K.Yさんのコレクション&書き起こし

70年代,ZEPが表紙を飾った懐かしきミュ−ジックライフ 

  

  

M.L誌 ミニ.ニュ−ス

☆1970年11月号より
ツェッペリンの3枚目のアルバムは,イギリスだけの予約で6万枚を記録しました。
向こうの新聞によると,12月にオ−ストラリアと日本に行くって書いてあるんだけけど,実現してくれないかなぁ〜。

☆1970年12月号より
各国でツェッペリンVが評判上々で笑いの止まらないレッド.ツェッペリンの4人がまたまた,海外貿易議会からWHOLE LOTTA LOVEとLED ZEPPELINUに対してゴ−ルド.ディスクを受け,まさにゴキゲンという表現がピッタリですが,これに加えてアメリカでのM.S.Gの公演が2回共全て切符売り切れという好調さ。飛ぶ鳥を落とす勢いというのはこういう状態なんでしょうね。

☆1971年2月号より
ジミ−.ペイジはアメリカ公演の時,レス.ポ−ル.カスタムを盗まれたんですって。他に彼が使ってるギタ−を紹介すると,58年ギブソン.レス.ポ−ル(これはアメリカでジェ−ムス.ギャングのジョ−.ウォルシュからもらったもの) アコ−スティックにマ−チンD28,フェンダ−のペダル.スティ−ル.ギタ−,ア−ニ−.ボウル.ス−パ−.スリンキ−等でアンプは100ワットのハイワット。

☆1971年12月号より
牧場を持ちたいなんて言ってるロバ−ト.プラントはWORCESTERSHIREのウォルベ−リ−にあるブラックシャルに1千万円を投じて土地を買ったそうです。

☆1972年1月号より
「再び吹き荒れたツェッペリン旋風」
日本公演を終えて,思い思いに各々帰途に着いたツェッペリン。4枚目のアルバム,リリ−スと共に再び世界中にセンセ−ションを巻き起こしていますが,特に地元イギリスでは,まさに暑い嵐といった表現がピッタリする程で,さながらイギリス中がツェッペリン台風にスッポリ覆われてしまった感さえありました。
11月20日のウェンブレ−での初日に入れなくて,あぶれたファンがひきも切らず,とうとう翌21日,9.500人収容のエンパイア.プ−ル.スタジアムで追加公演を行ない,すぐにこの切符も売り切れたそうです。何しろ初日の切符は,発売開始後から54分で売り切れたというから脅威 ! その凄さが知れようというものです。
また,24日のマンチェスタ−のフリ−.トレ−ド.ホ−ルでは18時間前から延々,ファンが8マイルもの行列を作り,ここでもベル.ビュ−で追加公演を行なうという,メンバ−にとっては嬉しい悲鳴で,12月2日の最終公演まで,何処も超満員の盛況でした。
音楽関係の新聞は,どれもトップでこの模様も報じ,大々的に特集も組むなど,さすがツェッペリンと改めて関係者を唸らせるに充分な大成功を収めました。

派手な話題を振りまいて日本を去ったジョン.ボ−ナムが,M.M紙の記者に次のように日本の印象を語っていましたよ。
日本という所は,ロックがここわずか2年の間に急速に伸びてきたばかりなのに,世界中で2番目のマ−ケットになっている。
英米の一流グル−プが日本を訪れて大成功を収めているけど,日本のラジオ.ステ−ションでロックをふんだんに流す所といったら,地元の日本の放送局ではなく,アメリカのFENという状態。
コンサ−トでは移民でスタ−トし,聴衆はすぐに反応を示してくれた。演奏するには実にファンタスティックな所で申し分ないけれど,総合的に見ると,とってもおもしろい国だと思う。

☆1973年アメリカ.ツア−中の災難
リヴァフロント.スタジアムでのコンサ−トのために,シンシナティに向けて飛行していたある昼のことだ。スタ−シップ号が離陸してまだ15分しか経っていない時に,トイレのドアを怒鳴りながら叩いている音が聞こえてきた。
「出してくれ,ここから出してくれ ! 」
ボンゾの声だ。トイレのドアには鍵がかかっていた。俺(ロ−ド.マネ−ジャ−のリチャ−ド.コ−ル)がブル−ス.リ−.キックを何発かお見舞いしたら,ドアはガタガタ揺れて倒れた。
すると目の前に,パンツを下ろしたまま動けずに便座に腰掛けているボンゾがいた。
「ちくしょう,助けてくれよ」
自分でどれだけ頑張っても,ボンゾは立ち上がることは出来なかった。どうやら整備士はトイレの下の通風口をちゃんと閉めていなかったらしい。
だから気圧のせいでボンゾは吸い込まれていたんだ。ケツが便座にくっついたままさ。
俺はやつの腕を引っ張って助けてやった。「ふ〜っ,なんてこった」ボンゾはハアハア言ってひどく驚いていたが,怪我はなかった。
パンツを上げたやつは,いまの事故を恥ずかしいとも何とも思っていないようだった。命が助かっただけで御の字だったかもしれない。キャピンに戻る時に「これからは2度と便座なんて信用しない」とブツブツ言っていた。

☆1974年3月号より
ジミ−.ペイジ語録「良い音楽を生み出すには自分の演奏に陶酔することだ」
デビュ−して早5年,今も尚,大変な人気のレッド.ツェッペリンが「聖なる館」に続く6枚目のアルバムの録音を開始しました。
2月1日から約3ヶ月間,彼等はスタジオ入りする模様。アルバムは7月1日にイギリスで発売を予定しているものの,現在のレコ−ド業界の悪事情からみて,2〜3週間の遅れは避けられないようです。
また,このアルバムの発売とほぼ同時に,アメリカ音楽ジャ−ナリストで本誌のレポ−タ−でもあるリッチ−.ヨ−ク著の世界でも初のレッド.ツェッペリンの本が出版されます。タイトルは「STAIRWAY TO HEAVEN」
ところで昨年のアメリカ.ツア−のドキュメンタリ−.フィルムがイギリスで公開され,ファンの間で話題となっています。

☆1974年7月号より
「レッド.ツェッペリン.レ−ベル発足 ! その名はスワン.ソング」
前々から騒がれていたレッド.ツェッペリンのレ−ベルが,この程,スワン.ソングと決まり,去る5月中旬,その発表を兼ねた昼食会がニュ−ヨ−クのレストラン「フォ−.シ−ズンズ」で行われました。病気の為,家で療養中のジョン.ポ−ル.ジョ−ンズを除く3人,ジミ−.ペイジ,ロバ−ト.プラント,ジョン.ボ−ナムが出席したこの昼食会,アトランティック.レコ−ドのボス,ア−メット.ア−ティガンのスピ−チに始まり,ツェッペリンの面々は関係者との親睦を図る一方,レ−ベルに関する抱負をじっくりと述べて盛会となった模様です。スワン.ソングは今だア−ティストの数こそ少ないが,優秀な人材を揃えており,,すでにアメリカで成功する下準備は出来ているそうです。
また,ジミ−.ペイジは「理想的な良いレ−ベルになりそうだ」と誇らしげに語っていたそうです。
ところで,現在のところ,スワン.ソングと契約の成立したア−ティストにはマギ−.ベル,バッド.カンパニ−,ロイ.ハ−パ−がおり,当然ツェッペリンも含まれた強力な陣容。スワン.ソングに賭けられる期待は予想以上に大きくなりそうです。尚,会に集まった関係者の大半は,その夜,ブロ−ドウェイで行われるモット.ザ.フ−プルのコンサ−トへと流れましたが,その楽屋は何故か不吉なム−ドに包まれていたそうです。というのも,コンサ−ト終了後に行なわれるモットのパ−ティ−にジミ−とロバ−トが招待されなかったことが原因らしく,モットのステ−ジに登場する筈のマリオネット.マンがステ−ジへ上がることを防止されるという事件も起こったとか。ツェッペリンの面々は,翌朝,ロサンジェルスで同様の会を開くべくニュ−ヨ−クを飛び立ったそうです。

☆1975年1月号より
「いよいよ動き出したレッド.ツェッペリン」
眠れる巨人,レッド.ツェッペリンが,いよいよ活動を開始する。マネ−ジャ−のピ−タ−.グラントが発表したところによると,彼等は1月後半よりアメリカ.コンサ−ト.ツア−を行なうということだ。そして,ファンにとって最大の関心事であるニュ−.アルバムも遂に完成。タイトルも「PHYSICAL GRAFFITI」と決定して,後は発売を待つのみとなった。

☆1976年3月号より
「ツェッペリンのニュ−.アルバム間もなく発表 !」
ロバ−ト.プラントが昨年夏,交通事故に遭い,ずっとコンサ−トをキャンセルしていたレッド.ツェッペリンが昨年暮,フランスのジャ−ジ−島でコンサ−トを行い,多くのツェッペリン.ファンをうらやましがらせた。ジャ−ジ−島はド−バ−海峡にある小島で,ここのナイト.クラブ,「ビ−アンズ」でジミ−.ロバ−ト.ジョン.ポ−ル.ジョ−ンズ,ジョンの4人が一党に集まり,久々にステ−ジに立ったのである。
ビ−アンズにはお客がたったの350人しかおらず,彼等はブル−.スウェ−ド.シュ−ズ等のロックン.ロ−ルやツェッペリンの代表ナンバ−に加えて,クラシックもアレンジして聞かせるなど,自分達も楽しみながらリラックスした演奏を展開した。この時ロバ−トはまだ松葉杖をついていたので,椅子に座りながら歌った。昨年8月から暮まで彼等4人はずっとジャ−ジ−島でノンビリとした生活を送っていた。
クリスマスには4人とも,イギリスへ戻って休暇を過ごしたが,12月末,ジミ−は休暇もつかの間,アメリカへ戻ってツェッペリンの公演で撮影された映像のサントラの編集を行っている。
この映画のサントラ盤はニュ−.アルバムに続いて発売される予定。
ニュ−.アルバムの方はドイツのミュ−ヘンでレコ−ディングされたもので,タイトルは「OBELISK」全世界一斎で2月20日発売予定というから,この本が出ている頃には既にレコ−ド店にも並んでいるというわけだ。
ロバ−トは最近インタビュ−で「怪我をしたのは本当に災難だった。でも,すっかり治った今では,こう思うようになったよ。この時期にもう一度自分を見つめ直すことが出来てよかったってね。事故のおかげで,とってもフレッシュな気持になれたんだもの」と語っており,言葉の端々からもロバ−トの今年にかける意欲には並々ならぬものがあるようだ。

☆1976年7月号より
「バッド.カンパニ−のステ−ジに突如,ジミ−.ペイジ,ロバ−ト.プラントが現われた」
5月16日,ロサンジェルスのフォ−ラムで大々的なバッド.カンパニ−のコンサ−トが行なわれたが,アンコ−ルの時,突如ステ−ジにジミ−.ペイジとロバ−ト.プラントが現われ,ファンは大喜び。バッド.カンパニ−全員と彼等はI JUST WANT TO MAKE LOVE TO YOUを演奏し,当のロバ−トとジミ−も久々のステ−ジに満足げであった。ロバ−トは「俺たちも早くステ−ジをやりたくて,うずうずしてるんだ。バッド.カンパニ−の今日のステ−ジは本当にうらやましかった。ステ−ジに立てて,久しぶりに興奮したよ」と語っていた。このコンサ−トの後,ハリウッド.ヒルズでバッド.カンパニ−を囲んで盛大にパ−ティ−が催された。出席したのは,ジミ−,ロバ−ト,トミ−.ボ−リン,リンゴ.スタ−,リッチ−.ブラックモア&レインボ−等,いずれも彼等の仲の良い友達ばかり。
今,アメリカで一番受けているイギリスのグル−プはバッド.カンパニ−で観客動員数も最大,デビュ−.アルバムの売れ行きがビ−トルズ以来の記録を示しているという凄まじさである。

☆1977年2月号より
レッド.ツェッペリンのサントラLP「永遠の詩」が全米でプラチナ.アルバムを獲得。11月現在,アメリカの68都市でこの映画が上映され,どこも満員という大ヒット。

「M.L誌1974年9月号より抜粋」
「ジミ−.ペイジが熱っぽく語るスワン.ソングの方向」

インタヴュ−は1974年6月14日,オックスフォ−ド.ストリ−ト,ペント.ハウス.ビル2Fスワン.ソングの事務所内にて。

Q フィルムを制作していると聞きましたが ?

A そう,今ちょうど制作しているところなんだ。おそらく9月頃には完成出来ると思う。

Q どんな内容のフィルムなのですか ?

A コンサ−トの模様,ツア−してる時の目の廻るような忙しさと,ロンドン郊外のリ−ディングで撮影したものが大体中心になってるんだ。

Q それは大体どの位の時間になるんですか ?

A 今日もそれについてディスカッションしてたんだけど,おそらく2時間ぐらいになると思います。今はいろいろとカットしなければならない段階なんだけど。

Q そのフィルムは映画館で上映されるのですか ?

A いろんな提案が出てるんだけど,今のところ何とも言えないなぁ〜。コンサ−トの時に上映される案もあるし,普通の映画のように,ちゃんとした映画館で上映するという意見も出ているしね。

どんになところで上映されるべきかは,完成したフィルムを見なければ決められないし。でもテレビで放映するようなスケ−ルの小さなものではないことは確かです。最初から大きなスクリ−ン用として35mmで制作したんでね。

Q スワン.ソングという新しいレ−ベルを設立したそうですが,いつ頃レコ−ドがリリ−スされるのですか ?

A 僕等は今までロスとニュ−ヨ−クで10日間スワン.ソングのプロモ−ションをやってきて,つい最近ロンドンに戻ってきたばかりなんだ。スワン.ソングの第1弾はバッド.カンパニ−のシングルで,アメリカで今週中にはリリ−スされるよ。

バッド.カンパニ−はイギリスではアイランド.レ−ベルなんだけど,今ぐんぐんヒット.チャ−トを上昇中で,アメリカでも成功することを非常に期待しますね。バッド.カンパニ−は強力なパンチを持っているからね。

Q コンサ−ト.ツア−には大体どの位時間をかけるんですか ?

A この前のアメリカン.ツア−は3週間半で毎晩びっしり,コンサ−ト.スケジュ−ルが決まっていたよ。そして3週間ほど体を休めて,また3週間半のコンサ−ト.ツア−に出かけたんだ。

ものすごく忙しくてあわただしくて,落ちつく暇なんかないけど,僕達のアメリカでのプランは例えば,ロスのホテルに泊まっているとしても,そこからデンバ−やサンフランシスコなんかへ,1日2回のフライトをするんだ。

そんな状態が3ヶ月位続くんだからツア−を終えてロンドンに戻って来ても体力を回復するのに1ヶ月はかかるよ。かなりハ−ド.スケジュ−ルだけど僕達にとっては,ふさわしいやり方だと思うんだ。

Q 来日の予定はありますか ?

A メンバ−全員が日本にまた行ってコンサ−トしたいと思っているんだけど,今のところ日本以外のどこのツア−のプランも決まってないんだ。当分,僕達はフィルムとスワン.ソングにかかりっきりなんでね。

Q ニュ−.アルバムの内容について教えて下さい。

A 今度のアルバムは2枚組で全部スタジオで録音したんだ。丁度いまミキシングに入ってるところで,秋にリリ−スするつもりなんだ。1曲が長いものばかりで,1枚はロックン.ロ−ル,もう1枚はおとなしい感じになってるんだ。

それから今までのダブル.アルバムに比べて,今度の僕達のLPは値段を安くしたし,前のアルバムに入れられなかった曲も,この中に含まれているよ。

Q このアルバムで,あなたはギタ−以外にシンセサイザ−やメロトロンを使用してますか ?

A ああ,4つのファズ.ベ−スとシンセサイザ−を使用しているよ。

Q どんな種類のシンセサイザ−を使用したのですか ?

A オデッセイ2600を使っている。このメ−カ−は値段のわりには良いシンセサイザ−で,これはARP社から出てるんだけど,他のシンセサイザ−にはない正確な音を持っているしね。

Q シンセサイザ−を一個の楽器として,どう思いますか ?

A 一番良いのはARP社のものだね。最もシンプルで,最も音の幅が広くて操作しやすいし,他のどのシンセサイザ−よりも音がはずれないしね。

僕はキ−ス.エマ−ソンの家へ行ったんだけど,彼の持ってるムーグ.シンセサイザ−は操作するのがとても複雑なんだ。彼は家で頭をひっかきながら,その楽器で苦心していたよ。それで彼はクレ−ジ−になっちゃってね。

だけどARPはそんなことはないんだ。ずっと素晴らしい装置だからね。僕はステ−ジ用の小さなもの,オデッセイ2600,僕の家の小さなスタジオに置いてある2500と全部で3台持ってるんだ。

Q ニュ−.アルバムのレコ−ティング.スタジオを教えて下さい。

A 今,ロンドンのオリンピック.スタジオを使ってやってるんだ。仕上げはニュ−ヨ−クノエレクトリック.レディ.スタジオでやって,ロスのマスタリング.ラブというところで最終的に完成させるつもりなんだ。

Q 今度のアルバムで使用したギタ−の種類はどの位ですか ?

A すごく多いよ。フェンダ−,ギブソン,12弦。。。10 YEARS GONEという曲では,ある部分で8弦ギタ−も入ってるし,僕はギタ−はたくさん持ってるよ。レコ−ディングの時もバリエイションのために,出来るだけいろんな種類を使うようにしているんだ。全部で12本持ってるよ。

Q 曲を作ったのはあなたとロバ−トの2人ですか ?

A そう,詞はロバ−トがすべて書いて,僕が曲をつけたんだけどコンセプト.アルバムではないんだ。今回の曲はそれぞれ違ったム−ドやフィ−リングを持ってるんだ。

Q ライブ.アルバムを出す予定はありますか ?

