熊のプーさんとハリーポッターとローリングストーンズとちょっとZEPの旅

-2003年7月-

ハマースミスの街並み

序章

1年前。
私がイギリスに旅立つ朝、駅に行く前に娘を学童保育に連れて行ったのですが
話しかけても殆ど返事がありませんでした。

旅行中、そのことはずっと頭にありましたが
帰国した私を駅に迎えに来た娘は、母の顔を見るなり、泣き出しました。
私がウェールズのラグラン城で剣を振り回していた間、
この人は淋しさに耐えていたのだなあ・・・・

と、思わず私の口から出た言葉は「来年はママと一緒にイギリスに行こうか。」
この発言は、旅行会社に二人分の旅費を支払ったとき、おそろしく後悔しましたが
彼女にとっては一生の思い出となる有益な旅となるでしょう(と、自分に言い聞かせる)・・・

「起動・共鳴・氷砕 砕け散るまで戦え!」のコピーで封切りされた「ゴジラvsメカゴジラ」
2002年冬、再度現れたゴジラに対抗すべく
時の総理大臣は自らの政治生命を賭けてメカゴジラ開発のプロジェクトを断行しました。
多くの犠牲を払い、壮絶な戦いを繰り広げた挙句、
何とラストシーンでゴジラは負けを認め、背中を向けてすごすごと逃げるではありませんか!
それを追うこともせずに見送るメカゴジラと操縦士のお姉さん。
「こらー!砕け散るまで戦わんかいっっ!」
私は怒りに燃えました。
しかし前作で同時上映「とっとこハム太郎」のファンの子どもが「ゴジラ」を見て泣いたため、
今回も同時上映であることから、小さな子どもに配慮したらしいです。

やはり「泣く子と地頭には勝てない」のだ、へけ。

 

7月27日 福岡、成田 晴れ

娘は物心ついてからの飛行機は初めてで出発前の福岡空港では興奮気味でした。
この日の福岡空港ではロビーでホークス戦を中継していました。
まだ1回裏だというのにホークス・ダイハード打線は打つわ打つわ
11点を叩き出していました。
それから飛行機に搭乗しましたが、
私の旅立ちを祝福してくれるがごとき、素晴らしい試合でした。(結局試合は26点で勝ち。記録ずくめの試合だったようです)
待ち時間、娘は動く歩道を行ったり来たりして遊んでいました。

さすがに海外旅行も3回目になると慣れたものです。
羽田に着いたらリムジンバスに乗り、成田に向かいます。
娘にとってはバスからですが初めて見る東京、初めて見る東京ディズニーランドです。
ディズニーランドを通る時は「いきたーい!」を連発してました。
成田からはホテルのお迎えバスで、そつなく前泊のホテルに行けました。

 

7月28日 成田くもり ロンドンくもり

この日の朝は、仕事に行くこともなく、早朝レスもないので
ゆっくり寝て過ごす予定でした。
しかし、予定は朝4時過ぎに私の顔面に落ちてきた娘の足で、あっさり崩れてしまいました。

1年ぶりに乗ったBAです。娘がいる手前、タダ酒もハーフボトル1本で我慢しました。
しかし連れがいると疲れにくいものです。疲労の一番のピークの時は、娘の持ってきたゲームボーイをさせてもらい
足の痛みを切り抜けることが出来ました。
12時間のフライトの後、ヒースロー空港に着きました。

イミグレでは、今回は型どおりの質問の他に「彼女はあなたの娘か?」という質問があったぐらいで
恙無く通過できました。
2年前初めてここに来た時は大変ビビリましたが
「イミグレ、恐れずに足らず!」
思わず勝利宣言を出したくなりました。

ヒースロー空港にはJ○Lパックの現地の社員が迎えに来てくれて、ホテルまで送ってくれただけでなく
ホテルでチェックイン、部屋のチェックまでしてくれました。
ホテルはハマースミス駅の近く。
そう、ハマースミスといえばHAMMERSMITH ODEONやHAMMERSMITH PALAISが思い出されます。
このライヴ会場を見るのが旅行前から楽しみでした。

