ムが巻き起こってました。
そんな時期に来日したジョン.メイオ−ル。京都では受けに受けてアンコ−ルも3回,拍手や歓声も鳴り止まず
元キャント.ヒ−トのメンバ−だったベ−スのラリ−.テイラ−も含めメンバ−全員ノリノリ。客席から見たメイオ−ルの顔は終始ニコニコ顔でした。
WORLD ROCK FESTIVAL

1975年8月6日 京都円山野外音楽堂

WORLD ROCK FESTIVAL出演者
ジェフ.ベック,ニュ−ヨ−ク.ド−ルズ,フェリックス.パパラルディ, 尚チケットに印刷されていた海外出演者以外にもう一組出演しましたが名前は忘れました。
バンドのタイプとしてはWISHBORN ASH系でした。国内からはクリエ−ション,ジョ−山中,四人囃子の森園氏,そして内田裕也氏

内田裕也氏プロデュ−スのイベントで当時は後楽園球場でも開催されましたね。
コンサ−トは順調に進みましたが,しかしコンサ−トに来たお客さんほぼ全員のお目当てであろうジェフ.ベック。
次はいよいよベックだという時に突然,ジェフ.ベックですが風邪をこじらせて残念ながら出演出来ませんという裕也氏のアナウンスがあり
怒ったお客さんたちが何処からともなく「金返せ!」の大合唱。裕也氏側もこれで終わらせるわけにはいかず,突然ド−ルズ側からもう一度演奏させてもらえないかということで
トリはド−ルズが務め何とか収まった次第。
FRANK ZAPPA

1976年2月4日 京都,京大西部講堂

一度は体験したいザッパとマザ−ズのコンサ−ト,それも京大西部講堂で見られるとは奇跡でした。
メンバ−全員恐ろしいほどの超絶テクニシャン揃い。ザッパが弾くソロはロックやジャズの概念を遥かに超えたところにあり,誰も到達していない,それこそ未知の領域に近くものであり
脅威的でした。私にとってこんな素晴らしいコンサ−トを見たのは初来日ZEP大阪公演ぐらい。それほど凄かった。


 70年代のコンサートのチラシ

*ステイタス.クォ−京都公演
1976年11月18日(木) 6:30PM 京都会館第一ホ−ル A \3,000 B \2,600 C \2,100 会員A \2,700 会員B \2,300 ,
会員C \1600
*ス−ジ−.クワトロ京都公演。
1974年11月20日(水) 6:30PM 京都会館第一ホ−ルS席\3,000 A席\2,900 B席\2,500 C席\2,100
サンタナ大阪公演


1974年12月7日(土) 12日(木) PM7:00 厚生年金会館大ホ−ル  S席\3,400 A席\2,800 B席\2,200 C席\1,600
ロリ−.ギャラガ−大阪公演


1975年1月28日 (火) PM6:30 厚生年金会館大ホ−ル  S席\3,200 A席\2,600 B席\2,100 C席\1,600
ジョン.メイオ−ル大阪公演


1974年10月27日 (日)  PM1:30 万国博ホ−ル  S席\2,800 A席\2,300 B席\1,800 ボ−ナスシ−ト(.2名) \5,000




コンサート・パンフ

    1966年, ザ.ビートルズ来日公演パンフレット
    ザ.ローリング.ストーンズ 1990年初来日公演パンフレット
    ジョ−ジ.ハリスン & エリック.クラプトン 1991年 日本公演パンフレット




京大西部講堂



京大西部講堂を訪れました。
別にコンサ−トがあったわけではなく,何だか急に行ってみたくなりましてねぇ〜。普段は講堂前の道を車で走ってますが,中へ,それも講堂内に入ったのは数十年ぶりです。

相変わらず天井はボロボロ,建物自体もかなり風化しており,でもそれなりに味のある建物でしてね。
さてさて講堂内に入って写真でも撮ろうかなと思い,中で何やら作業している学生さんに「すみません,写真撮りたいんですけど,よろしいでしょうか」と尋ねますと「ハイ,どうぞ。一向に構いませんよ。ご遠慮なくどうぞ」という返事が返ってきました。

それを聞いて私は何だかとても嬉しい気持になりました。というのは同じ大学生でも相手が誰であろうと,モノの言い方を知らない乱暴者が少なくないからです。もし,そんな人に当ったらゲッソリもいいとこ。しかしながら今回,私が尋ねた学生さんは非常に丁寧な好青年。さすが京大生ですなぁ〜。(笑)

思い起こせば16歳の頃から西部講堂で行なわれたコンサ−トにはプロ,アマ問わず見てきました。
場内には椅子はなく立ち見,コレがまた,この講堂が醸し出す雰囲気とピッタリで良いんですよ。冷暖房完備など西部講堂には無縁です。冬に行なわれるコンサ−トでは講堂入口前で日本酒の熱燗も販売しており,コレは大いに助かりました。お酒を飲みながら寒さを凌ぎ,観戦したこと多々有。

特に印象深かったコンサ−トは76年,フランク.ザッパ&マザ−ズの演奏。私はZEPを見た時以来の衝撃を受け,まさに最高の演奏でした。それに私は見ておりませんが,確か初来日したポリスも西部講堂で演奏したはずです。

一方,国内ア−ティストでは,つい最近,お亡くなりになった浅川マキさん,成毛滋グル−プ(もう1人のギタ−は柳ジョ−ジさん),桑名正博さんがいたファニ−.カンパニ−,村八分,PYG,そして多くのジャズメン達の演奏等,西部講堂には摩訶不思議なオ−ラが存在しているのか,皆さんそれぞれ名演でした。


(おまけ)
大阪フェスティバル.ホ−ルにてチケットを購入しますと当時はこのようなデザインの袋に入れ手渡されました。

 

 

ZEPの熱狂的なライブパフォ−マンスは映画にもなりました。これらのパンフレットはすべて劇場初公開時に入手したものです。
私は今でもこの4組を最も偉大なロック四天王と呼んでます。 どの映画も公開当時は満員御礼でした。
   

 



 

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