A 今,僕達が制作しているフィルムからライブ.アルバムを出すことになってるよ。M.S.Gでやった時のもので,ダブル.アルバムでリリ−スするつもりなんだ。リリ−スされるのはフィルムの上映と同時期になると思うけど。

Q 最後にスワン.ソングのもつ意味について教えて下さい。

A 神話に出てくる言葉から取ったもので,伝説によると白鳥は決して声を出さない。白鳥は死ぬ時に誰にも聞こえない場所を見つけてとても美しい声を出すと言われていて,それがスワン.ソングの意味なんだ。

「レッド.ツェッペリン2度目の来襲 !」
ミュ−ジック.ライフ1972年11月号より抜粋

昨年9月に来日して,その人気,実力を日本のファンの前に誇示したレッド.ツェッペリンだが,今年も,またその姿を見せてくれた。9月30日,宿舎のヒルトン.ホテルで開かれた記者会見の席上に現れた4人は昨年同様スタ−らしい華やかな印象。

ジミ−.ペイジはヒゲを剃り落とし,髪も幾分短め。ジョン.ボ−ナムは昨年よりはひと回り痩せたようで,ジョン.ポ−ル.ジョ−ンズは長いブロンドの髪が顔をおおっている。ロバ−ト.プラントだけが昨年と変わらず,大きな声でケラケラ笑いしゃべりまくっている。記者からの質には,ほとんどジミ−が応えていた。

Q 5枚目のアルバムは,以前のものと何か違いがありますか?

A 我々がLPを創る時,今度はこう変化させようと思って演奏するわけではありません。出来上がったものが,たまたま以前のものと変わっているだけです。変化というよりも,以前の延長線上にいる成長といった方が当ってます。

Q 主に誰が作曲するのですか?

A 誰ということはありません。4人一緒に作っています。最近ではロバ−トが一番多く作っているかもしれません。

Q 最新アルバムのタイトルは?

A まだ未定です。

Q 音楽信条は?

A 別にありません。一口で言うのは難しいですね。ただ前進あるのみです。

「音楽を忘れたツェッペリン」

10月2日,武道館でツェッペリン.コンサ−トの初日を見た。音響装置の悪さだろうか? ロバ−ト.プラントの声がより金属的に響いて,とても歌なんてものではない。

4人のメンバ−がそれぞれ違うことをやっているようで,初めの3曲は全く不可思議な演奏だった。
ツェッペリンの魅力は,何といってもジミ−.ペイジの巧みなギタ−.プレイと楽器のようなロバ−ト.プラントの声だろう。このふたつがシックリ行かなかったのは長旅の疲れか?

聴衆もノリ切れず,しばし右往左往していた。近く発売になるツェッペリンのニュ−.アルバムから3曲ほど聴かせてくれたが,このステ−ジで聴く限り,ツェッペリンは大変ハイブロ−(?)になってきてしまって,聴衆を忘れているのではないかと不安になってしまった。

ツェッペリンがデビュ−したころの,あのズシッとした手ごたえとおもしろさにおぼれている我々は,むしろ全く進歩がないと言われそうだが,仮に一歩譲っても,音のバランスの悪さと歯切れの悪さはいかんともしがたかった。

ロバ−ト.プラントは実に個性的なボ−カリストである。それだけに当初の強烈さにノックアウトされてしまうが,1枚目から,次の5枚目のアルバムに至る迄,全く変化がないので,その個性が強いだけに,ちょっと鼻にもついてしまう。このへんで彼の方向変革を望みたい。

ジョン.ボ−ナムが昨年に比べ,リズム.メイカ−として数段のサエを見せていたのと,ジョン.ポ−ル.ジョ−ンズの弦楽器を思わせるメロトロンの美しさが救いだった。ステアウェイ.トゥ.ヘヴンはさすが何回も演奏しているせいか,4人の呼吸がピタリと合った瞬間だった。

アンコ−ルは2回やったが,このころになってやっと,ロック.コンサ−トらしい活気を呈したので,この後行われた5回のコンサ−トは,初日より良かったに違いない。本誌/星加ルミ子



M.L誌1976年ROBERT PLANT - SPECIAL INTERVIEW

「故郷に戻ったならば,まっ先に牧場の土に口づけしたい」

(感傷派ロバ−ト.プラントの望郷談話)
リポ−タ−:LISA ROBINSON

「事故によって,生と死の意義を見つめ直した」

ロバ−ト.プラントは彼自身を取巻く苦悩のすべてを,どうでも良いことばかりに振舞っていた。ふてくされ気味でもあった。けれど筆者がミック.ジャガ−に会った時,ロバ−ト.プラントの印象を非常に好意的に語っていたことを伝えると,彼の沈んだ表情は急に輝きはじめた。

ミックは良いヤツさ,と彼は言った。

ミックはあなたの人間性を高く評価していたわ。勿論ボ−カリストとしてのあなたに対してもグレイトを連発していたけれど。。。。と私が言うと確か,プラザ.ホテルでミックに会った時だった。僕等はいろいろなことについて話し合ったんだ。

現在のロック界に於けるグル−プ同士の分離主義的傾向だとか,コミュニケ−ション不足だとか。。。。
昔のロック界は,まるで馬上ヤリ大会のようだった。ある地点にたどり着く為のミュ−ジシャンのエゴが,馬にまたがってヤリで突きあう騎士を象徴しているような。

でも,ある種の団結精神で結ばれていた。今のロック界で少なくとも僕の関わり合っている中には,そんな協調精神は何処にもない。ミックも同じことを嘆いていたんだ。

この間の事故のことは信じ難いほどの助け合い運動だったよ。
ロック.ビジネスのあらゆる層の人々からモ−リンと僕に,見舞いの電報や手紙や花束等が寄せられたんだ。その殆どが考えてもみなかったような連中からだった。

それは事故のショックで精神的に参っていた僕にとって本当に心温まるものだった。皮肉な見方をすれば,あくまで儀礼的なジェスチャアに過ぎないものだったかもしれないけれど。

でも,どんな理由であろうと,あの励ましの正当性は認めたいね。僕の身体の中にエネルギ−の激動が起きたのだから。あの時点の僕等は事故の最悪の部分でもがいていたんだからね。とにかく嬉しいものだったよ。

去年の夏,ギリシャで起きたあの事故は,ロバ−トを人生の深淵に触れさせたのであろう。彼がレッド.ツェッペリンについて,あるいは,ニュ−.アルバムについて,また妻子について語る時必ずや,あの事故によって知った,「生と死」の意義を深く見つめて語るのである。税金問題故の事実上の国外追放に関して語る時,彼の表情には一段と厳しさが増した。

僕は未だに,何故あんなに非難されなきゃならないのか,全く解らない。妻が入院中だというのに,税金を払うことを惜しんで1人で去ったということになっているらしいけど。そんなもんじゃないんだ。

金銭問題故に,自分の国を去らねばならないなんて,実際悲しいことだよ。同じ立場にいる人々の99パ−セントは,解ってもらえることだけど。イギリス政府は,まるでこう云わんばかりの処置をとったのさ。「気にすることはない。奴等は必ず戻ってくる。イギリス人なんだからね」何が淋しいって,自分が犯罪人の1人なんだからなあ,と思う時さ。

政府にとって,今の僕の立場はプリズナ−と同じ立場だから。事件を起こして,追放される以上に,悲しむべきことだと思う。他の方法もあったさ。でも,あの連中は,非情なガンコ者だから。そして「奴等は戻ってくる」と信じ切っているんだ。

これまで幾度となく,空港で国へ向う飛行機を見ては,飛び乗ろうと考えたかもしれない。でも,その度,僕等国外追放者達は胸の奥にアルビニオン(イギリス)精神を埋葬するより他なかったんだ。

彼は懐かしむように故郷の牧場について語った。

僕にとって,あの小さな牧場は生活のすべてだった。牧場の緑とそれを取巻くように2粒のタネがある。僕のまいた2粒のタネがね。全く悲しいことさ。

もし政府が,もう少し歩み寄りを見せてくれたなら,僕だってこんな態度でいるわけじゃない。これは僕だけの問題ではなく,こうして追放も同然にイギリスを離れた連中すべてが願っていることなんだ。

これはね,「オレのものさ,オレのポケットにしまって,何故悪い ! 」というような気持から出たものではないんだよ。そんな次元で,始まった問題じゃないんだ。解ってもらえないかもしれないけど,政府が提示したものはとても,妥協出来得るものじゃなかった。

ま,ともかく,故郷へ帰る時が来たら,すべてはハレルヤ。
何もかもがハレルヤ。そして,まっ先に,あの牧場の土に口づけするだろう。  


「不自由な身体でのステ−ジは,もどかしかった」

レッド.ツェッペリンが最後に公演したのはジャ−ジ−島だった。ボンゾの即興的なプレイが,この公演を素晴らしいものにしたそうだ。

プレイ出来るという可能性を避けることはないさ。そうだろう ? 十年位前の古き良き因習のイギリス,といった雰囲気のダンス−ルでのコンサ−トは,なかなかおもしろいものだったよ。

ロックン.ロ−ルの夜と題したわりには蝶ネクタイにイブニング.ジャケット姿の若者たちが多く,ステ−ジに向って椅子はキチンと整列され,ちょっとアンバランスな感じもしたけれどね。

ボンゾは調子づけに,「行こうぜ,パ−シ−」と叫んだけど,僕はロクに歩けない身。びっこを引きながらフロア−を横切ってステ−ジに上がるなんてゴメンこうむる。そんなわけで僕等はひっそりと裏階段を通ってステ−ジに出たんだ。

やっとの思いでステ−ジ上のスツ−ルに乗ったはいいが,リズムに乗ろうとする度に足が重くなるんだ。足をかばいながら立ち上がれば数秒で下半身がグラついてしまう。

その時の写真があるが,ちょっとした見物だよ。誰1人として座るものがいない程,あの古臭いダンスホ−ルは熱をおびて,エキサイティングなロックン.ロ−ル.パ−ティ−になっていった。

遠慮ないカメラのフラッシュの音や光までがショ−の一部になっていたみたいだったよ。僕はなるべく,ボンゾのうしろに,隠れるように座っていたんだけど,そのうち自分が前へつんのむっているのに気が付いたんだ。

3曲目が終わる頃は,スツ−ルの上で,もじもじしていたんだけど,結局,ドラムを横切って。。。あとはご想像にオマカセ。。。自分自身の内部で爆発したくて,うずうずしているものが,かつての自分とは異なった状態にある肉体の事情と悶々と闘っていたらしいんだ。で,結局,ウワァ〜〜ッとばかりに爆発しちゃったわけ。 (続く)


「レコ−ディングでのジミ−はトロ−ジャンのようだった」

ツェッペリンが18日間という驚くべき短期間でニュ−.アルバムを完成したことについて。

僕はその頃,サンセット.ストリップにいたんだ。
でも,そこのホテルでの生活に,すぐに飽きてしまったんでドイツに行ったわけ。スタジオも,マシ−ンも,すべて良しということで,すぐにレコ−ティングを始めたんだ。

レコ−ディング中は2回位しか外出しなかったんじゃないかな。
18日間ブッ通しで,一晩に14時間は働いたって感じで,とにかく疲れ果てたよ。ジミ−は,まるでトロ−ジャン(トロイの兵士)のように演奏し続けたんだ。

ジミ−の恐るべきエネルギ−が,このアルバムの短期完成に繋がったともいえる。僕はとてもエネルギッシュに発ちまわれるような状態じゃなかったけど。

割合,ヴォ−カルが上手く行っているので満足してるよ。
歌詞に関しては,事故の前後の状態を反映したものだっただけに,僕は慎重だったんだ。でも,すべてを,ジミ−のエネルギ−がカバ−してくれたよ。

ジミ−のギタ−.プレイは久しいこと耳にしたことがないほど才気溢れたものだった。ハレルヤと叫びたい位,素晴らしいギタ−.ワ−クなんだ。

アキレス.ラスト.スタンドという曲は,あの不滅の勇者,アキレスを歌ったもの。僕が最も誇りたい曲なんだ。もうひとつ,マリブで妻との別離を悲しんでいた頃に書いた歌があるんだ。でも,それは少々個人的過ぎるかもしれないな。

あの頃,毎日毎日,朝早く起きる生活の中で,ボ−ルを蹴ることすら許されない身体だった。そんな日々にあって,時の流れはあまりにもスロ−モ−だった。走ることも出来ず,心だけが先走ってしまっていた。そんな時に時というものは教師だった。そして僕は生徒だった。。。

ロバ−トの陰りのある表情に,生と死を,まのあたりにした人間の,厳しさを見たような気がした。

うまく言葉が見つからないんだけど,あのアルバムを作った時,僕は非常に霊感的だった。メンバ−4人の心の,異なった部分から出て来たもの,といえるんじゃないかな。

すべて無でしかない,と考えていた時,それは自分の力では,どうすることも出来ない何物かによって,肉体の自由を奪われていた時だった。生きるということに一体何の意味があるのか。。。

今まで生きて来たということ,歩いて来た道,そのすべてが,無でしかなかったと考えていた頃の僕は,魂全体が暗い雲に覆われていたんだ。

言葉で表現出来ない感情は,ついこの間まで,いや,身体が元通りになるまで,心の何処かに巣喰っていたんだ。

「あの故郷が今の僕には至上のものなんだ」

話題を変えて。。。ツェッペリンの映画について。
ロバ−ト.プラントは第2のロジャ−.ダルトリ−として銀幕にデビュ−するのだろうか ?

正直言って,僕にはとても出来ないことだよ。ツェッペリンの4人の誰もが同じだと思うよ。あの映画は,コンサ−トをフィルムにしたにすぎないんだからね。

もしもステ−ジ上での自分が映画になるとしたら,それは,あらかじめ計画された自分の姿ではないからね。。。自分自身の延長なんだ。でも,所詮,映画に出るってことは,すべてが計画され,演出された上での演技ってことだろう。

それはもう,とてもじゃないけど願い下げたいことさ。
自分自身から湧き出る何かを伝えるということは,自分自身でなきゃならない。あくまでカメラの前のスクリプトに書かれた通りに動き回れと言われたら,僕の足はすくんでしまうよ。

レッド.ツェッペリンは,今後12ヶ月間は,一切の活動はしない予定だそうだが。。。

この,無限の世にあって,1人の人間としての僕は,子供達,そして牧場と愛する故郷なしには,どうすることも出来ない。帰らなければならないんだ。

自爆自棄になる程,切実な限界に来ているというわけではないけど,ツア−に出られる状態というのは,あくまでも,故郷に帰って,しばらく休養をとって心の安定を得てから。。。

すべては故郷に帰ってからのことなんだ。あの,故郷の土の香りに身をゆだねられる時が,一番幸福な時なんだ。誰のものでもない,自分の家で,現在の自分,将来の自分のエネルギ−を,想像力を,英気をつちかうために,くつろぎたい。
ただ,それだけさ。他に望むものは何もないんだ。今の僕には。

ファンはあと12ヶ月位待てばいいのだろうか。。。

そうだなあ。。。12ヶ月と言えるかもしれない。
でも僕が経験した出来事の後の12ヶ月は,決して長いもんじゃない。あのヘヴィな出来事から脱けるのに,あと何年何ヶ月かかるかわからない。

僕は1日中,いや1年中,家族に囲まれて,神に「生」の感謝をしながら,のんびり生きていくつもりだ。あの故郷の土と牧場の家の灯が,今の僕には至上のもの。けっして音楽を捨てるつもりはない。ただ,ほんのしばらく,心安まる所で思いきりこの身をゆだねたいんだよ。。。  



1972年東京 ジミ−ペイジ,インタビュー
吉成信幸氏


5枚目にあたる新アルバムの発売を間近にひかえて2度目の来日をしてくれたZEP。昨年はスケジュ−ルの都合上,取材が不可能に近い状態だったが今回は厳しい公演日程の中で短時間ではあったがジミ−ペイジとのインタビュ−に成功した。その日,朝の4時頃まで眠れずにいたという彼は多少眠そうな目で自室に案内してくれた。当然のように洋室だと思っていた我々取材班は,まだ布団を敷いたままの和室の戸が半ば開いているのに気がつき,多少驚きながら応接間の椅子に腰をおろした。

Q 新LPの曲目やタイトル等,詳しいことが解っていないと言うことですがステ−ジで披露した曲を何と言いましたか?

A 便宣上,オ−バ−チュア−等と言っていますが,まだ曲名は決めた訳じゃないんです。ジョンジ−がメロトロンを演奏してますが,これは新しい試みと言えるでしょうね。


Q そのメロトロンですが,アルバムではストリングスを使っているというのは本当ですか?

A いいえ,アルバムでもステ−ジ同様メロトロンを使ってます。音楽的に幅が出るでしょう?


Q ロ−リングスト−ンズのマイティモ−ビル(移動スタジオ)を今度も使ったのですか?

A 実は使ったことは使ったのですが結果的に気に入らなかったので普通のスタジオで録音し直したのです。やっぱり,その曲によって雰囲気を選びたいですからね。


Q 今日のアルバムのプロデュ−サ−及びエンジニアは誰ですか?

A プロデュ−サ−はいつものように僕がやりましたがエンジニアはエディ−クレイマ−という男です。彼がチ−フとしてやったのですが各トラックにいろんな人が手伝ってます。全体的なサウンドに大きな変化はありませんが結果は気に入ってます。


Q ところで,あなたは今やギタリストとして最高のところへ行きついたと思いますが今後はどのような方向展開をして行くつもりですか?

A それは考えない訳ではないんですが,考えたからと言って答えの出るものでもないでしょう。音楽についてのアイデアはどこにでもあるものだから,これから何をやるかは僕にさえにもわからないのですよ。つまり,実際にやってみて,はじめて自分で何かを見つけ出す訳だから。


Q 幻惑されて等をよくコンサ−トナンバ−に選んでいるようですが特に理由があるのですか?