ホテルで一休みした後、出かけました。
ホテルの前の公衆電話でミジーさん宅に無事到着した旨、お知らせしました。
そして地下鉄のピカデリーラインに乗り、ピカデリーサーカスに行きました。
オプショナルツアーの集合場所を確認するためです。
場所を確認した後、屋台のアイスクリーム屋さんでアイスクリームを買い、エロスの像の下に座って食べました。
エロスの像ではスコットランドの民族衣装を着たおじさんがバグパイプを演奏していました。

エロスの像

「Where is toilet?」
旅行中、この言葉をよく使いました。
ロンドンの街は日本ほどトイレは多くありません。
それがピカデリーサーカスのどまん中で
唐突に「う○こ」と言われるのはつらいものがあります。
娘の手を引いて探し回った後みつけたトイレは有料でした。
トイレの入り口で20ペンスいれないと入れないようになっています。
そしてトイレには制服を着た女性が管理のために勤務していました。
お金がもったいないので娘だけトイレに入れたのですが
手洗いの時、水の出し方が分からずにいたら、この女性が出してくれたそうです。

それからホテルに戻って、レストランのビュッフェで夕食を取りましたが
「まじゅい・・・・」
いくら便利でもここで食事を取るのはやめようと思いました。

 

7月29日 くもり時々雨

今日はオプショナルツアーに行く日です。
午前中はロンドン半日観光。
朝食後、すぐに地下鉄でピカデリーサーカスの集合場所に行きました。
半日ツアーは以前行きましたが前には行かなかったロンドン塔やタワーブリッジに行けるので
けっこう楽しみにしていました。
このツアーの場所がかわったのは「車と鳩が嫌いな」ロンドン市長の政策「交通渋滞税」等のためだそうです。
確かに以前に比べて車が減ったような感じがしました。

ウェストミンスター寺院を通りセントポール大聖堂へ。
セントポール大寺院は高さ111m、幅約74m、奥行き157mの大建築で
1666年のロンドン大火災ですっかり消失。その後、35年の工期を費やして今の大聖堂が完成しました。

大聖堂   大聖堂の前で

以前テムズ河対岸のポイントに降りることが出来たビッグベンは横を通るだけでした。

ビッグベン

歌になっていながら大変地味な橋、ロンドンブリッジを渡り

全く目立たない橋、ロンドンブリッジ

巨大な観覧車ビッグアイを見ながら進み、次にタワーブリッジを渡りました。

ビッグアイ

タワーブリッジはテムズ河を往来する船の大型化に伴い、必要な時に上げ下ろしのできる橋の建設のため
当時のお金で£118万4000の費用と8年の歳月をかけて1894年に完成しました。その当時は1日50回ぐらい上がった橋も
今では週3回ぐらいしか上がりません。

タワーブリッジ

そして駐車場を設置してあるロンドン塔に到着。車を降りました。

ロンドン塔

ロンドン塔は1066年にウィリアム征服王がロンドンを守るために要塞を建設したことから始まります。
王家の居城として使われたこともありますが、長い間、牢獄として使われ、処刑執行場として群集が死刑執行を見るために集まった場所でした。
ここでたくさんの人が命を落としました。
この時代に生きた一人が「レディ・ジェーン」。自然とストーンズの曲を口ずさんでいました。

最後の見学地はバッキンガム宮殿です。
ここでは衛兵のパレードを一番前で見ることが出来ました。

バッキンガム宮殿 騎馬警官 パレード

以前はバッキンガム宮殿を見学している間はバスは道路に停車していたと思うのですが
今はそれが出来ないので、一旦客を降ろしたバスは宮殿の付近の道路をぐるっと回って時間をつぶすのだそうです。
しかもパレードのある時間は観光客が殺到し、たくさんのバスが周辺をぐるぐる回っているので集合時間は渋滞になっているようです。