A その曲や,愛しすぎて等の曲は自分たちで気に入ってる曲だしコンサ−トにも向いていると思うのです。他には最近のブラックドッグがそうです。ひとつには,僕のギタ−がフィ−チュアされることによってファンの人たちの反応がわかることもありますね。原則としてコンサ−トの度にその都度最も新しいアルバムから何曲か,そして初期のアルバムから何曲か必ず選ぶようにしています。選曲はとても難しいですけど。


Q ところで,例の弓を使うギタ−奏法はどこで習ったのですか?

A 自分で。。。というよりも実は,あるバイオリニストが僕に試してごらんと言ったのです。もう6年以上も前の話ですが,その当時は別段気にもかけずにいたのです。それで少し後になってから思い出してやってみたのです。やってみると,見ているほど簡単ではないのですよ。僕もずいぶん練習しました。


Q 最初にやってみたのはいつ頃でしたか?

A 僕がまだヤ−ドバ−ズにいた頃,それも初期の頃です。今でこそ他のミュ−ジシャンもやってますが僕は自分が最初にやったと確信しています。


Q アルスチュワ−トのアルバム「ラブ.クロニクルズ」の時69年,ゲストとして参加してますが,他にはどんなグル−プ,ア−ティストに参加しましたか?

A ああ,とても大勢いますよ。ご承知かと思いますが僕はヤ−ドバ−ズに参加する前はスタジオミュ−ジシャンだったので。スト−ンズ,フ−,キンクス等,一流どころにつきあいました。もちろんバックアップとしてですけれど。つまり昔はひとりがリ−ドギタ−を弾き,もうひとりがコ−ドを弾く,というのが常識だったのです。今ではもちろん僕もそうですが,ひとりでコ−ドを弾き,後でそれにリ−ドをかぶせる訳ですが。


Q 最近,特に感じるのですがイギリスとアメリカのロックシ−ンの根本的な差異についてあなたはどう思いますか?

A 僕にとってはまったく異なった世界に思えます。うまく言えませんが。ファンにしても,とにかく音楽に対する姿勢が違うのです。イギリス,それもロンドンという小さな町に無数のグル−プがひしめきあっている為に成功する為には並々ならぬ努力が必要なのですよ。だからこそ今のような現象,つまりTレックスやデヴィットボウイを始めとするグラムロック旋風が起こるのかもしれません。


Q 昨年夏に行われたバングラデシュのコンサ−トについて率直な意見を聞かせて下さい。

A 僕はとても素晴らしいコンサ−トだったと思います。とても意味深いものだし。つまり,あれだけ多くのミュ−ジシャンが一緒にやること自体,とても大きな出来事だと思うのです。


Q あなた自身,政治には関心がありますか?

A ええ,もちろん関心はありますよ。でも僕はミュ−ジシャンであって政治家ではないですからね。


Q それでは,ジョンレノンやポ−ルマッカ−トニ−,ロバ−トラムのような政治に一方ならぬ関心を示しているような人たちをどのようなおもいますか?

A ポ−ルについてはどうかわからないけれど。でもジョンもポ−ルも結婚したことが大きな間違いだったということでしょうね。(笑) 勿論僕はジョンを尊敬してますがヨ−コが出現してからというものは彼のやってることが彼らしくなくなってきたように思えるのです。主体性を失ったと言うか。ヨ−コが日本人だということを知ってるのでこんなこと言うのは失礼かもしれませんが。僕は彼女がやってることを真剣に考えられないのですよ。
「裸の王様」の話を知ってますか? あの話のように,ある種の権力を持った人がいると,みんなその人に,と言うよりもその社会的地位,権力に,さからおうとはしないという話なんです。僕が言ってるのは女だからダメだということじゃないのです。例えばティナタ−ナ−のように素晴らしい人もいるんですからね。

見るからにお洒落な彼は自分が決してFASHION FOLLOWERではないと弁解し実際,その時に来ていた上衣も3年前に買ったものだと言っていた。そして現在持っている服の大部分が古着屋で買ったものだと付け加える彼には,一種独特の頑固ささえ感じられた。眠そうな目もインタビュ−が進むにつれサエを増し帰り際には絶対コンサ−トに来るようにと力のこもった握手をしてくれ,その頬に微笑を浮かべていた。


「1972年ミュ−ジックライフ12月号より抜粋」

ジミ−ペイジインタビュ− 

リッチ−ヨ−ク氏

*レッドツェッペリン4枚目のアルバムについての彼の見解

個人的には僕は長い間そのアルバムと生きてきたって感じですね。アルバムに曲を纏める過程で,まわりの者からいろいろ無理難題をふっかけられたりして僕の音へのセンスみたいなものがボロボロにされてしまったような気がするし。
今じゃ聴いてもいないし。そんなふうになっちゃってね。聴きたくないというんじゃないけど。何て言うか,あのアルバムから,もう何も得るものがないということですよ。
本当にウンザリしているんです。でも事実は技師がたくさんミスしたんですよ。根本的には技師がね。アルバムの中の何曲かは12月にレコ−デングを始めたんです。ロンドンのアイランドスタジオでね。全部思い出すことは出来ませんが。
今でもテ−プに録音済みの予備曲みたいなものがあって新しいアルバムをリリ−スする時にも使えるし,とにかくストックされている曲はあります。
アイランドスタジオでのレコ−ディングの後,僕たちはハンプシャ−にある僕たちの家に行ったのです。そこではよく練習もしましたよ。そして僕たちはハンプシャ−に移動スタジオを運んでこようと決めました。
ハンプシャ−の方がロンドンよりも僕たちにとっちゃなじみの深いところですからね。住んでたこともあるし,あそこではずいぶん練習もしてましたからレコ−ディングの準備すりゃいいって状態だったんです。
ロ−リングスト−ンズも使ってた移動スタジオをハンプシャ−に運んできたのは移動スタジオを使ってすぐにテ−プに録音してしまおうということでした。たくさんの曲をテ−プに収めました。アルバムの中の曲はほとんどそうやって出来た曲なんです。
見方によれば大変良い方法でした。ただひとつ,その考えの中で間違っていたことは僕たちがそれに興奮し過ぎたってことですね。体裁作りとテ−プ作りを急ぎ過ぎて,粗製濫造だったんです。
レコ−ディングの為の設備作りに興奮しましてね。移動スタジオを充分に使いこなせるようになるには2週間は必要でした。2週間がかりでやるところを6日間で仕上げちゃってね。機材のシステムを覚え,その設備に精通する為に丸1週間,そして後の7日間で移動スタジオを使いこなすべきでした。
移動スタジオは将来も必要になるでしょうが,その時には充分利用出来るようになっているはずです。ジョンジ−は自分の家にスタジオを作っていますが僕も自分のスタジオを持たなければと思ってます。これが4枚目のアルバムについての質問への本当の答えでしょうね。
まあ,ミュ−ジシャンも一杯のお茶を飲む為の道具の必要性を知ったり,庭をさまよい歩いたりしてから何かにとりかかるべきかということですね。ただ蛍光灯のピカピカするところへ階段を降り,大きな防音ドアを開けて音響タイルにとりかこまれたスタジオに入って行くだけってことじゃなく。


*レコ−ディングスタジオについて

僕はたいへんスタジオについては神経質なんです。前もって家で充分練習し,考えてから出かけるのですが,とにかく演奏が始まると神経質になっちゃってね。でも家でやってきたことはスタジオでプレイする時に何か自分の才能以外のものを引き出してくれるんなだな。
まあ自分たちが気に入ってる言い方をすれば「マイ.ボトル.ゴ−ズ」ってとこですね。容易さを払いのければ正しさが残るってなことですよ。難しいことですがね。
自分の家にスタジオを持ちたいと思ってる理由のひとつはそんなことですね。考えていたほどお金もかからないし,スタジオを持つということは誰にとっても有益なことですよ。
音響に関したあらゆることが自分の家で可能になる。僕は自分のスタジオを音響の為に使おうと考えているんです。


*エリッククラプトン,ジョ−ジハリソンについて

エリックがギタリストとして経験したと思われるすべてのことを僕も同じようにやってきたのですけどね。突然,すべてのことがニガニガしく感じられたりしてね。どんなに一生懸命やっても他人に足を引っ張られたり。
人間,一生懸命やればやるほど傷つきやすくなってるし,何かの時のダメ−ジも大きいですからね。エリックの受けたダメ−ジは相当のものだったと思いますね。
3〜4年前のことですが,他にもう一人かなりのダメ−ジを受けた人間がいたのを知ってます。ジョ−ジハリソンなんですが,彼は懸命にギタ−を覚えようと努力したんです。何故ならジョ−ジは冗談半分でギタ−を弾いているとみんなが思っていると自分じゃ思ってね。
こんなことを観衆がワイワイ言ってる分にはたいしたことはありませんが新聞や雑誌が言い出したら問題ですよね。でもジョ−ジにとってそれはかえって良かったんだな。エリックと仲良くなったし正確さを身につけましたね。
ジョ−ジはエリックと友人になるとすぐに,いわいるギタ−マンになって練習練習の連続だったな。今やジョ−ジもいろんな試みをし,またある目標に到達したって感じですがね。
精神力の強さと我慢出来る意思を学んだことはジョ−ジにとって大変良いことですよ。それが他の人ならすべて台無しになっちゃったかもしれませんがね。


*ビ−トルズについて

分裂して以来,彼等4人が一緒にやってたことがどんなに重要だったかを思えば面白いですね。ポ−ルマッカ−トニ−とニュ−ヨ−クで会った時にも,ちょうど彼が作っていた2枚目のアルバム「ラム」について話してましたよ。
人数は前と同じように4人で一緒に仕事をしていながら,他のミュ−ジシャンと長い時間をかけて仕事をすることがどんなに難しいかってことを。歌うのが精一杯だって。だからすぐに「OK,それでいい」と言ってみんなが合わせて終わりってことになるんだってね。
僕たちにも同じことがあったからポ−ルが言おうとしていることは良くわかったな,僕は。レコ−ドを作る時,関係者がみんな初めて会う人たちばかりってのは,いろいろやりにくいってポ−ルは言ってたよ。
僕はポ−ルに同情しました。ロンドンのレコ−ディングセッションで僕が演奏していた時とよく似た状態ですからね。歌をひっさげた奴等がやって来るんですが,セッションミュ−ジシャンは歌い易いようにと一生懸命やってやるんですよ。
そりゃ,歌手おかかえのバンドほど上手く合わせてやることは無理でしょうが,ディレクタ−やアレンジャ−たちはこう言うのです。セッションミュ−ジシャンのほうが良いね。おかかえのグル−プはどうも僕たちが必要としているものと一寸質が違うだなって。


*彼自身のレコ−ドの好みについて

いろいろ違った種類のレコ−ドにわたってますね。バ−トヤンシュなんかもいいね。初期のロックの数々。好きなのはたくさんあります。サンレコ−ドの頃のすべてのレコ−ドなんか今だにシビレてますよ。
エルビスの若い頃のレコ−ドなんかを聴くと興奮しますね。誰だって熱中しますよ。「ミステリ−トレイン」の終わりの部分なんかファンタスティックですね。
あの頃のミュ−ジシャンは新しい音楽を作るために本当に理解しながら何かに立ち向かっていたということが僕には良く解るので,レコ−ドを聴いていてもその中に没入出来るし興奮もするんですね。


*エルトンジョンについて。

彼のアルバムは本当に,本当に素晴らしいですね。何も言うところがないくらいに。でも,彼が立ち上がって黄色か何かのジャケットにピンクのズボン,そして銀色の靴で椅子の上に立ったりなんかしはじめると,そこに僕は不思議なほどジェリ−リ−ルイスを思い出しちゃうんですよ。ユ−モアの塊みたいなものを。でも,すぐにエルトンは大マジメなんだってことに気がつきますね。そして一寸とした気恥ずかしさを感じて。(続く)


*グランド.ファンク.レイルロ−ドについて。

僕は彼等のものを全然聞いたことがないのです。音色は一寸変わってますが本物だということは知ってます。イギリスのTV番組でほんの少し彼等を見たことがありますが,それだけでは彼等をうんぬん出来ませんからね。


*現代のアメリカのミュ−ジックシ−ンについて。

僕が是非見たいと思っているシ−ン,音楽的領分内でいろいろな相違はあっても,音楽という芸術が持つある面を全部集め,それが音楽を提供する側にも,また観衆にも快く受け入れられている,そんな状態を実現させたいですね。
今や新聞とか雑誌のおかげで,ひとつの事が起こるとすぐ有名になっちゃうから何か別のもの,そして新しいものを見つけなければね。


*批評について。

批評出来るってことは素晴らしいことですね。それがまったく正しい目を通したものなら。前にも言ったことがあるのですが,また言わせてもらうなら,例えば僕のプレイがまずい時には僕自身で解るし,調子の良い時だって解りますよ。自分の能力によってね。
でもステ−ジでの演奏を聴いている人達は,この男は何を表現しようとしているのかとか,ロックギタリストの中で誰がベストか,なんてことをそこに見出そうとする期待はしてほしくないですね。
ただの人間がそこにいるってことを認識すべきです。いらだっているミュ−ジシャンが,より上手くなろうと試みているんだっていうふうにね。それが誰がベストかっていう競技なんだから。最高のミュ−ジシャンなんていないのにね。
何故なら俺が一番だ,なんて言っている奴よりもうんと上手いのが,何か変わった演奏方法を取り入れて必ず現れるんですからね。それが僕にとっては大変良いことなんですよ。実現させたいシ−ンなんです。でも他のミュ−ジシャンはとにかくすべての音楽を分類したがるんでね。


ミュ−ジックライフ1972年4月号より抜粋。

(PS) 同誌に連載されておりますミニニュ−スコ−ナ−。そこに載っておりましたZEP関連記事を最後にもうひとつ。

*目下,優雅なホリデイを満喫してるはずのロバ−トとボンゾの二人は余りにお休みが多いとステ−ジに立ちたくなるらしく,ウォルバ−ハンプトンのラフィエット.クラブに出ていたフェアポ−ト.コンヴェンションのコンサ−トに現れ,ジャムセッションを展開したそうです。勿論,集まった聴衆は大喜び。トラディショナルへのアプロ−チが強くみられるZEPだけに,このコンサ−トに顔を出したことも充分うなづけますね。
ボンゾインタビュー

リッチ−ヨ−ク氏


「僕は自分を高く評価してはいない」

Q ZEPに加わる前は何をしていたのですか?

A ZEPに加わる5ヶ月前迄,僕はバンドオブジョイというグル−プでロバ−トと一緒に演奏してたんです。丁度ティムロ−ズがイギリスで公演することになり,僕等は彼に乞われて一緒に演奏旅行について行ったんです。その後でもしばらくはやってましたが,そのうちいつしか解散しちゃったんです。
ところがティムロ−ズがまたコンサ−トをしにイギリスへ戻って来た時,バンドオブジョイ時代に彼のバッキングをやった僕のことを覚えていてくれて,声をかけてくれたんで,まず彼に付き合ったんです。その間の2〜3ヶ月,ロバ−トと僕とは付き合いがなかったんです。
次にロバ−トと再開したのは,僕がティムロ−ズと一緒に仕事をしていた時でしたが,彼はヤ−ドバ−ズの一員としてやって行こうとしている矢先だったんです。彼が言うには,これはヤ−ドバ−ズの後を受け継いだ新グル−プでドラマ−が是非必要だということでした。
2週間後に彼はティムロ−ズのコンサ−トにジミ−を連れてやって来て,僕が演奏するのを見ていました。そしてまもなくジミ−から来てほしいという依頼を受けたのです。


Q ZEPの成功で,あなたは驚いていますか?

A ええ,勿論大変驚いています。僕がジミ−から依頼を受けた時まず考えたのは,イギリスではヤ−ドバ−ズは忘れられた存在であり,もう終わったということでした。しかし僕は自分の能力を高くは評価していないけど,何もしないよりは何かをしたほうがいいと思ったんです。
そしてジミ−は本当に優れたギタリストだし,ロバ−トが上手いシンガ−であることも充分知っていたので,例えこのグル−プに加わって成功しなくても,すぐれたグル−プの中で演奏出来ることは楽しいに違いないと思ってました。それに僕たちは充分な成功を収めたのですからね,云うことありません。


Q もう何年間ぐらいドラムを叩いてますか?

A 6年間です。


Q あなたは,どのドラマ−の影響を受けていると思いますか?

A ドラマ−の王者たち全部です。僕はまだ自分で半人前だと思ってますから他の多くのドラマ−の演奏を聞くようにしています。また他の人の演奏を聞くというのは楽しいものですしね。
僕が気付かないものや他のことをドラマ−から聞き取ることによって,とても勉強になってると思うんです。
僕はヴァニラファッジのドラマ−(カ−マインアピス)とリ−マイケルズのところにいるフロスティ−(ドラマ−)が好きです。昨夜たまたま,ここ(トロント)のクラブに行きましたがシルクウッドというグル−プが出ていて聞いたのですが,ドラマ−が抜群でした。彼がこのグル−プに対して貢献すること大ですよ。こんなことがしばしば起こるので楽しいですね。たまたま行ったところに素晴らしいドラマ−がいたりするのを知ることは本当に嬉しいですよ。


「ベイカ−はドラマ−の地位を変えた」

Q ジンジャ−ベイカ−についてはどう思いますか?

A 初めの頃,僕は大変な影響を彼から受けてました。僕がドラマ−になった頃,ベイカ−はイギリスに於いて大いなる目標でしたからね。彼は全くジ−ンクル−パ−(スウィングジャズ全盛期の花形ドラマ−)と同じように新風をドラマ−の世界に吹き込んだ最初の男でした。
大きなバンドでは,ドラマ−は単なるバックミュ−ジシャンであり,他の何ものでもありません。初期のアメリカのバンドなんかドラマ−は後の方でブラシだけでやってたものですよ。そしてクル−パ−は,その存在をビックバンドにあって知らしめた最初のドラマ−だったわけです。
ご存知のように彼はステ−ジの真ん中に出て来て,それまでのドラマ−にとっては信じられない位大きな音を出して演奏し,それがまた素晴らしかったんですよ。こんなことが本当に起こるまで誰もドラマ−の存在すら気にとめていなかったんです。
ベイカ−もロックでこうしたことをやったんです。ロックはしばらくの間,平穏無事だったのですが,ベイカ−は最初にドラマ−はロックグル−プにあっては前面に出て来て,後方で存在をかすませるものではないと言って,これを実行したんです。
ベイカ−を凌ぐドラマ−はいません。彼は自分に正直であるために見かけほど大人しくはありません。彼はいつも素晴らしいドラマ−でした。アメリカの人達がグラハムボンド.オ−ガニゼイションを見る機会がなかったのは残念ですね。ジンジャ−ベイカ−,ジャックブル−ス,グラハムボンドの作り上げた素晴らしいグル−プはこれまで見たことがありません。
ベイカ−はジャズに傾倒していて,今もきっとそうでしょうがジャズの影響を強く受けていましたね。彼は実に不思議な男です。あなたは絶対彼を知ることは出来ないでしょうし,彼もそれを許さないでしょう。


Q どのようにしてあなたはスティックなしでソロを演奏したのですか? 一晩に何本くらい折りますか?

A よく憶えていないのですが,何かのきっかけで,そんなことをしたのだと思います。何せ大変長い間演奏したのは憶えてますよ。僕が初めてロバ−トと一緒にやった時だったと思います。どうしてスティックなしでやれたのか,未だに判らないのですよ。僕は何年もジャズの演奏を見てきて,そんな状態を見てました。
僕にはとても印象に残っていたので自分でもやってみようと思っていました。しかし手でドラムを叩くというチャンスはなかなかありませんでした。スティックで叩くのとは違った小さなかわいい音が出るんですよ。僕はこれが気に入って,いつからかやるようになったんです。(続く)


「僕に会った時ジミ−は,はにかんで」

Q ジミ−ペイジについてはどう思いますか?

A 僕はジミ−とはうまくやっています。とっても良い男で,時々非常にテレ屋の面があるんです。初めて彼に会った時も彼はとても恥ずかしそうにしていました。それから12ヶ月経ちましたが僕達は互いに良く理解し合っていますよ。音楽を媒体にしてね。これがお互いにプラスになっていると思います。
例えばジミ−は彼のギタ−を完璧に弾き,僕は彼に呼吸を合わせることが出来るということです。しかし初めの頃は次に何をやればいいのか全く判りませんでしたからね。とは言っても未だにジミ−のすべてを知り尽くしているわけではありません。
もっとよく知るには更に長い年月が必要ですね。うまく行ってる限り,僕はジミ−が好きです。僕にとってジミ−はあらゆる分野に於ける最高のギタリストです。彼はエレキギタ−をプラグにさし込んで演奏しているだけの他のグル−プギタリストとは全く違います。
彼はあらゆる種類の音楽に興味を持っていますしね。多くのギタリストは12小節ブル−ス以外のものは演奏しようとしませんがね。そしてそれが当たり前と思っているんです。そういうのに限ってオ−.ザッツ.ア.ロ−ド.オブ.クラップなんていうロックナンバ−を聞くときは熱心なんです。
ブル−スは純粋であるべきものであり,それだからこそギタリストは純粋でなければいけないんです。世間の偉大なミュ−ジシャンの中にはブル−スの純粋さを表せないという理由で決して演奏しないという人がいるんです。
僕等が初めてアメリカに来た時,一緒に演奏に出た最初のグル−プのドラマ−はヴァニラファッジのドラマ−でした。彼は僕がロックドラマ−の中で,かつて見た中で一番上手く,大勢の人が彼にシビレてます。
しかしほとんどの人がそれを知ろうとしなかったんです。誰もが,また新しいバブルガムグル−プが現れたぐらいにしか見てませんでしたからね。多分彼等は初めはそうだったかもしれないけれど,彼等が真に優れたミュ−ジシャン達である事実を覆すことは出来ません。
あなたの趣味に合ってなくても,あなたの好み以外のものを演奏したとしても,彼等はやはり優れたミュ−ジシャン達であり,僕は彼等を賞賛しますよ。


Q あなたは自分の思い通りに演奏していますか?

A ええ,僕達は何でも演奏してるんです。ブル−スもソウルリズムもやってきました。ジミ−がリフをやり,僕はそれにファンキ−ソウルリズムやジャズ的なスウィングリズムや本格的なヘヴィ−ロックでドラミングします。本当におかしいですね。


Q あなたは他のどのドラマ−よりもスネアを強く打ち出すように見えますが,今回の演奏旅行で何本くらいのスティックを折りましたか?

A 別に。。。もしあなたがショ−トスタブやるなら強く打ってもいいんです。ただし皮はすぐ破れますけど。しかし,あなたがスティックで打ったら,僕がやってるよりは,はるかに強く打ってるような気がするでしょうね。
今回の旅行では,たった一度皮を破っただけで,これはバスドラのを破ったのですが,小さな鉄製の釘が壊れて,それがまともに皮に当って破ってしまったんです。スネアの皮は3回分の旅行に間に合うだけの用意はしてましたけど.....
バスドラの皮が破れた時,最後の曲をやってる最中だったんです。あとどの位演奏するのか全く分りませんでした。ロバ−トは丁度ヴォ−カルに入った時だったし,後は運まかせでした。


Q ロバ−トプラントについてはどう思いますか?

A 彼については長年よく知ってるので,詳しく話せますよ。
僕達が最初に合ったのは16歳の時でした。もう5年になりますね。彼は僕をよく知っていました。これが僕達の相互理解に役立っているんです。
思うにあなたが誰かを知っているとして,もし2人が一緒にいて,互いに欠点も長所もよく知っている場合,2人はいつまでもうまくやって行けるものなんですよ。


Q ジョンジ−についてはどう思いますか?

A うまくやってます。グル−プ全体が仲良くやっているということです。みんなそれぞれ違いますが,うまく融合出来てるんですよ。


ミュ−ジックライフ1970年11月号より抜粋。

(PS) ちなみに本誌に載っております読者人気投票ですがグル−プではZEPは1位のビ−トルズに続き2位。男性ボ−カル部門ではロバ−トは堂々の1位。ジミ−も2位のエリッククラプトンを抜いて1位。ジョンジ−も2位のジャックブル−スを抜いて1位。またキ−ボ−ド部門でも7位。ちなみに1位はスティ−ブウィンウッド。そしてボンゾは1位のジンジャ−ベイカ−,2位のリンゴスタ−に続き3位にランクされています。 やはりこの頃の彼等の人気は凄まじいものがありました
ロバ−トプラントインタビュ−

リッチ−ヨ−ク氏

「自分自身がわかるまでは長い時間がかかるものさ」

Q こんなにも桁外れな,あきれるほどの大成功を収めることが出来ると思っていましたか?」

A とんでもない,全然考えてみたこともなかったよ。
僕だけじゃなくて他の3人もみんな同じなんじゃないかな。ジミ−だって,まさかこんな大げさな事になるとは思ってもみなかっただろう。
ただ彼はアメリカに於ける人気がかなり信頼性があるものだってことに,早くから気付いていたようだったけどね。だけど僕達の場合は余りにもカンシャク玉の爆発みたいで電光石火そのものだったんだ。僕達自身,現在のZEPがどれほどBIGであるのか,まだ理解出来ない状態なんだよ。だから,これは人に話しても絶対に分かってもらえないだろうなぁ。
例えば,今まで一度も行ったことのない町に公演に行くと僕達の車はたちまちファンに取り囲まれてストップし,彼等は窓のガラスを割って僕達を中から引きずり出そうとする。だけどこんな事はまだ序の口なんだ。
熱気に溢れたレセブションに出席する時,そして喚声に湧き立つステ−ジに一歩を踏み出す時,そこに何が起ころうとしているのか,現在の僕達がどんな立場に立たされているのか,少しづつ分かり始めるんだよ。毎日が万事そんな調子さ。こんな生活が現実になろうとは想像さえしていなかったよ。


Q ZEPが結成される以前は何をしていたのですか?

A 結成の直前まではアレクシスコ−ナ−のグル−プと一緒に仕事をしていた。ちょうどレコ−ディングの最中でスティ−ブミラ−を加えてアルバムを作っていたんだ。ずいぶんノンビリしたやり方だったっけ。
何もかもがダラダラとしてハッキリした進行状態じゃなかった。その他にもドイツでフェスティバルを開く計画を立てていたけど,どっちにしてもすべてがあいまいモウロウとした仕事だったね。それ以前は取り立てて人に話すような事はしてないよ。シングルを3枚カットしたけど,どれもこれも忘れてしまいたいような内容のものばかりでね,過去の記憶の中に捨てて来てしまいたいくらいだよ。
ボンゾと仕事をするようになったのは2年半ほど前からかな。とにかくZEPに加わる以前の僕は自分の音楽性が何を求めているのか,それを知ろうと必死になっていたんだ。
ミュ−ジシャンってものは初めは当時流行の種類の音楽から出発するのが普通だし,またそうすれば名声への道も近くて華やかなステ−ジやファンのかな金切り声をタップリ楽しめるからね。だから,ある時期は一応それで満足するんだ。やがて少しすると今度はブル−スをやりたくなって,結局最後に自分が本当にやりたかったものに到達することが出来るんだ。
そして自分の今までのすべての行為がミュ−ジシャンとしての欲望と目的を悟る為の単なる手段に過ぎなかった事を痛感するんだよ。
ミュ−ジシャンなら誰でも生涯の中でたった一度,この永遠の事実を体験する筈なんだ。だからショウビジネス界に足を踏み入れてから4〜5年の間,僕は自分が音楽的に何をしようとしているのか,ただそれだけを解明しようと努力していたんだ。ミュ−ジシャンとして生きる事を決意した以上,コマ−シャルな分野を歩き続けるか,それともあくまで自我を追及するか,ポップス界にはその2通りの道しかない。


Q それでは現在,あなたは自分の音楽性に適した種類の音楽を探し出すことが出来ましたか?

A うん,出来たと思う。ZEP結成後の1年間,僕は自分の望んでいた以上の様々な可能性をZEPの中に発見したんだ。僕がやりたいと思っていた事や,それ以上の凄いことが出来そうな要素が,ZEPの中にビッシリ詰まっていることがわかったんだよ。
だから今年は,過去の5年間を総合したよりも,もっと貴重な年になると思うんだ。なにしろ僕がポップス界に飛び込んだばかりの最初の5年間ときたら,僕は完全にツンボ桟敷に追い払われっ放しだったんだもんね。
バッファロ−スプリングフィ−ルドやモビ−グレ−プのものばかりやってた僕達はポップスファンからツマハジキにされてしまったんだ。当時のイギリス人は彼等の音楽の何たるかを知ろうともしないで,やたらと「アレは意味のない音楽だ」なんて決めつけていたからさ。
僕にとって実に多くの意味がある雑音だったんだけど。だって,スプリングフィ−ルドやグレ−プは自分達がやってる事を誰よりも彼等自身が一番よく知ってるんだ。そしてセカンドアルバムの中で僕は今まで自分が信じていたものを歌詞を通じて表現するチャンスにやっと恵まれたんだ。
3枚目のアルバムでは,その特色がもっと強くなっているだろうと.....つまり,僕自身の主張が一層強く盛り込まれているだろうと期待しているんだ。段々に,少しづつ,僕は自分自身がわかるようになってきたんだよ。こうなる迄にはずいぶん長い時間がかかったなぁ〜。どうにもならない不安や焦り,そして何度もこの道に入ったのが間違いだったんじゃないのか,なんて悩んだものだっけ。
まあ,誰もが一度は経験することだけどね。ジミ−さえもそうだったんだよ。ヤ−ドバ−ズ時代に,彼はそのことで散々苦しんだらしいけど,今じゃ万事がうまく行ってるもの。


「セックスシンボルだなんて言われて喜んでいるようじゃダメだよ」

Q ZEPがデビュ−した頃,アメリカのファンは,あなた達がジミ−ペイジのグル−プであると信じていました。しかし,それはあなたのステ−ジを見た時のショックをより大きくする原動力となって,あなたはロック界のヒ−ロ−として勇躍するようになりました。その間の事情は,ファン及び仲間のミュ−ジシャン達に,ジミ−とは別個にあなた自身の存在を印象づけさせた誘因として,大きな意味を持っていると思うのですが。

A YEAH,だけど,あれはあのままで良かったんだよ。現在のZEPの活躍はジミ−の力に負うところ極めて大であることは事実だし,彼がいなかったら我々は目的の方向とは別の道へ脱線していたかもしれないんだ。
その良い例として,かつて人気者だったスプ−キ−トゥ−スを見てごらん,彼等はアメリカで人気を得るばかりに力を注いでいるうちに,肝心の音楽インスピレ−ションをゼロにしてしまったじゃないか。最近またロンドンに帰って来て,何やら何週間も長い時間をかけて7曲ばかりレコ−ディングしたらしいけどバンドにとっては良くないことだね。
ジミ−の名声のおかげで僕達は有名なホ−ルやクラブで演奏することが出来たけど,でも結局はジミ−だってZEPの1人のメンバ−の1人である事に変わりはないんだ。ただ,申し分なく素晴らしいメンバ−であるだけさ。
幸運なことに僕達は1人1人がそれぞれ才能らしき光を持っているから,初めはWOW あれがジミ−なのだ,本当にスゴイや,なんて言ってた聴衆も,やがてジミ−の横にいる僕達を認めてくれて最後はZEP全体の価値を発見するようになるんだ。
まったく,最初の演奏旅行に出発した時は,何もかもすべてがジミ−中心に動いていたけど,彼は実際にそれだけの価値がある人間なんだよ。そして2度目の演奏旅行では,みんな他のメンバ−に注目するようになったし,評論家もグル−プとしてのZEPを批評するようになったんだ。
それからしばらくして僕達がそれぞれにステ−ジで自分の個性を発揮し始めるとファンの反応も少しづつ変わって来たとい訳なのさ。何ていうか,今までと感じが違うんだね。ステ−ジに一歩足を踏み出すと,僕の体はとたんに火の固まりのように熱くなって,すべての感性が急流のようにほとばしり出る,すると聴衆はまるで吸取紙のようになってそれを吸収するんだよ。
ステ−ジで沸き起こった僕の感情やエクスタシ−は,すっかりそのまま聴衆に与えられ,そしてすぐに何倍にも膨れ上がった反応になって僕に帰って来るんだ。つまり,与え,そして与えられるってことかな。僕達4人はそれぞれに異なった個性を持っているけど,それはどれひとつを取ってみても内気でジメジメした,ひとりよがりのものじゃないね。ボンゾに至っては気分がのってくるとドラムセットの上に飛び上がっちゃうんだ。1人1人のメンバ−の音楽性の為にも僕達はお互いを必要としているんだよ。


Q あなたはジムモリソンに代わる最も注目すべきセックスシンボルだと言われてますが自分ではどう思いますか? 認めますか? それとも軽く聞き流しますか?

A セックスシンホルなんて言われて有頂天になるようじゃ,そいつの人生はもう終わりだと思わないかい? どんなミュ−ジシャンでも顔やスタイルばかり褒められて,本人までがそのつもりになっているのは,どう見ても堕落だね。
そんな事で有名になるのは百害あって一利なし,恐ろしい事だよ。だから我々はアメリカで提案して,ポップア−ティストにそんな名称を送ることをヤメにさせるべきなんだ。もし僕がこのままそんな目で見られるんだったら,僕にとってはまさに地獄だよ。
だけど,もし何処かにセックスシンボルと呼ばれて内心喜んでいるようなミュ−ジシャンがいるとすれば彼は絶対こんなふうに考えると思う。俺は一流のシンガ−だし世界的な人気者であることは確かだ。しかし,それが何だっていうんだ? 果たして価値があることだろうか? 俺の回りには俺を追い越そうとしている奴がウヨウヨしてるし,中には俺より歌の上手い奴もいるってね。
要するに,すべてのミュ−ジシャンや僕自身に必要とされるのは,常に正直であり,自分を見失わないって事なんだ。,そして,たまにどうしても歌う気になれなかったり,人と話すのさえイヤな時でも,それを聴衆に気付かれないように振舞わなくてはならないんだよ。
正直に言うと,僕はみんながセックスシンボルという事をどんなふうに考えているのか,全然わからないんだ。ズボンを通して男性のナニ(この部分,彼は非常に卑猥な単語を使いましたから,そのまま訳せません)のカタチがハッキリ見えたりすると,それだけですぐにセックスシンボル登場ってことになっちゃうのかなぁ。
僕はZEPの中で1人だけ楽器を持たないからギタ−やドラムで隠れないし,全身が見えるのは僕だけだから他の3人よりセックスシンボルにさせられるチャンスが多かったかもしれないなぁ。だからそんなことを大ゲサに書きたてた記事を読んでも本気にしない方がいいんだ。僕達は音楽だけを目的としているんだし,セックスを売物にはしていないんだよ。


Q そうすると,ミュ−ジシャンの真のすがたとは,一体どんなものですか?

A 結局どんなミュ−ジシャンでも音楽を人生の目的にしようなんて絶対に考えていないんだよ。多分ジョンジ−だってそうなんだ。ジミ−はバ−トヤンシュやジョンレンボ−ンが好きだけど,僕はレンボ−ンが特に優れたギタリストとは思わないし,同じように僕が好きなア−ティストが必ずしもジミ−のお気に入りとは限らないんだ。つまりミュ−ジシャンってものは自分とは異質のジャンルにいるミュ−ジシャンを好きになるものだし,その好みたるや,一緒に仕事をしてる仲間でも実にバラバラなんだよ。
音楽の可能性を追求する事をあきらめてはいけないけれど,自分のしている事がバカバカしく感じられる時もあるし。僕は音楽の為に骨身をすり減らすのはイヤなんだ。もし出来ればグル−プを離れて,もっと有効に,もっと利口なやり方で人生を過ごしたいよ。とにかく,音楽なんてものは一生かかってする仕事じゃないね。


Q ZEPの初期に2度アメリカ公演に行った頃に比べて,あなたのステ−ジアクションは変わったと言われてますが。

A 僕達は今,自分のやりたい事をやっているんだと思う。でもファンは僕達がもっと傲慢になることを望んでいるんだろうね。実際いろいろ言われるんだよ。今のままでいいけど,前みたいに飛んだり跳ねたりゲラゲラ笑ったりするのはヤメにしたのかい? なんてね。確かに音楽から人生の情熱を切り離すことは出来ないに違いないんだ。
コンサ−トに集まる人達も僕等のステ−ジを見ることによって現実から開放されたいんだよ。それに僕だって自分を鎖から解放したい時は,ジッと静かに立ってなんかいないからね。でも,だからと言ってステ−ジで自分の感情を露骨に表現するのは良くないことだよ。それをやろうとすれば,どうしてもモリソンみたいになっちゃうもの。


「ジムモリソンのステ−ジは正視に耐えないね」

Q ジムモリソンは自分を意識し過ぎたと思いますか?