ロンドンツアーが終わるとピカデリーサーカスに戻り、マ○ドナルドで昼食を買い
エロスの像の下で食べました。

午後はオプショナリーツアーの「ウィンザー城見学」です。

城下町の馬車     昔の衣装を着たお姉さん

イングランド1大きな居城では雨が時々強く降りました。寒い・・・。
娘はこの城がかなり気に入ったようで、いろんな箇所の写真を撮っていましたが

  ウィンザー城

城の中の豪奢な家具類が大変羨ましそうでした。
最後は衛兵さんと2ショットの写真が撮れて大満足でした。

衛兵さんと

ピカデリーサーカスに戻るとハムレイズというおもちゃのデパートに行きました。
ハリーポッターグッズが充実していた他、ハム太郎の人形や遊戯王カードなんてのもありました。
そこで娘は友達へのお土産を買いました。
ツアー終了後に
三○のレストランの割引券をもらったので、夕食は三○へ行きました。ここは日本食だけで客は日本人だらけでした。

ピカデリーサーカス駅のエスカレーターの付近で、よくストリートミュージシャンを見かけましたが、
この日は竪琴を奏でるおじさんでした。
娘がお金を置いていました。

 

7月30日 くもり 時々 雨 のち 晴れ

今日は1日ツアーで「熊のプーさんのハートフィールド村とホワイトクリフ、ライ村」の旅です。
南イングランドをぐるりと回るツアーなので集合時間も7時45分と早いです。
6時過ぎに朝食を運んでもらい、6時50分過ぎにはホテルを出ました。
もう少しゆっくりしてもいいのですが、必ず地下鉄の自販機でもたついてしまうのです。
最初から窓口で買えばいいものを、やっぱり地元の人に混じって切符を買いたいのですね、これが。

ピカデリーサーカス駅のホーム

バスは8時に出発。2時間ほど揺られてハートフィールド村に着きました。

ハートフィールド村の牧場の馬    コッチフォードという字を見つけて撮りました

ここはローリングストーンズのブライアン・ジョーンズが亡くなるまでの時期を過ごしたところで、
「熊のプーさん」の作者ミルンの家で有名なコッチフォード・ファームに住み、その家のプールで遺体が発見されました。
100エーカーの森の中を歩いていきました。そして「プー棒投げ橋」にたどりつきました。

プー棒投げ橋   きれいな川でした

ブライアンは幾度となくこの道を歩き、村のパブまで行ったのだろうな・・・・
コッチフォード・ファームは今は個人所有になっているのでツアーでは訪ねることは出来ませんでした。
しかし、村に一軒あるお土産屋さんに行くと、コッチフォード・ファームの写真の絵葉書がたくさんありました。

絵葉書のコッチフォード・ファーム   お土産屋さん

コッチフォード・ファームのプールを改装するため、プールのタイルを売りに出すという情報があったのですが
村の人はそのことを知りませんでした。

それからバスはセヴンシスターズに行きました。見事な景観の数々を見ることが出来ました。

セヴンシスターズ・カントリー・パーク(青く見えるのは小川です)

ここはドーヴァー海峡。
特にバーリングギャップの白い断崖絶壁はすごかったです。自殺の名所らしく「飛び込む前にここに電話しろ」と
電話機が設置していました。

*Marieさんの情報より
Quadropenia」邦題「さらば青春の光」はThe Who のアルバム「四重人格」をベースに作られた映画ですが、
主演のスティングがモーターバイクで飛び込むシーンはここで撮られましたました。

バーリングギャップ

ロンドンに来てから、毎日最高気温21度くらいと、けっこう寒かったのですが、
この寒さの中で海水浴をしている人が少なからずいるのには驚きました。
寒いのが苦手な私は見ただけで風邪をひきそうです。
その付近では一軒だけあるレストランで昼食を取りました。娘はキッズ・メニューのフィッシュ&チップスを食べました。