A ウン,そうだね。僕達は一度だけシアトルでドア−ズと競演したことがあるけど,その時も彼は完全に性的興奮に酔ってたよ。彼はモビ−グレ−プのスキップ.スペンスのような強烈な個性の持主だけど,あの種のステ−ジプレイを見せるミュ−ジシャンは,自分で作り上げた壁に自分自身を閉じ込めているんじゃないのかな。
自分の世界の中だけを夢遊病者のように駆け巡って,外界の変化を知らないんだ。ステ−ジに立った彼が聴衆に向かって,さぁみんな,オレと寝ようぜ,なんて呼びかけても数人の女の子がキャ−キャ−騒ぐだけで,あとはみんなシラケてるよ。
それから彼はステ−ジの端に立って今にも聴衆の中に転落しそうになりながら身をよじってセックスそのものに関するあらゆる動作を実際にやってしまうんだ。だけどあんなにブクブク太って薄汚くなった男が最近は以前にも増してセックスの表現に溺れているそうだから,考えてみれば少々気味の悪い話だね。
ハッキリ言うと,彼のステ−ジは正視に耐えない,吐き気を催すようなヒドイものだよ。僕はワイフと一緒にそれを見たけど,あきれて物も言えなかったね。でもドア−ズのアルバムは決して嫌いじゃないよ。彼等は革新的な才能を持ったミュ−ジシャンじゃないけど,そんなことはどうでもいい問題だし,モリソンの功績は認めてもいいと思うんだ。
CANCEL MY SUBSCRIPTION TO THE RESURRECTION はいいね。だけど彼は昔のドア−ズのようなスタイルのものはやらなくなったし,最近はセックスに関する題材から離れようとする兆候が見えて来たようにも思えるんだ。
多分,彼は僕達の頭上から遥か彼方に遠ざかった所にいるんだよ。そして彼は,その遥か上空の位置からドア−ズが序々に降下し始めた事を充分承知しているみたいだな。
彼は自分の思想や主張を両手にいっぱい抱えたままステ−ジに上がり,いきなり誰にも理解出来ないような,ワケの解らないことを喋り始めるんだ。すると,聴衆の中から1人か2人立ち上がって,我等の神だ! 王者だ! なんて叫ぶんだ。だけど僕には何故だか解らなかったよ。
ドア−ズの次にヤングブラッズが登場した時は聴衆も僕達もホッとして,大いに楽しい気分に戻ったものさ。それは彼等の音楽が暖かさに満ちていたからだし,彼等が笑うと聴衆も一緒になって笑うんだ。音楽とは元来そういうものであるべきだね。
男女の性交ばかりが重要なテ−マじゃないよ。
我々は気まずい思いをする為に演奏するんじゃないし,人々は楽しい時間を過ごす為にお金を払ってコンサ−トにやって来るのだから。


Q あなた達の成功の原因は何だと思いますか? スプ−キ−トゥ−スの失敗原因と比較しながら説明して下さい。

A ウ−ン.....スプ−キ−は結構イカしたグル−プだったよ。イギリスでは根強い人気を持ってたし,また実際に質の良い音楽を残したと思うんだ。失敗の原因は多分,彼等の中に潜んでいたすべての欠点が凝結してスランプに陥り,おまけに収入が乏しくなったからだろうね。
僕達については何も解らないよ。いろいろ考えてはみるけど,糸口さえもつかめないんだもの。まあ,僕達の音楽が良心的だったからか,それともステ−ジがエキサイティングだった為か,そのどちらかだろうね。


Q でも,他にもっと肝心な理由があったに違いないと思うのですが。ジミ−と私はハ−ドロック界のギャップこそがZEPの成功の謎を解く鍵であるという点に於いて,意見が一致しているのですけど。

A その質問は理論的に少々片寄ってるね。ZEPとCREAMの差は,初めて聞いた人でもハッキリ解ると思うんだ。とにかく感情表現の方法が全然違うんだよ。CREAMが解散した後,彼等の空席を的確に埋めることが出来るグル−プは,我々の他にも何組かあったハズなんだ。


Q しかし,ZEPの音楽はハ−ドロックに属していますね?

A オフステ−ジでは,僕達はそれぞれ異なった種類の音楽を楽しんでいるけどね。そして,それはZEPの中で,あらゆるカタチに再生されるんだ。現に僕達はこないだのコンサ−トで30分ばかりC&Wを演奏したんだよ。 (続く)


Q ロックンロ−ルは常にハ−ドロックと共に歩む,と言われてますが。

A それは確かにそうだ。スピリットのように古いスタイルのロックを独自の様式で演奏しているグル−プと競演することもあるよ。でも僕だって,人からシ−ッと言われる音楽ばかりを年中聴いてるワケじゃないんだ。
ハ−ドなものと一緒に,ソフトでスロ−な曲も聴いてるよ。僕が1番嫌なのは聴衆に等級をつけたり,区別したりすることだね。コンサ−トに集まる人々は,みんな1人1人違った理由,違った目的を持っているんだから,それを今日のお客はまるで解ってないとか,質が悪いとか決め付けるのは絶対に許されないことだと思うんだ。
だからZEPの人気は1人1人のファンによって調合された複合量産的なもので,根本的な発生源なんかは初めから無かったんじゃないかな。
例えば10代の女の子達が,キャ−,セクシュアル−な内容だわ!と大騒ぎする曲でも,もう少し年上のオネエチャン達は,もっと確実に僕達の意図するところを理解してくれるし。音楽ってものは聴く人の心に耕される創造と思考の世界なんだよ。
なぜあれほど多くの人達がコンサ−トに集まるかと言えば,それは彼等が僕達に関する意見や情報を交換し合ったり,ZEPを他の出演グル−プと比較してみたいからだろうし,だからどんなに多くの聴衆が集まっても,それは僕達の価値とはまったく無関係なんだ。たったひとつ解っているのは,僕達がラッキ−だったってことだけだね。


Q 最近のコンサ−トは,低年齢層の若者達が多く集まっているみたいですが。

A 多分,ゴスペルソングの流行が原因じゃないかな。それにしても不思議な話だね。僕は常々感じるんだけど,ZEPのファ−ストアルバムは徹底してコマ−シャリズムを寄せつけてないんだ。CSN&Yの方がずっとコマ−シャルだよ。特にボ−カル部分にその特徴が出てるね。
ZEPの中には,あらゆる種類の音楽がカンヅメにされていて,そのカンヅメの数は増える一方だよ。そしてメンバ−はそれぞれいつも昨日とは違ったことをやっているから,急激な変化を起こしてファンにショックを与えることは,まず絶対にないんだ。


Q 現在あなた達は他人の干渉を受けずに自分がやりたい事のみをやり,それはすべて成功しています。つまり,あなた達が与え,ファンが与えられようとしているものは,完全に一致するのではないですか?

A ウン,そうだね。だけど,どうしてあんなに小さな少年達に僕達の創作意図や精神的内面が理解出来るのか,僕は不思議でならないんだ。それも,デビュ−当時からのファンに比べて,その理解水準は少しも劣ってないんだよ。
最近の聴衆は,打てば響く,といった感じで実にたのもしいね。
ただひとつ気がかりなのは,ジャニスやヤングブラッズ,ニ−ルヤングなんかのコンサ−トに行くと,僕達の時に集まった聴衆が,ソックリそのままそこにいることなんだ。きっと,あらゆる種類の音楽を貪欲に楽しもうとしているんだね。
そして彼等は口を揃えて,バブルガムミュ−ジックはもう駄目だ。今はZEPがやってるみたいな音楽が流行なのさ,なんて言うんだよ。これはイギリスのポップスファンに共通した意見らしいけど,まったくイギリスって国はどこか変わってるね。おまけに,こんな傾向はオランダにも広まって,アムステルダムや他の町でも同じらしいよ。 


「スティ−ビ−にとってジンジャ−と一緒にいることはマイナスだ」

Q ZEPは初めアメリカで成功し,次に母国でも栄光を射止めました。しかし,中にはそれを快く思わなかった人もいたのではありませんか?

A そのとおりなんだ。イギリスの伝統的な保守主義は音楽にもその影響を与えてるんだよ。音楽誌のジャ−ナリスト達は,僕達が開拓しているような種類の音楽に対してはまだまだ批判的だし,それを裏町の売春婦的であるとして,社会的な必要性などまるで考えようともしないのさ。
だから我々は,あらゆるフェスティバルに常識粉砕のスロ−ガンを揚げてるんだ。余りにも斬新で破壊的なテ−マだから,色々問題も起きてるけど,この運動が聴衆を通して急速に広まりつつあるのも事実だよ。
ブル−スブ−ムが刺激になって,アンダ−グラウンドミュ−ジックへの認識が高められた事が原因かもしれないね。この風潮はイギリスだけじゃなくて,アメリカにも根を下ろしたんじゃないかな。ビ−トルズとフォ−クの影響を受けたウエストコ−ストのグル−プは動かし難い生きた証拠だよ。
例えばバッファロ−スプリングフィ−ルドのファ−ストアルバムも,その典型だと思うんだ。彼等のサウンドは序々にヘヴィ−な方向を示すようになり,歌詞の内容も複雑になって来て,最後には僕達の領域まで近付いてるんだもの。
でもZEPの音楽はイギリスやヨ−ロッパ各地に潜んでいるブル−ス的素材を下地として出発したものだけどね。何と言ってもフォ−クの底を探せばブル−スありで,イエンチやレンボ−ンもヨ−ロッパ風ブル−スを得意としているだろう?
いつの時代でも,ポップス界はブル−スミュ−ジシャンと称するア−ティストの温床だし,だから僕達はブル−スに新考察を加えようとしたんだ。とにかく一昔前のブル−スは貧弱だね。体系や種類,様式の範囲から考えても現在の2分の1ほどなんじゃないかな。まあ,ポップミュ−ジックの発展を促進させた功績だけは認めるよ。


Q あなたは誰の影響を一番強く受けましたか?

A RCAのブル−バ−ドレ−ベルでレコ−ドを出していたトミ−.マッククレランというシンガ−がいたんだ。彼は常に精一杯自分を主張してたし,ああ,お前と寝たい! なんて歌っても実に純粋で迫力があるんだよ。あらゆる感情を強烈にシャウトしているから,今でも彼のレコ−ドを聞くと体が震えて来るんだ。
それからロバ−ト.ジョンソンも好きだったな。彼のギタ−プレイには,ギタ−に対する愛情が隅々まで行きわたっているんだよ。だからボ−カリストたる人間は,グル−プのメンバ−に温かい信頼を約束しなくちゃいけないと思うわけさ。


Q B.B KING についてはどうですか?

A 彼の影響については,ハッキリ解らない。だけど,B.Bは好きだよ。かなり厳しい批判を受けたらしいけど,DON`T ANSWER THE DOOR なんかもいいね。でも,ギタリストが彼から受ける影響は大きいけど,僕はボ−カリストだから。
スヌ−ツ.エルジンやロバ−ト.ジョンソン,トミ−.マッククレラン,それにブッカ.ホワイトなんかは鼻声で歌う彼の唱法の影響を受けてるね。考えてみれば,僕が時々使う鼻声も彼の影響かな。自分でハッキリ感化されたと解るシンガ−は,前に言ったトミ−.マッククレランの他に,もう1人,レイ.チャ−ルズを上げなきゃいけないんだ。僕には到底あんなに上手く歌えないけど,あの低く弱く続いていた声が,急に高声になって絶叫するところなんかは何とも言えないね。
それから,スティ−ビ−.ウィンウッドにはいつも感心させられるんだ。スペンサ−.デイビスに人気が出始めた頃,DON`T START CRYING NOW,WATCH YOUR STEP,RAMBLING ROSE なんかを演奏しても,彼はいつもオリジナルとは違う独創的なプレイを見せていたもの。
他のグル−プは,例を上げればホリ−ズもそうだったけど,相変わらずジェリ−.り-.ルイス的な内容ばかりを追って,毎日毎晩ちっとも変わりばえのしない演奏を延々としていたものだよ。僕よりチョット年下であるだけの,まだ子供っぽい少年が感情をブチまけるように歌う姿を見て,チクショウ,アレは俺がずっとやって来た事だ,なんて思ったんだ。


Q スティ−ビ−にはこれからもGIMME SOME LOVIN` のような曲を歌ってほしいと思いますか?

A NO! 現在のままで結構だよ。彼はいつも全才能をフル回転させて仕事をしてるし,何よりも自分自身がやっている事を充分把握しているから安心なんだ。ただ,ブラインドフェイスの不和が気になるけど,トラフィックは存在価値が高いグル−プだから絶対に長続きするだろうね。
それにしてもジンジャ−.ベイカ−って人間は不可解だよ。彼にとって,ジンジャ−と同じグル−プに入った事は,大きなマイナスだったんじゃないかな。彼等とは以前,ブラインドフェイスがニュ−ヨ−クのマジソン.スクウェア−.ガ−デンでコンサ−トを開いた翌日に逢ったけど,その時もスティ−ビ−は何だか浮かない顔をして,ウンザリしていたっけ。
だから彼はスッキリとトラフィックに力を入れて,ザ.バンドのようにシンプルな曲を再研究してみるべきなんだ。何と言っても彼の才能はシンプルな曲に向いているんだから。
彼がスペンサ−.デイビスに加わり,そしてちょうど同じ頃,僕がブル−スに目を開き始めた時から,僕達2人はブル−スに対して,共通の目的を持っているんだもの。 


「結局,一番重要なのは歌詞の内容さ」

Q ZEPが男性的グル−プの代表だと思いますか?

A ピクニックやパ−ティ−用のバンドを除くと,どんなグル−プでも聞く人の心が音楽に酔える状態であるならば,その人を感動させることが出来る,と思わずにはいられないけどね。聞く人が音楽に対して素直であるなら,自然に心は踊り,グル−プが表現しようとしている以上の暗示を感じ取ることも出来るはずなんだ。男性的という点ではバッファ−ロ−.スプリング.フィ−ルドやモビ−.グレ−プがヒッタリだと思うよ。


Q 誰か,特にお気に入りのア−ティストはいますか?

A ウン,実際にステ−ジを見るチャンスはないけど,レコ−ドだけなら何人かいるよ。モビ−.グレ−プのアルバムは,例えばジョニ−.ウインタ−のブル−スなんかとは全然違ってるし,ニュ−アイデアを結集させたと言うだけあって,すごくゴ−ジャスなんだ。ギタリストのゲイリ−.ミラ−はフレディ−.キング風のテクニックを聞かせてくれるから,はじめは軽い良い気持,次にウットリだね。


Q ポップミュ−ジックのバンドに真のミュ−ジシャンはいない,という意見についてどう思いますか?

A そんな事を言うこと自体が間違ってるよ。


Q そういう事を言う人が実際にいる為にあなたはギタ−を買ったのではないのですか?

A それは違うよ。まったく別問題だ。エキサイティングな唱法の他に僕は色々な歌い方を試みて来たけど結局,一番重要なのは歌詞の内容だと思うんだ。優れた歌詞は楽器にも増して人を感動させるものだし,それには作詞だけじゃなくて作曲のコツも心得ておく必要があるんだよ。
セカンドアルバムではジミ−と合作で RAMBLE ON とTHANK YOU を発表したけど,せっかくイカした詩やメロディ−が浮かんでも,楽器が弾けなければ,チョットこれを聞いてくれよ,ってワケにいかないだろうから,もっと色々変わった曲を作る為にギタ−を習うことにしたんだ。


Q ジョンジ−をどう思いますか?

A これは大変な質問だね。ミュ−ジシャンとしては,信じられないほど豊かな才能の持主だよ。彼はベ−スプレイヤ−には勿論,またオルガニスト,ピアニストにも最適な人物だし,何もかもすべてが僕と違うんだ。
僕にとって五線譜や,その上に乗った四小節は余り重要じゃないんだよ。だって僕はボ−カリストになるほうが,ずっと簡単だったからね。いつも僕とは違った角度から音楽に接していて,僕が歌い難い曲でも完全にZEPのペ−スに乗せてしまうんだ。
もし彼がそれに気付いて,自分の才能を伸ばすように心掛ければ,きっと超異色派のミュ−ジシャンになれると思うんだけど。
ベ−スプレイヤ−としても,またシンガ−としても,僕はボブ.モズレ−が好きなんだ。モビ−.グレ−プの中でも音楽に対する彼のイマジネ−ションは抜群だよ。
それなのにステ−ジに上がると,彼等は自分達の音楽を,いかにもくだらなさそうに演奏するんだ。メンバ−の1人1人が自分勝手に音楽と遊んでるんだね。


Q ボンゾはどうですか?

A 彼は実に良いスパ−リング.パ−トナ−だよ,ハッハッハッ。僕達は随分長い間一緒に仕事をしているけど,2人がアチコチ渡り歩いたバンドの中では,ZEPがやっぱり最高だね。なにしろこれだけ成功したんだから。もし僕が彼をドラマ−として似つかわしくないと思ったら,彼はサッサとスティックを捨てるんだろうね。
だって僕じゃなくても他の誰かが同じ事を彼に言うハズだもの。だから僕はいつもみんなと仲良く円満にやって行けるんだ。それに愛妻家の彼は毎朝必ず奥さんに電話して,僕のワイフに花束を届けさせてくれるんだよ。


Q 最後にジミ−についてはどうですか?

A 1人の男が僕のそばにやって来て,どうだい,僕達と一緒に金儲けをしないかい? 冗談だと思って,OK! と答えたら,実際に金持ちになった。これがジミ−と僕の関係だよ。初めのうちは気がねして余り付き合わなかったけど,そのうち段々と親しくなってみると,彼が内気で恥ずかしがり屋のおとなしい人間であることが解ったんだ。作詞や作曲のアイデアも豊富だし,とにかくナイスガイだよ。 

ミュ−ジックライフ1970年10月号より抜粋
ジミ−ペイジインタビュ− 

リッチ−ヨ−ク

「僕達以上のグル−プがもう出て来てもいいはずだ」

Q あなた達の後継者はどんな所から生まれると思いますか?

A それはきっとすごく狭い門になるんじゃないかな? ほんのわずかな表現のモチ−フに,みんなが殺到することになると思います。以前はアンダ−グラウンドクラブがグル−プ発生の媒体となっていて僕達もソコを足場にして出発しました。

でも,現在はその基盤がコンサ−トに集まる人々全体に広く浸透しているんじゃないですか。一体何処からどんなふうにして生まれるのか,僕には全く解らないけど実に多くの,あらゆるスタイルのグル−プが僕達の演奏を聞きに集まって来ます。

余り多すぎて,どんな所にあれだけのグル−プが分散しているのか,ちょっと見当もつかない位です。まあ,それぞれのケ−スがあるだろうけど,やっぱりアンダ−グラウンド的な基礎を持つものが主流になるんじゃないかな。

Q 若いミュ−ジシャンの中ではZEP風のスタイルを目指す傾向が強いように思われますが。

A どうして僕達がやっているような種類の音楽ばかりに人気が集まるのか,僕にはまるで解りません。ただ解っているのはクリ−ムがM.S.Gでコンサ−トを開いた時,どういう訳か9歳から11歳位までの子供達がワンサとやって来て,そして彼等は演奏されている音楽の意味も解らず,少しも理解していなかった,という事だけです。

でもイギリスでは,主として13歳位のチビ君達がアンダ−グラウンドミュ−ジックのレコ−ドをセッセと買い込んで,しかもその主の音楽が現在どんな方向に進んでいるのか,ビックリするほど良く知っているんです。イギリスのチャ−ト順位は実に怪物的で,だから僕は時々,どんな人が何のレコ−ドを買っているのか,ものすごく不思議に思うんです。

ただ,現在発表されているレコ−ドの多くは,片手にお金を握りしめてレコ−ド店に飛び込んで来る13歳のチビ君達によって買われて行く,という事だけは確かでしょうね。

Q 一年前,あなたはZEPをどんな方向に向けて発展させるか,ハッキリ見当をつけていましたか?

A ええ,あの頃はファ−ストアルバムを聞いても解るように,我々は飽くまでハ−ドロックの追及を特色としてましたし,また実際にそうすべきだったんです。ブル−スも2曲ほど入ってますけど,とにかくZEPにとってはハ−ドロックとブル−スがすべてだったわけです。ただそれだけが我々の目標でしたし,今だって少しも変わってはいません。

でも,最近は僕達も他の種類の音楽に目を向けるようになり,1年前とはかなり質の異なったものを演奏するようになりました。THANK YOU がその良い例で
す。まだまだやりたい事は山ほどあるけど,内容や曲の趣が変わるのは自然の成り行きでしょうね。

Q 何もかも異例ずくめの成功を目の当りにして,やはり驚きますか?

A ええ,そりゃもう大ビックリです。スタ−ト当事のZEPは毎晩1.500ドルのお金を手にしましたけど,解散直前のヤ−ドバ−ズが一晩に2.500ドル貰っていたのを知っていたので,そんな額が僕達には,まあ妥当なセンだと思ってました。あの頃の毎日は目標に向かう階段を一歩一歩昇って行くような感じで,実に楽しかったなぁ。

でも,そうするうちにセカンドアルバムが売れに売れて僕達自身ではとても支えきれないような突拍子もない名声と人気の真っ只中に立たされてしまったんです。クリ−ムは解散するし,ヘンドリクスは停滞気味だったので,ハ−ドロックファンにとって僕達のデビュ−はちょうどタイミングが良かったんでしょうね。

Q 一般的な定理として,ポップスサウンドが平均してソフトになるとハ−ドロックに人気が集まると言われてますが,この点についてはどう思いますか?

A ポップス界は,その定理が正しい事を常に認めねばならなかったんじゃないですかポップチャ−トに関して実に不思議に思うのは,全体の順位に活気が無くなってつまらなくなると,また必ずハ−ドロックが登場してくる事です。ビ−トルズだって結成当時はハ−ドロックや MONEY のような古いR&Bナンバ−ばかり演奏していたそうですから。

Q ZEP以上のハ−ドロックバンドはもう現れないものでしょうか?

A いや〜,現れてほしいですねぇ。既に何処かに出現していることを期待してます。


「個人のエゴイズムはグル−プの大敵だ」

Q アメリカのポップスシ−ンについてはどう思いますか?

A ミュ−ジシャンたる者は誰でも,「LOVE 」のようなグル−プから強いインスピレ−ションを感じるものです。でも残念ながら,ア−サ−.リ−がライタ−として人並みはずれた才能を持っていた為に,彼等はとうとう解散してしまいましたけどね。

勿論バッファロ−.スプリングフィ−ルドは永久にGREATだし,他にも優れたグル−プは沢山います。ブラッド.スエット& ティア−ズだけはどうも僕に向かないなぁ。スピリットのアルバムは実にイカしてますかね。プレイしている時の雰囲気は最高ですよ。だから僕は彼等のステ−ジを見るのがとても好きなんです。

Q ドア−ズはどうですか?

A ジム.モリソンについては,あらゆる雑誌や新聞にセクシ−でゾッとするほど男臭い人物であると書き立てられていましたが,実際に彼のステ−ジを見た時には,話と違って余りに静かなのでビックリしました。僕はかねがね彼の作詞能力に敬服していましたし,スタジオの中で即興的に詩を書くという噂を聞いて,益々感心したんです。

でも,彼のステ−ジは我々とは全く別世界のもので共鳴すべき点は何もありません。写真で見た,あの黒いレザ−パンツに足を包んだイメ−ジからはほど遠くて,何だか僕のオヤジが目の前にいるみたいで音楽上の接点を見つけることは出来ませんでした。

Q ロバ−トはジムのコピ−である,という意見についてはどう思いますか?

A 彼が一体ジムの何を真似したっていうんだろう? 僕達はドア−ズとは完全に別質のグル−プなんです。もしセクシァルなイメ−ジを元にしてロバ−トとジムを関連づけようとするなら,ロバ−トのすべては余りにも,ソレ に迫り過ぎています。彼はハンサムでナイスルックスの持主だし,いえ,ジムがそうじゃないと言っているのではありません。

それに凄く男性的でたくましいイメ−ジを体から発散させているし,ステ−ジアクションは激しいし,印象も良くて歌は上手いし,とにかくすべてがセクシァルな衝動に満ち溢れているんです。僕が見た限りでは,ジムの行動は聴衆に対する一種の作戦というか,ハッタリですね。

だから,そんな態度は明らかに音楽ファンに対する屈辱だと思うし,従って彼のセックス表現は益々自閉的に,内面的になってしまうんです。それがロバ−トとは根本的に違う点です。

Q ロバ−トはもっと陽気で開放的で,ジムのように自意識過剰ではない,というわけですか?

A これは絶対に注意せねばならない事ですが,我々は決してエゴイズムの放浪を楽しんではいけないのです。この一言だけで,すべてのグル−プに必要な条件は充分言い尽くされると思います。

だから常に努力を怠らず間違っても,さて僕達もどうやら成功したようだから,ここいらでチョット骨休みしようや,なんて考えを起こさないことです。そんな事が頭にチラつくようでは,そのグル−プはもう終わりですよ。ひとつの目標が達せられたら次の目標へと自分の頭脳が燃え尽きるまで前進し続けるべきなんです。

Q ZEPの中で,エゴイズムの問題がくすぶった事はありませんか?

A いいえ全然。僕達はスタ−ト当時からお互いに協力してここまでやって来たんだし,4人の力を結集したおかげでビッグスタ−になれたんです。メンバ−はみんなごく普通の物の考え方をする奴ばかりだし,この,ごく普通ってところがとても良いんですよ。

心が休まるし理解し合えるんです。1人だけが注目されて人気者になったりした場合,その人間はグル−プのガンになりやすいんですね。だから,グル−プの1人1人が,ごく普通の感情を持っているってことは,とても大切なんです。

Q ブライアン.ジョ−ンズの事件は,正にそのエゴイズムから発したものだと思いますか?

A そのことについては,余り話したくないんですけど。。。
ブライアンは間違っていなかったし,あの当時のスト−ンズがどんな問題を抱え,それがどんな意見の衝突を招き,そしてどんな結果に終わったか,僕も良く知ってます。


「自分の演奏に陶酔してこそ良い音楽が生まれる」

Q ZEPは初めアメリカで実力を発揮し,現在でも一年に四回はアメリカ公演を実行しているようですが,どうしてそんな事情になったのか,説明して下さい。

A アメリカで仕事を始めたばかりの頃,僕達が一晩で受け取るお金は,やっと1.500ドル位でした。またある時は,一日中演奏しても,たったの200ドルしか貰えない日もありましたけど。僕達はまるで気にもしないで気楽にアメリカ風の生活を楽しんでいました。自分達の意思で決めたことだし,第一,目的はお金じゃなくて音楽だったんですから。

その点,イギリスでは実にヒドイ目に合いました。クラブやホ−ルの出演バンド調整係が,ZEPと言えばヤ−ドバ−ズの生き残りだろう,君達をスケジュ−ルに組んでやってもいいけど,ただし名前はニュ−.ヤ−ドバ−ズにしとくよ,その方が客の入りが良いからな,なんて言うんですよ。
イギリスでは,僕達はそんなジョ−クを当たり前のことのように受け取らねばなせなかったし,それに誰一人としてZEPの音楽を本気で理解してくれなかったのです。要するに,新しいものを目のカタキにするんですね。

でもアメリカでは,僕達には洋々なチャンスが与えられました。ビル.グラハムは東西のフィルモアに出演させてくれましたし,ラス.ギブをはじめとするアンダ−グラウンド.プロモ−タ−達は積極的に僕達を使ってくれたので,思う充分やりたいことをやれました。

だからアメリカに行って骨身を惜しまずバリバリ仕事をして,持っているものを全部出しきり,能力に限界が見えてきたらまたイギリスに戻って,同じことを繰り返せば良いのです。ただし,アメリカで才能を使い果たしてしまってイギリスに帰ってきても再起不能,なんていうのはもう駄目ですけどね。

Q 随分と多額の収入を得ているそうですが,今迄の最高額はどれくらいでしたか?

A 一番凄かったのは,ボストン公演で一曲につき,45.000ドル受け取った時でした。もっとも,それ以後はいつもそれに近い額を得てますけど。そうなると,もうお金のことはマネ−ジャ−に任せっきりにするより仕方ないですね。あとはギャラのパ−センテ−ジに目を光らせていれば良いわけです。

なにしろ,会場の格式や規模によって払われる金額も実にさまざまなんですから。ボストン公演で多額のギャラを受け取ったのは出演したホ−ルが一流だったし,7.000人もの聴衆が集まったからです。

Q それほど沢山の収入を得て,さぞ楽しいでしょうね。

A ところが,それが実際に自分のお金である,という感じが少しもないのです。知らないうちに直接銀行へ支払われてしまうので,僕達は手にとって札束の重さを味わうことはおろか,見ることさえも出来ないのです。

そしてそれらのお金も,アッという間に羽が生えたように減ってしまうんです。それは税金です。何しろ,イギリスでは90パ−セントが税金として持って行かれちゃうんですから。だから僕達のフトコロに残る金額は,そんなたいしたものじゃありません。

Q 一部の人達は,ジミ−.ペイジは自らZEPのサウンドに酔っている,などと言いますが,それについてはどうですか?

A 実に素晴らしい人達ですねぇ〜。良いことを言ってくれました。僕はかねがねZEPのサウンドがウルサ過ぎて,聞く人をウットリさせるどころかイライラさせるんじゃないかと心配してました。でも,それはそれなりに良い面もあるのですよ。

我々はすべての人々に理解されようとは思っていないし,音楽ってものは個人個人の判定に任せるべきだと思います。自分の心が自然に揺り動かされるようなら,その曲は良い曲なのです。アドリブ演奏はプレイヤ−の感情が熱く燃え上がらなければ生まれませんし,感受性が充実し,自分の演奏に陶酔してこそ,良い音楽が生まれると言えるでしょう。

Q あなたのバイオリン.プレイをトリックだと主張する評論家もいますが。

A それは僕にとって非常に重要な問題です。バイオリンの弓を使う演奏は,一見してトリック臭く思えるかもしれませんが,アレを使うと実に良い音が出るのです。それに,見ている人には解らないでしょうけど,とても難しいんですよ。なまじの事では使いこなせません。まぁ問題は,アノ音が聞く人にとって不快なものか,どうかってことですね。

Q ZEPを結成してから,あなたのギタ−プレイは進歩したと思いますか?

A それはどうだか解りません。でもZEPのメンバ−達と演奏するのは実にファンタスティックです。グル−プ結成以前にも彼等のような素晴らしいミュ−ジシャン達と共演した経験は一度もありません。従って,メンバ−同士がお互いに影響され合って上達したことは確かでしょうね。

Q 最初ZEPはジミ−.ペイジのグル−プだという声がありましたが,メンバ−達とは気まずくなりませんでしたか?

A いいえ,そんな事はなかったと思います。彼等はZEPの人気を,四人全体のものと考えていたようですから。そしてしばらく後に,僕の思っていた通り,ファンはメンバ−の一人1人の価値を発見するようになったのです。

我々は誰一人として,ZEPを一時的な腰掛にしようなどとは考えていませんでしたし,ステ−ジでは全能力を集中したプレイを見せたからでしょうね。聴衆の目が四人を平均的に観察するようになってから彼等の個性は益々その光沢を増すようになったのです。

Q 現在のZEPは申し分なく,平穏無事,といったところですか? 問題らしい問題は何もないのですか?

A そのことについては僕達もよく話合うんです。でも結局,僕達の回りを見渡してみても,良いグル−プと言われるグル−プはメンバ−も一定して,名声に値するだけの良い音楽を演奏しています。数多くのポップグル−プが内紛や分裂脱退騒動を起こしていますが,僕達はそんな事件とは無縁ですから,その点は実に結構だと思います。 


「他人を批判するのは好きじゃないけど」

Q ジェフベックをどう思いますか?

A 彼は文句なくGREATです。自分の感情がギタ−の弦から発散するような演奏をしている時など,実にファンタスティックです。天才肌で職人気質のミュ−ジシャンなんですね。

Q エリッククラプトンはどうですか?

A 彼は非常に味のあるプレイヤ−です。でもジョンメイオ−ルのグル−プを離れてから後のステ−ジは,まだ一度も見てません。クリ−ムやブラインドフェイスのコンサ−トにも行ったことがないんです。もっとも,それらのグル−プの時代はもう終わりましたけどね。みんなそう言ってますよ。

Q アルヴィンリ−はどうですか?

A 彼は彼なりに良い仕事をしてると思います。僕は他人のことを批判するのは嫌いなんです。誰にでもそれぞれの特徴ってものがありますから,アルヴィンは彼独特のなかなか良い曲を作るようだけど,僕とは進む方向がまるで違います。

Q どんなア−ティストの影響を受けましたか?

A サウンドの良い悪いは関係なく,僕は以前から最近のギタリストのレコ−ドは聞かないようにしているんです。聞くものと言えば,昔のブル−スギタ−ばかりですね。別にコレといった理由もありませんが,他のプレイヤ−が昔のレコ−ドをヒントにしているのなら,僕もひとつやってみようと考えるわけです。

もし僕が方針を変えてエリックやジミのレコ−ドを聞き始めたら,きっと知らないうちに彼等のフレ−ズに足を突っ込んでしまうんじゃないかと思います。無意識のうちに他人を真似ることは誰でもやっていますけど。現にエリックとジミのアルバムを聞き比べてみると,お互いのフレ−ズを交換したような箇所が必ず見つかるはずです。

僕はアコ−スティックギタリストが好きでイエンチなどをよく聞きます。彼のものは何度聞いても飽きないし,とにかく好きです。家にいる時はイエンチの曲ばかりかけて,自分でも一緒に弾きながら楽しんでいます。これからはもっとアコ−スティックギタ−を使う曲を増やしたいですね。ただし,フィンガ−プレイはC.S.N&Yに似ないようにするつもりです。

Q イエンチだけでなく,ブル−スギタリストについても話して下さい。

A 彼等はすべてGREATです。そしてそれぞれに自分だけの特徴を持ってます。だから,それらの特著を真似してるうちに,ある日突如として自分自身のスタイルを発見することが出来るのです。僕は今でもオ−ティスラッシュやマットマ−フィ−を欠かさず聞いてるし,勿論バディ−ガイも好きです。あの当時としては彼等はB.B KING より数段上に立っていたんじゃないかな。

B.Bに人気が出たのはごく最近だし,それも一種のブ−ムに過ぎないと思います。結局,現代では実に多くのミュ−ジシャン達がラッシュやガイのレコ−ドをテキストにして曲を作っているわけだけど,それらはすべて現代風にアレンジされ,それぞれの主張に色彩られて,完全に彼等自身の作品に生まれ変わっているんです。

Q ジョニ−ウインタ−についてはどうですか?