それから海岸線を通り、ライ村へ。
南イングランドの海沿いのリゾート地はリタイアした小金持ちの人が多く住んでいるのだそうです。

南イングランドの美しい風景

若者は南ヨーロッパあたりに行くのだそうです。
ライ村は石畳ときれいな町並み。花がたくさん咲いていました。ここはアンティックのお店が多いことで有名だそうです。

石畳の通り    花が綺麗

娘は花よりもお散歩中のアフガン・ウルフ・ハウンドという大きな犬が印象的だったようです。

ロンドンに着いたのは7時を過ぎていました。
娘はエロスの像で鳩に餌をやるのを楽しみにしていましたが、すでに鳩はいませんでした。
昼食を取ったのが遅く、あまりお腹が空いてなかったので、屋台のホットドッグ屋さんでホットドッグを買いました。
屋台のお兄ちゃんが「日本から来たのか?」と聞くので、「yes」と答えると
お兄ちゃんは両手を合わせて「もしもし」と言いました。
思わず笑いましたが、どう突っ込んでいいか分かりませんでした。
エロスの像の下でホットドッグを食べました。お兄さんがバイオリンを弾いていました。

エロスの像の下

ホットドッグも食べ終えて、さあ帰ろうと歩き出した途端、ピカデリーサーカス周辺が騒がしくなりました。
バスから降りた時も妙に警官が多いのが気になっていましたが、
クラクションの音が頻繁になり、人がたくさん集まっているのです。
道いっぱいに100人以上はいると思います。ローラースケートを履いた人たち、中には自転車に乗った人も混じっていました。
その人たちがいっせいにスタートしてどこかに行ってしまいました。
私と娘はあっけに取られてしまいましたが、これは最近ロンドンでお騒がせのローラースケート軍団だそうです。

私は以前オプショナルツアーをダブルデッカーという二階建ての赤いバスで回りました。
今回もきっとダブルデッカーだろうと思い込んでたので、娘に「赤い二階建てバスに乗れるよ」と旅行前に言っていました。
ところがこのツアーは専用のバスがあって、ダブルデッカーではなかったのです。
そのためダブルデッカーに乗れるのを楽しみにしていた娘のために、帰りは路線バスのダブルデッカーに乗って帰ることにしました。
路線バスに自力で乗ったのは初めてだったのですが、幸いハマースミスは終点になるので「ハマースミス行き」のバスに乗ればよい、
ということがわかり安心しました。
バスに乗り込み二階に上がると、車掌さんが運賃を取りに来ました。
バスは地下鉄よりも安いことが分かりました。時間さえ気にならなければ、眺めも良いしバスを利用するのもいいなあ、と思いました。

ダブルデッカーのハマースミス行き(実際は旧式のバスに乗りました)

 

7月31日 くもり 時々 雨

今日はいよいよミジーさんと息子さんと合流する日です。
10時にミジーさんが迎えに来てくださいました。
1年ぶりのミジーさん、一段と成長した息子さんでした。

まずはキングスクロス駅へ。
ここは「ハリーポッター」のハリーが9と4分の3番線のホームからホグワーツ魔法学校に向けて旅立つシーンが撮影されました。
駅の中は映画のシーンそのままの光景がありました。

駅の構内

ハグリットとハリーが歩いた陸橋。古めかしい駅の柱。

  陸橋     駅の柱

9と4分の3番線の表示板を張っている壁がありました。

9と4分の3番

次にオーストラリア大使館。この大使館は魔法使いのための銀行、グリーンゴッツ銀行の撮影が行われました。
現在は中に入れないのですが外側からの写真撮影はOKということで中の様子はガラス越しに撮り、そして出入り口の写真を撮りました。
もちろんゴブリンはいませんでした。

 出入り口      中の様子

続いてレドンホール・マーケット。ここではダイアゴン横丁の撮影が行われました。

ダイアゴン横丁    「漏れ鍋」の入り口

ここはロンドンのCityの中にあり、ちょうど昼食時でランチを取りにきたビジネスマンで溢れていました。
よくこんな所で撮影ができたものだなあと感心しました。

ここからロンドンを離れ、ダートフォードの町に向かいました。
途中マ○ドナルドに寄りました。何と「キッズミール」を買うと、おまけに「とっとこハム太郎」のキャラクターのマスコット人形がもらえるのでした。
娘は「リボンちゃん」をgetしました。
ハム太郎がそんなに人気だとは驚きました。
マ○ドナルドと同じ敷地内にペットショップがあり、娘は日本で待っているハムスターとシーズー犬にお土産を買いました。