A 彼のスライドプレイはとても好きです。ロバ−トジョンソンの影響を少し受けているようですね。

Q あなたのプレイには特色が無い,などと非難する人もいますが。

A 自分ではよく解りませんが,確かにそうかもしれません。いつも自分の感情のままに弾き流してしまいますから。本人が味も何も無いと知りながら演奏している場合,そこに特色が生まれる筈は無いのです。でも,要するにギタリストというものは,何が出来るか,ということだけで充分だと思うのです。

僕は他のギタリスト達には真似の出来ない,僕の指だけが作れる曲を弾くことが出来るし,試しにクラシックでも弾こうものなら,みんな,ヤァなかなか味のある良い演奏だったよ,と言うに決まってるんですから。

Q どんなバンドが好きですか?

A 残念なことに,実際にそのステ−ジを見てみたいと思うバンドのコンサ−トには一度も行ったことがないのです。C.S.N&Yのステ−ジなどは是非とも見たいんですけどね。それからクリ−プランドあたりを根城にして活躍している,僕にギタ−をプレゼントしてくれた友人,そのギタ−を僕は今でも使ってるんだけど,ジョ−ウォルシュという名の友人が結成しているジェイムスギャングっていうグル−プも見たいですね。彼等はなかなかイカしたプレイを聞かせるので,早く良いチャンスをつかんで欲しいと思います。

Q スト−ンズはどうですか?

A 彼等については余り詳しくはないのですが,あなたは例のハイドパ−クのフィルムを見ましたか? 始めの数曲はとても良かったけど,サティスファクションあたりになって急にクズレ出したのは何故だろう?

多分あの長いブランクがたたったんだろうけど,彼等にしてみればケタ外れの聴衆を前にして,さぞや辛い経験だったろうと思うんです。きっと地獄に落とされたような苦しみだったはずですよ。でも,あのコンサ−トは一応成功したんだし,何と言ってもミックジャガ−は抜群です。特に作詞能力ついては,神ワザとしか言いようがありません。

Q 次にビ−トルズについて一言。

A 彼等は既に存在しないグル−プになったんじゃありませんか? 過去に於いてビ−トルズのサウンドは実にフレッシュでしたし,独特のギタ−スタイルを考案してポップス界に功績を残したと思います。

Q アビイロ−ドにおけるジョ−ジのプレイについてはどうですか?

A あれは本当にジョ−ジなんですか? 絶対にポ−ルですよ。まぁどちらにしても,とにかく素晴らしいですね。 


「僕達が成功したのはラッキ−だっただけ」

Q 今後の方針について話して下さい。

A そっけない返事ですみませんが,それは答えられません。予定は立ててあるのですが,必ずしも実現するとは限らないし予定の段階なので,やはり話せません。一応実現出来るだろうとは思うんですけどね。

Q セカンドアルバムについての感想を一言。

A あれを完成させるまでには随分長い時間がかかりました。途中で演奏旅行に出たりしたので,ほとんどの曲をホテルの部屋で書かねばならなかったのです。特に最初の曲にはどうしょうもないほど手こずってしまって,やっとOKになった時はテ−プを聞くだけでゲップが出そうでした。でも,みんなは真面目な顔でGREATだと褒めてくれますし,僕もまあ良い出来栄えだと思います。

Q プロデュ−サ−の仕事は楽しいですか?

A 誰にも指図されないで自分の創作意欲をおもいきり満足させることが出来たら,それはミュ−ジシャンにとって最高の幸せです。ところが,いざアルバム製作にとりかかって,どんな曲を入れようかという段になると,プロデュ−サ−氏はいつも決まって,それよりコッチの曲の方がずっと良いじゃないか,どうしてコレをやらないんだい? などと嘘ぶき始めるんです。そして長々と説得されて,最後にはとうとうその曲を使うハメになっちゃうんですよ。

自作自演をモット−とするミュ−ジシャンにとって,それは耐えられない屈辱です。シングル盤の場合はまた別ですけどね。そんなわけで,ZEPのアルバムはいつも自分でプロデュ−スする事にしてるんです。

Q シングル盤を作るような計画があるのですか?

A ええ,イギリスに帰ってから準備を進めるつもりです。コ−ラスやリフの部分はまとまったし,歌詞も2行ほど書けていますが,ひとまずイギリスへ帰って一週間ほど休養してから,それぞれのアイデアを検討してみようと思っています。
一応4曲ほどレコ−ディングして,その中にシングル向きだと思うものがあればすぐにカットするし,もしなければそのまま没にするか,新しいアルバムに入れるようにします。

Q 頭の中だけで整理した構想は,レコ−ド作りには通用しないと思いますか?

A どんなミュ−ジシャンでも,初めは頭の中だけで曲想を練るものです。でも,頭脳を駆使しないで突発的に出来上がった曲でも,快いサウンドでありさえすれば,それで良いと思います。

Q あなたは頑固な人間が大嫌いでタクシ−には絶対乗らない,と聞きましたが。

A ええ,僕は物の見方の狭い人間が大嫌いなんです。ロングヘア−の男に対する彼等の態度は,腹が立つやら口惜しいやらで言葉にもなりません。例え自分の髪が短くても,頑固でコチコチの石頭でも,思いやりのある温かい心を持った人間ならば,他人に向かってあんな汚い言葉を吐き捨てないはずです。

それに最近ではロングヘア−は一般的な傾向になっているじゃないですか。もし僕が黒人だったとしたら,あの体臭のおかげでどんなヒドイ目に合っていたか解ったものじゃありません。とにかく,髪や服装で人を軽蔑したり,からかったりすることは絶対許されないのです。

Q 他にはどんな所で冷たい視線を感じますか?

A レストランでも年中嫌な思いをします。ホテルのフロント係もウサン臭そうにジロジロ眺めますし,第一,水が汚れるとでも思うのかどうか,プ−ルで泳がないでもらいたい,というような意味のことを言うんです。その男がどんな顔をして僕にそう言ったか,すぐに想像出来るでしょう?
残念なことに,彼等はまぎれもなく僕達と同じ世代を生きている人間なのです。それなのに敵意のこもった目でしか僕達を見ようとしないのです。

Q 多くの英国製グル−プがアメリカに流出している現状を見て,イギリスのポップスファンは心中穏やかでないようですが。

A 彼等が何故アメリカのマ−ケットに進出したがるのか,僕にはよく解ります。何と言っても,ZEPは彼等のハシリのようなものですから。それにしてもガンやラブ.スカルプチャ−,クロ−ド.アンド.アザ−ズなど,イギリスでパッとしなかったグル−プはみんなアメリカに行ってしまいましたね。

でも考えてみれば,イギリスで仕事をしているアメリカのグル−プの数だってバカにならないんだから。そこは公平に観察すべきですよ。僕達だってアメリカへ乗り込んだばかりの頃は,ZEPの名前を知ってる人なんてほとんどいなかったんだもの。これだけ成功したのは,ただすべてにラッキ−だっただけです。 



ミュ−ジックライフ1970年12月号より抜粋
「ニュ−.ロックのコピ−なんてナンセンス」

ミッキ−.カ−ティス

67年9月に日本を発ってから,約3年ぶりにイギリスから帰って来たわけだけど,音楽界の変貌ぶりには一瞬,驚かされた。でも,いろんなコンサ−トを覗いたりしてると,2週間も経たないうちに,実は昔と全然変わっちゃいないってことに気がついた。確かに外観はすっかり変わったけどね。

一番感じたのはオリジナリティのなさ。ガッカリさせられたよ。どうしてああまでコピ−に徹するのかな。

向こうじゃ絶対に許されないことだ。グル−プの連中と話してみると,新しいレパ−トリ−を増やすことが「新しいこと」やってるってことと同じだと思ってるみたいだね。
洋盤の良いのが入ってこないから新しいのが出来ないなんて言ってるのを聴くと,そう思わざるを得ない。

僕が,いいな,自分達のものを持ってるなと思ったのはせいぜいフラワ−.トラベリン.バンドぐらい。
彼等がオリジナル SATORI を作ったことは出来不出来に関係なく良いことだと思う。

結局,コピ−はコピ−でしかないんだから,いくらツェッペリンを上手く真似てもレコ−ド買う時は本物買ったほうが良いもの。それはニセ者じゃないからね。
グル−プにしても上手いヘタでしか評価出来ない状態だから,どうしても比べてしまう。そうなるとグル−プ同士にも変な競争意識が出来てくるんだよね。

向こうじゃ上手いヘタより,そのグル−プの出す音に魅かれてファンになるから,個人の好き嫌いで選べるわけだ。
日本じゃみんな同じようなことをやってるから聴くほうは共感も何もあったもんじゃない。

これは決して技術的なものじゃない。コ−ドなんてひとつしか知らなくたって曲は出来るんだし,特にフリ−なニュ−.ロックの場合はリヴォル−ショナリ−な思想の裏付けがある音楽なんだし,今まで人がやらなかったような音を出したり,12小節と決まっているところを13小節半やってみたりとか,今までの型からハミ出した音楽であり,決められたコ−スでの生活や社会に対するプロテストのひとつとして生まれてきたものだから,そういう各自の気持,フィ−リングを表現しなきゃ,何も意味がないものなんだ。

これは音楽に限らず,今やファッションや生活自体でもそう言えると思う。そういった根本の思想の裏付けがない人が,いくら頑張って真似しても魅力の対象になりえるわけがない。

ジミ−.ペイジの曲を一生懸命コピ−したってジミ−.ペイジの気持も自分自身の気持もどちらも表現出来ないのは当たり前だし,かえって時間の無駄さ。お客さんもついてくるわけがないよ。

レコ−ドだってュ−.ロックのは売れてないって聞いて調べてみたら,ちゃんとジミヘンやツェッペリン,グランド.ファンクとか向こうのは売れてて商売になってるじゃない。
向こうでは同じ日にツェッペリンやブラック.サバス,フリ−とかと一緒のクラブに出る時が現にあるんだから,真似なんかだったらすぐクビになってしまう。

日本はイ−ジ−過ぎる。ロック.フェスティパルの興行についても同じことが言えるね。余りにフリ−だ,10円だってやってしまうんで,もうそれが当たり前になっててお金を取るっていうと文句を言われる。

現にフラワ−のサヨナラ公演がそうだったし,イギリスでのフリ−.コンサ−トはちゃんと興行主がいて,1年1回とか限られた回数でしかやらないし,出たグル−プにはキチンとギャラを支払ってるんだ。その話題性を狙ってるんだよ。ロック界の仕組みがもう根本的に違ってるわけだ。

僕達サムライズがドイツで公演した時は同じ日にッェッペリンもコンサ−トを開いていたけど僕達の会場は満員だったよ。
ツェッペリンを止めて来たって人もかなりいたんだ。やはりオリジナリティ,サムライズはサムライズ,という個性を持ってればそれを聴きたいと思えばツェッペリンがやって来ても聴きに来てくれるわけだ。

アルバム作る時も3ヶ月位は何も仕事せずにレコ−ディングに没頭するし,曲数も入れる予定の2倍位を作ってその中から良いものをピックアップする。ギリギリの数しかやってないと,出来が悪くてもアルバムに入れなきゃならないからね。

日本もそれ位の余裕がほしいなとつくづく思った。やはり,まだまだすへての面でイ−ジ−過ぎる。
でもこれはやっているミュ−ジシャンの責任だろう。コピ−から脱して良い時期は,もうとっくに過ぎてると思うけどな。
根本的に考え直さなくっちゃいけないことだ。 (終)

(オマケ)
同誌からミニ.ニュ−スをひとつ。

日本では人気の点でジミ−.ペイジと激しく競いあっているエリック.クラプトンですが,相変わらずギタ−の神様としてイギリスでは絶大な人気を持ってます。

ドミノスとしての初アルバムも11月末には2枚組でポリド−ル(アメリカではアトランティック)からリリ−スされる予定で早くも前人気は上々。
これにはジミヘンのナンバ−リトル.ウィングが入っていたり,オ−ルマン.ブラザ−ズのデュアン.オ−ルマンが加わっていることでも話題になっています。

またバ−ミンガムにあるアストン.ユニバ−シティでの公演には2.000人の聴衆が集まり,ロバ−ト.プラントも来てました。フラリとステ−ジに姿を見せたものの,ノリにノッてプレイしていたドミノスは勿論,観客もほとんど気付かず,そのうちロバ−トは出て行き,ジャム.セッションは実現しませんでした。

ミュ−ジックライフ1970年12月号より抜粋。


音楽専科1969年6月号より 


表紙 記事のページ 裏表紙

 

特集 これぞニュ−.ロックの真髄

(文) 桝田たけむね(TBSラジオ)

現在のロックの世界は何とも言い尽せない倦怠感を伴ない何かしら新しい創造を起こそうとして暗中模索しているとはいえないだろうか。その顕著の例が現在ア−ト.ロックとかプログレッシッブ.ロックなどの名で呼ばれているところのロックの出現とその成長ではないかと思う。

しかしア−ト.ロックなるものが一体どんな音楽であるかという事について述べる事は容易な事ではない。何故ならア−ト.ロックと呼ばれている音楽は必ずしもひとつの方向を指向している音楽ではなく,各グル−プによってその指向するところが異なっているからである。

例えば音の構成,演出に重点を置いているものから,フリ−.ジャズの要素を取り入れたもの,或いはその骨格をクラシックやブル−スに求めているものがあったり,またインド音楽やアフリカの音楽に取材したものがあるといった具合に,ア−ト.ロックがこうであると規定する事は出来ない。

唯一いえる事は,ア−ト.ロックという新しい傾向のロックは既成のロックにある概念を打ち壊して,より自由な立場に於いて自己の表現或いは探究を行おうとするものであるといえる。極言するならこれは創造する者達だけの音楽といえるものである。そしてまた,この音楽は現代社会という巨大な怪物の中に住み得ないアウトサイダ−の音楽ともいう事が出来るのではないだろうか。


「主張」
ブル−スからフリ−.ジャズの方向へ

私はア−ト.ロックが様々な音楽を素材としているという事を書いたが,このレッド.ツェッペリンが素材としている音楽はブル−ス以外のなにものでもない。彼等はブル−スという偉大な音楽にその素材を求め,そこから彼等の音楽を実験的に発展させていっている。

まず彼等の内的な問題,即ち思想的な面について触れてみると,彼等の思想の根底になっているものが自己の存在という人間の永遠のテ−マから発している事はうなずける事ではないかと思う。そしてその思想の源といえるものは文学者であり哲学者でもあるコ−リン.ウィルソンの著書の中に見られるアウトサイダ−の思想なのである。

現代という物質文明の発達した社会,機械文明の発達した社会というものは個人の存在を認めようとはしない。人間はこの巨大な機構の中ではひとつの「物」にすぎないのだ。そういった精神不在の地では人間が本元的な意味での自己を認識する事は極めて難しいといえる。

そういう社会背景の中で彼等が自己の存在というものについて思考するのは,彼等に与えられた宿命的なテ−マともいえるのである。そしてこの思想こそデカルトに始まりキルケゴ−ル,ニ−チェを経てハイデッカ−,サルトル,カミュに至る実存主義の思想なのである。

こういった思想を内含するレッド.ツェッペリンの音楽は,その手法としてはブル−スをその基本的なベ−スにし,その上にモ−ド手法などの要素も取り入れたものであり,そのインプロヴィゼイションはスケ−ルによるものが見つけられるというものである。

現時点ではそのアドリブの中にメロディ−が存在するが,究極に於いてメロディ−は破壊され,自然発生的なものによって音楽を構築して行くというフリ−.ジャズ的なものへと進んで行く予感を漂わせているといえるのではないだろうか。しかしその反面彼等は常に自分達の音楽の中に生のもの基礎的なものを望んでいるという事実を忘れてはならない。 


「テクニック」
象徴的なロバ−ト.プラントの存在

このような深い思想を内含する彼等の音楽を実際に音として表現するための技術はかなり高度なものでなければならないといえる。まずリ−ド.ギタリストのジミ−.ペイジの表現技術というものについて触れてみよう。

ジミ−.ペイジはヤ−ドバ−ズの創立者の一人であり,またセッションマンとしても一流である。彼のギタ−を聞いて感じる事は一音一音が非常に美しいという事だろう。これはフィンガリング(運指)が正確で丁寧である事と共にピッキングが良いという事に外ならない。また彼の奏法上の大きな特徴はフレット上を指で横にすべらし,半音たまった位置からグリッサンドして来る事ではないだろうか。

そしてそれはジェフ.ベックの奏法に見られるポルタメントの効果にあたるものといえる。次に特徴的な事は,早弾きのパ−トに於いても一瞬音をためこんでから出すという奏法で,これはリズム的なスリルと緊張感を作り出す事に成功している。
そしてこれらを電気的に処理する事で全体的な音の広がりをつけているのである。

このグル−プのベ−シスト兼オルガニストであるジョン.ポ−ル.ジョ−ンズは編曲者としての才能も合わせ持った人で,ドノバンの曲やスト−ンズの曲などの編曲を手がけている程である。また彼はセッションマンとしてドノバンのレコ−ディングにベ−スで参加したり,ジェフ.ベックの「TRUTH」のレコ−ディングにオルガンで参加したりしている。

彼のオルガニストとしての才能は大変高いもので,特にそのタッチは素晴らしいものといわねばならないだろう。オルガンという楽器はキ−から指を離す時が難しい楽器なのだが,彼はキ−の上をすべらせるような感じで指を運び,なめらかなバッキングまたソロを聞かせる。彼の奏法上の特徴は運指に於けるスロ−ハンドといえるものである。

ドラムスのジョン.ボンハムは1968年ティム.ロ−ズの伴奏をした時,ドラムソロを聞かせたが,それは一大センセイションを起こした程である。彼のドラミングは純粋にテクニックの面だけで捕らえるならば,それ程のテクニックを有しているとはいえないと思う。しかし彼のドラムには他のドラマ−には見られない創作的な面があるといえる。

よくヴァニラ.ファッジのカ−マイン.アピスのドラムが劇的要素を持っているというような事を聞くが,ボンハムのドラムにはアピスには感じられないイマジネ−ションの奔放さといったものを感じる。彼のテクニックに於ける重な要点は最近のロック.ドラマ−はひじで叩く人が多いが,ボンハムは手首のスナップを使って叩くのである。
そうする事によって,あの正確なリズムとスリリングなリズムが刻み出あれるのだ。これはドラムの基本的な事だが伴奏者として一番重要な事といえると思う。

最後に残ったリ−ド.ヴォ−カリストのロバ−ト.プラントについていえば,彼はマイクなしでも充分に歌えるという程大変な声量を持った人だといえる。これはオン.マイクで出ない声を出して歌うシンガ−の多い中で特徴すべき事ではないだろうか。

彼はイギリスでブル−スの復興を始めた人でもあるが,彼の今日のブル−スというものの解釈は独特のものであるといえる。また彼は声をひとつの楽器として考える事によって彼独自の唱法を作り出している。これはジャズ.ヴォ−カルに於けるスキャットと同じ考え方にあるものと思える。

このような彼の唱法はブル−スを新しく解釈し表現しようと試みて来た過程に生まれ育って来たものなのだろう。今述べたように各人がレベル以上の実力を持ち,ジミ−.ペイジ,ジョン.ポ−ル.ジョ−ンズという偉大な作,編曲者を兼ね備えているレッド.ツェッペリンの人気,またその将来性はどんなものであろうか。


「将来性」
指導的地位を約束する実力

私はこのグル−プが解散してしまわない限りは近い将来絶対的人気を得る事を疑わない。
何故私が今解散してしまわない限りと注釈をつけたかというと,現在のロック界はグル−プを組んで演奏活動を続けて行くという事から,各人がグル−プというものを持たずにジャム.セッションの形で演奏を続けるという傾向に変わりつつあるからである。

また現在までにヤ−ドバ−ズをはじめトラフィック,クリ−ムなどの優れたグル−プが音楽的思想の問題からグル−プとしての可能性を残したまま発展消滅的に解散して行く例が多いからである。まあそれは別にして,彼等の現在の評価というものについて触れるならば,彼等はイギリス,アメリカのロック.ミュ−ジシャン達からクリ−ム,ジミヘンによりなし遂げられた最高のものに到達しようとする次のグル−プといわれているのである。

また日本に於いてもすでに彼等に注目する多くの人々を持っているといえる。例えばTBSのラジオの深夜番組で,福田一郎先生担当の日にレッド.ツェッペリンのアルバムを紹介した時などその反響は大変なものであったという事を担当ディレクタ−に聞いて,彼等の音楽には人をひきつける何かがあるという事を強く感じた。

こういった事実からも私は彼等の将来はすでに約束されていると思うし,また彼等の実力からして今後彼等がア−ト.ロックの中で占める位置というものが指導的なものである事は容易に予測される事であると思う。  


「ルックス」
4人に共通する思索的な容貌

ルックスについて云々するのは大変に苦手で,何をどういったら良いのか私には分からない。
写真を見てもらえば一目瞭然その通りなのだが,あえていうなら彼等四人に共通して目がとても淋しい影を帯びているという事位だろう。

ジミ−.ペイジのルックスから受ける印象は女性的なものが非常に強い。そして全体的にいって極めて思索的な容貌をしているといえる。ジョン.P.ジヨ−ンズには内向的な印象を受けるのだが,それと共にどこか弱々しさを感じる。インテリゲンチァアの弱さというようなものを顔に表しているようでもある。

ジョン.ボンハムはグル−プの中で一番挑戦的なルックスをしている。髭をたくわえているのも彼一人で,彼には何処か侍的な禁欲のイメ−ジが浮かんで仕方ない。

またロバ−ト.プラントについていえば,その豊かな髪と落ち澄んだ目から強烈な個性を感じないわけにはいかないだろう。英国の詩人バイロンに似た風貌の彼には中世の吟遊詩人のイメ−ジが感じられる。

そして彼等四人の偽らざる姿は虚像と現実のギャップの中に生きる若者の姿といえるのではないだろうか。

紙面も残り少なくなってしまった。最後に彼等のアルバムについて触れておこうと思う。


「決定盤の徹底的分析」

ファ−スト.アルバムには
GOOD TIMES BAD TIMES,BABY I`M GONNA LEAVE YOU,YOU SHOOK ME,DAZED AND CONFUSED,YOUR TIME IS GONNA COME,BLACK MOUNTAIN SIDE,COMMUNICATION BREAKDOWN,I CAN`T QUIT YOU BABY,HOW MANY MORE TIMES 以上九曲が収められている。

このアルバムでは彼等の音楽の総ては表現されていないように思えるのだが,彼等がこれから何を行なおうとしているかという事を予感させる何かが含まれていると思う。

また聞きようによっては,ここに収められている曲から受けるイメ−ジはヤ−ドバ−ズの音楽を発展させた延長上にあるともいえるのだが,何よりもこのアルバムが彼等の音楽を発展させて行く為の実験的なものになっているという事に注意を向けてもらいたい。

そしてまた,ここに表現されている重大な事実は彼等自身の音楽をどのチャンネルに合せ孤立させるかを知る為の実験がなされているという事である。それは彼等の音楽がブル−スという偉大なものに基礎を置き,それに今日的な彼等独自の解釈を付け加えて行き,イマジネイションという事象に於いて音楽を構築して行こうとするものなのだといえる。

そこには既成のロックの中にある観念を粉々に打ち壊して,新しい創造を起こすという姿勢があるのだ。そういった意味でこのアルバムが彼等の将来の音楽を形成する重要な布石であるという事が良く解ってくるのではないだろうか。

音楽専科1970年4月号より
 

「レッド.ツェッペリンは何故うける」(文) 桜井ユタカ


「ロックへの積極姿勢を評価したい」

 イギリスのロックンロ−ル界にとってだけでなく,アメリカのロックンロ−ル界にとっても,レッド.ツェッペリンの誕生はもっともショッキングな出来事のひとつでした。

レッド.ツェッペリンが誕生した1968年の秋から現在までのわずか13〜14ヶ月ほどの短い間に残した彼等の足跡だけからも,それは簡単に証明出来るはず。
英.米のロックンロ−ル界は,この2〜3年の間に過去のそれが10年間に体験したこと以上のことを一度に経験してしまいましたが,このレッド.ツェッペリンという独創的で前進的で包容力に富んだロックンロ−ル.グル−プの誕生も,もちろんそうした経験のひとつと言えます。

しかし今考えてみると彼等の登場は,ちょうど転換期を迎えつつあった流動するロックンロ−ル界には今後のロックンロ−ル音楽のひとつの方向性を示したという意味で,その重要性は大きく,ロックンロ−ル界にとっては非常に貴重な経験だったと思います。

それはロックンロ−ル界にとってはブラッド.スウェット&ティア−ズ,シカゴ,さらにジェファ−ソン.エアプレ−ン,ドア−ズなどの誕生という経験に四敵するといっても決して過言ではないはず。

レッド.ツェッペリンは確かに今のロックンロ−ル界に於いてはすべての面で,もっとも支持され,受け入れられる音楽性を持っていることだけは確かです。
彼等のロックンロ−ルには第一にエネルギ−があります。それは単なるメンバ−各人の純粋なロックンロ−ル音楽に対する情熱に起因するそれではなく,むしろ逆に自分達のロックンロ−ルに音楽を少しでも多くの人々を認識させ,その内部に引き込もうとする非常に積極的な姿勢から生まれたものです。

大衆が求めているものを自分がもっとも満足のいくカタチで歌い演奏することをいつも心がけていると,ハッキリ表明するジミ−.ペイジの態度がレッド.ツェッペリンの本質を,実にうまく言い表していると言えるでしょう。

人は,それをコマ−シャル化と言い大衆に対する迎合であるとして非難しがちですが,それはまた別の問題で,ここではあえて触れないでおくことにします。
現実問題としてレッド.ツェッペリンは今イギリス,アメリカのロックンロ−ル界では,想像を絶するスケ−ルで熱狂的な支持を受けてます。それは,とりもなおさず彼等のロックンロ−ルが現代の若者達にとって完全に満たされたものとして存在しているわけです。



「人気を不動のものにした3回の渡米公演」

ところで彼等の音楽が,いかに熱狂的に,また絶大な支持を受けているかということを実際に知ることは彼等の魅力を追究する上では,決して無駄骨ではないはずですから。
ここで少しスペ−スをさいて,彼等のアメリカでの行動を追ってみることにします。

1968年の夏にヤ−ドバ−ズとして最後のアメリカ公演を終えたジミ−.ペイジはイギリスに戻り,秋にはレッド.ツェッペリンとして再スタ−トを決心。これが正式なレッド.ツェッペリンのデビュ−ということになりますが,音楽的には,この時点で完全な変革をしたわけでは,もちろんありません。
一応ヤ−ドバ−ズの末期の音楽性の延長というべきでしょう。

レッド.ツェッペリンのアメリカ上陸は1968年12月28日,カナダのバンク−バ−での公演の1日後,すなわち29日オレゴン州ポ−トランドでその幕は切って落とされています。

そして少しずつ南下し,1969年1月2日にはついに,ロスアンジェルスに到着し,5日迄の4日間はウイスキ−.ア.ゴ−.ゴ−での熱狂的なステ−ジを経験。
さらに9日から11日まではフィルモア.イ−ストで公演を行い,早くも全米のロックンロ−ル界で一大センセイションを巻き起こし始めるわけです。特にこのフィルモア.イ−ストへの出演は大成功で彼等の人気は,これによって不動のものになっています。

こり後,デトロイト,ボストンを経て1月31日の夜,今度はイ−スト.コ−ストに上陸し,ニュ−ヨ−クのフィルモア.イ−ストでまた熱狂的なステ−ジを繰り広げています。
そして2月14〜15日のマイアミでの公演を最後にイギリスに戻っていますが早くも4月24日には2度目のフィルモア.ウエストに4日間し出演し,やはり一大センセイションを巻き起こしています。

この頃すでに彼等はビ−トルズ,ロ−リング.スト−ンズは別にしても最も熱狂的な歓迎を受けたイギリスのロックグル−プとして業界紙はもちろん週刊誌,ファン誌の紙面をにぎわせたということです。

この2回目のアメリカ公演はデトロイトのオリンピア劇場(5月16日)ニュ−ヨ−クのフィルモア.イ−スト(5月30日〜31日)ダラス,ヒュ−ストン,サンアントニオ,アトランタなどを経て7月6日ニュ−ポ−トのジャズ.フェスティバルにつながり,8月31日デトロイトの公演を最後に幕となっていますが,この間に1月に発売された「レッド.ツェッペリン」のアルバムが100万ドル以上の売り上げを示し,アトランティック.レコ−ドからゴ−ルド.レコ−ドを授与され,彼等の人気に一層の拍車がかけられています。

しかし10月17日のニュ−ヨ−クはカ−ネギ−.ホ−ルでのコンサ−トを皮切りに3度目のアメリカ公演がスタ−トしているのですから,いかにレッド.ツェッペリンの人気がアメリカのロックンロ−ル界で根強いものであるか想像を絶するほどです。 (続く)



「ジミ−は偉大なギタリストである」

この時の状況をキャッシュ.ボックスはこんなふうに伝えてます。

「2枚目のアルバムのプロモ−トを兼ねて来米したレッド.ツェッペリンがいかに人気があることがこの日のステ−ジからはっきりわかった。
ボ−カル担当のロバ−ト.プラントはまさに,ロックのセックス.シンボルのようだった。彼のライオンのたて髪を思わせるカ−ルした長い髪,彼の力強い,かすれ気味の声に客席から時々,叫び声が飛ぶ。また音楽に合せた彼の腰の振り方や身体をねじったりする時にもさらに湧く。

ジミ−.ペイジは恐らくモダン.ミュ−ジックの分野でも最も偉大なギタリストの1人だろう。単なるギタリストというだけでなく,たとえばヤ−ドバ−ズの古い作品「ホワイト.サマ−」などをプレイする時にわかるが,ギタ−を通じていろいろなことをやって見せてくれる点は特筆したい。

大抵のロック.ギタリストは速弾きをするが,もちろんジミ−.ペイジも,それ以上の速弾きをするが,いつも正確な音を押さえている点も注目させられる。ステ−ジでの彼は,まさに悪魔のような迫力を持っていて,頭を下げたまま一心にギタ−を弾いたりする。すべての行動が,いつもまるで計算されているかのように全体にフィットしているのには驚く。

ドラマ−のボンハム,ベ−スのジョ−ンズの2人もジミ−とロバ−トのひきたて役としてだけでなく充分にそのたたき出す強烈なリズムで客席を完全にレッド.ツェッペリンの世界にひきづり込むのに成功している。ついにレッド.ツェッペリンはアメリカに上陸してしまった感じだ」

このステ−ジの様子からも,ある程度レッド.ツェッペリンの人気の秘密がうかがえますが,ひとつだけ,はっきり言えることは完全に見せるグル−プであるということです。それが1年に3回ものアメリカ公演を実現させた本当の秘められたパワ−といえるでしょう。

第3回目のアメリカ公演は11月6日〜8日サンフランシスコのウインタ−ランドでのコンサ−トを最後に打ち上げ,イギリスに帰ってますが,この頃には早くも彼等の2枚目のLP「レッド.ツェッペリンU」が発売2ヶ月足らずでRIAA公認のゴ−ルド.レコ−ドになり,アトランティック.レコ−ドからは200万ドル以上売り上げたということでプラチナ.レコ−ドまで授与されています。



「プレスリ−の姿を70年に再現している」

レッド.ツェッペリンの魅力は前に引用したカ−ネギ−.ホ−ルでのステ−ジの様子からも推測出来ますが,思い切って,こんなふうに言ってみたらさらに実感が湧くかもしれません。

つまり,レッド.ツェッペリンは1950年代のロックンロ−ル歌手エルヴィス.プレスリ−の姿を1970年代に再現したものであるということです。スタイルは違っても,根本的な精神,つまり完全にロックのセックス.シンボル化,大衆の目を前提とした見せる音楽としての姿勢を大切にしていることは,1950年代のエルヴィス.プレスリ−に酷似していると思うのですが。。。。。

しかもレッド.ツェッペリンのレコ−ドにはエルヴィスがそうであったように,その姿勢がありありと表現されています。この文章の初めにも少し述べましたが,レッド.ツェペリンは大衆との関係で最大限の妥協を計算し,決して自己満足に走ることなく,また逆に,コマ−シャル化に徹する危険性をも充分に避けているのは,たとえば自己満足型のジェフ.ベックや大衆過剰意識型である,一時のドア−ズやジャファ−ソン.エアプレ−ン達と大いに異なる点といえるでしょう。

1枚目のアルバムより2枚目のアルバムで,より強力に,この姿勢は打ち出されていますが,その結果,ご存知のように1枚目より2枚目の方が良い出来という一般の評価になっているわけです。

確かにレッド.ツェッペリン.セカンドでは,すべての曲が必ず一箇所は聞かせどころを持った構成になっている点は,感心させられるでしょう。その聞かせどころは主にプレイなどによる間の取り方,そしてもうひとつリフの使い方にあるわけですが,その最も典型的な例が「ホ−ル.ロット.オブ.ラブ」といえるでしょう。リフを効果的に使ったたたみこむようなイントロのリズムと間の取り方は独特の魅力に溢れています。

ジミ−.ペイジのギタ−.テクニックは,たとえばエリック.クラプトンやマイク.ブル−ムフィ−ルドといった連中ほど,とぎすまされたシャ−プさはありませんが,反面非常に間の取り方が効果して,とても人間味のあるものとなっているといえるでしょう。

またもうひとつ,レッド.ツェッペリンの魅力のひとつとなっているのはボ−カル担当のロバ−トの存在。
彼の唱法はまさしく,50年代のプレスリ−に共通するエネルギ−を持ち,感覚的には全く今日的なものを持っている事実は他のグル−プと較べて,ひときわ目立つ存在にしている最大の原因かもしれません。

今,早くも彼等の4回目のアメリカ公演が3月23日からスタ−トしていますが,すでに各地での公演スケジュ−ルはぎっしり。またまたセンセイショナルな話題を提供することでしょう。 (終)



*桜井ユタカ氏について・・・この頃はまだロック批評もされておられたようですが翌71年には黒人音楽であるR&Bを主に批評されておられました。私事で恐縮ですが氏は非常に洞察力が鋭く独特の自論を持った人。若き頃,R&Bのレコ−ド買う時は音楽誌に載った氏の文を何かと参考にさせていただきオ−ティス.レディング,ソロモン.バ−ク,クラレンス.カ−タ−,アレサ.フランクリン等,国内盤アルバム解説は非常に丁寧で,無駄なく,誰が読んでも解りやすく,この人も3拍子揃った批評家。



 

                                                         

       

 

1. 別冊「クロスビ−ト」 THE DIG . JUNE / JULY 1995 NO.1
これは比較的新しいですね。内容はZEPとスティ−ブ.マリオットの特集です。

2.LED ZEPPELIN 永遠の詩

1991年に出版されたZEPの書籍です。 恐らく現在は絶版かもしれません。もし絶版なら古本屋でコマメに探しましょう。
  今まで彼等についてはいろいろな本が出版されましたが,どうも内容が今イチと思えるものもあったことは事実。
  本書は個人的に多少不満はあるものの,これならZEP初心者の方々にも安心してオススメ出来ます。
  それに各アルバムや曲の解説,彼等の年表,ディスコグラフィ−,ソロワ−ク,ブ−トリスト, また68年から始まったライブ記録も明確に表記。
  もしもボンゾが亡くならなければ続いていたであろう1980年11月15日シカゴスタジアムまでのツア−スケジュ−ルまで載ってます。
  ましてや年代順に完璧に捉えている点で資料的にも必読の一冊。

3.ニュ−.ミュ−ジック.マガジン 1976年6月号 ZEP特集です。

4レコードコレクターズ 1992年8月号 特集 ザ.ヤ−ドバ−ズ



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