ダートフォードはロンドン近郊の街で閑静な住宅街でした。
最初に行ったのは、今回の旅行で一番行きたかったダートフォード駅です。

ダートフォード駅

入場券を買ってホームに入りました。

ダートフォード駅の入場券    ここでキースとミックが再会します

ここでキースがミックに声をかけたのだなあ・・・・
ちょっとさびれた感じが、何とも素敵な駅でした。
私の頭の中では「ラヴ・イン・ヴェイン」が流れていました。

そしてミックやキースが育った家。

   ミックが育った家

キースが生まれて数年過ごした所(今はお店になってました)   キースが育った家

二人が通った小学校。

ウェントワース小学校の門     広い校内で二人は遊んでいたかも

ミックが通ったグラマースクールの敷地内には何と「ミックジャガーセンター」がありました。

グラマースクール   ミック・ジャガー・センター

ここはミックがグラマースクールの生徒や、地元の人のために音響設備の整った施設を建てたのだそうです。

2000年オープン        立派な音響設備

ちょうど夏休み中で入り口は鍵がかかっていましたが、ベルを押すと中から職員が出てきて、施設に入れてくれました。
ミックジャガーの大きなパネルが1枚飾っていました。

ミックのパネル

落ち着いた雰囲気の町。ごくごく普通の家に育ち、運動場の広い小学校に通った二人。
ミックはともかく、キースはどうやって不良になったんだろ?

それからロンドンとダートフォードの間にあるシドカップに行きました。
キースはこの町の美術学校に通ったそうですし
何といってもここはジョーンジーの出身地です。
ジョーンジーについては所縁の地の情報が大変少なく、とりあえず駅の写真を撮っておきました。

シドカップ駅

とっても地味な駅でした。

駅への階段   シドカップの街並み

「やっぱりジョーンジーらしいなあ・・・」と妙に納得しました。

そしてロンドンに戻り、ミジーさんお薦めのフィッシュ&チップスの店がパディントンにあるというので
そこに向かいました。
偶然パディントンにいたMOJOさんと合流し、一緒にお店に行って買ってもらいました。
ハマースミスのホテルに送ってもらってミジー家と別れ、部屋でチキン&シュリンプ&チップスを食べました。

 

8月1日 くもり 時々 雨

ミジーさんが10時に迎えに来る前に、ハマースミスの街を娘と二人で歩き回りました。
目的はHAMMERSMITH ODEONとHAMMERSMITH PALAISを見たかったのです。
HAMMERSMITH ODEONはZEPとしてはライヴはしていませんが、1979年12月29日に「カンボジアの人々のためのコンサート」に王子とジョーンジーとボンゾがゲスト出演しました。王子がソロで83年12月12〜13日、88年4月17日、90年6月4〜5日に演っていましたし、ジミーちゃんがアウトライダーツアーで88年11月24〜25日に演っていました。

*CUSTARD PIE さんからの情報で
HAMMERSMITH ODEONでは 1985年にTHE FIRM時代のペイジがポ−ルロジャ−スとLIVEやってます。

HAMMERSMITH PALAISはZEP関係はかかわりがありませんが、クラッシュ等ロックファンには馴染みの深いライヴ会場です。
HAMMERSMITH PALAISはホテルのすぐ近くにあり、地下鉄の駅からホテルに戻る時、道に迷って前を通ったことがあったので
すぐに分かりました。

HAMMERSMITH PALAIS

HAMMERSMITH ODEONは今はありません。他の会社に吸収されて
今は「ロンドン アポロ」になっています。

元HAMMERSMITH ODEON

迎えに来てくれたミジーさんと息子さんと合流し、出発。
ロンドン動物園に向かいました。
その途中、高級そうな住宅街を通りました。
ミジーさん「ここは有名な俳優さんなんかがけっこう住んでいます。」
ゆう「ミュージシャンで誰かいますか?」
ミジーさん「そこの裏には、ポール・マッカートニーが住んでいます。」
そうかあ、そこの裏には、ポール・マッカートニーがいるのかあ・・・・散歩かなんかしてないかな?
残念ながらポールは散歩はしていませんでした。

高級住宅街を抜けるとスタジアムがあり、
平日の午前中だというのに、働き盛りの人(ほとんど男性)うじゃうじゃ集まっていました。
ここではクリケットの試合があってるそうです。
この人たちは仕事はどうしてるのだろうか・・・。
イギリスで最も人気があるスポーツはフットボールやラグビーよりもクリケットではないかと思います。
BBCニュースのスポーツコーナーでも扱い方が違うのです。

いよいよロンドン動物園です。ここではハリーポッターの動物園でのシーンが撮影されました。
順路にそって、いろんな動物を見ました。

イノブタ   キリン   オカピ

ヤギの仲間?         みんなでヤギさんを撫でています

また園の中にはメリーゴーランドなどの施設もあり
子どもたちは楽しく遊んでいました。

トランポリン   メリーゴーランド

園内のレストランで昼食を取りました。
イギリスでは子どもが入れないレストランも多く、子ども連れだと制約を感じたものです。
しかし子どもがわんさと集まっているレストランに行くと納得できました。
つまり、イギリスの子どもは、日本の子ども以上にレストランでは賑やかです。

SHOPに寄り、動物に関係あるグッズを見ました。娘はここでペンを買おうとしました。
私は娘が自分のものを買う時は必ず一人でレジに行かせて、少し離れたところから様子を窺うようにしていました。
その時レジのお兄さんが娘を抜かして横から入った人の清算をしようとしていました。すると娘の次に並んでいたイギリスのお母さんが
「彼女が先だ。」とレジのお兄ちゃんに言ってくれました。
私がそのお母さんにお礼を言った後、娘が「イギリスは優しい人が多いねえ。」と言いました。
これまでも、地下鉄の切符の自販機でもたついている私に教えてくれたお姉さん。
出発しようとする「ハマースミス行き」のバスに突進してくる私たちを見て、バスに向かって「ヘーイ!」と大声を出してくれたおじさん。
バスの座席に私が傘を置き忘れて降りていたら、後ろから降りてきて傘を届けてくれたおじさん。
彼女の心にはイギリス人は優しくて親切だというイメージが焼きついたことでしょう。

最後に「爬虫類館」に行きました。

爬虫類館

ここは「ハリーポッター」で動物園での蛇とのからみを撮影した場所です。
撮影に使われたコーナーは上のほうに「ハリーポッター」のパネルがありました。

撮影に使われたコーナー   今はこんな蛇がいました

こうしてロンドン動物園で夕方まで遊んだ後

トラの保護を訴えるトラさん

ミジー邸に招待されました。
日本から遊びに来ているミジーさんのお母様の手作りの夕食(美味しかったです)。
MOJOさんを中心にミニライヴ。
その中で娘とミジーさんの息子さんがきょうだいのように遊んでいました。
昨日知り合ったばかりなのに、息子さんは「姉ちゃん、姉ちゃん」と娘を呼んでいました。
とても楽しいひとときでしたが、時間はあっという間に過ぎてしまうもの。
10時を過ぎていたので、おいとますることにしましたが、息子さんが大声で泣いてしまい、
後ろ髪をひかれる思いでホテルに戻りました。
ミジー家の皆さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 

8月2日 晴れ

イギリスに来て朝から晴天だったのは初めてです。
この日は土曜日で朝から子ども番組をやっていたので、娘と見て過ごしました。
アニメで主人公たちが映画を見るのですが、その映画は怪獣が日本を襲うというもので
なぜか富士山のふもとにある町が襲われていました。
その町は英語の表示がやたらと多いのですが、日本語のビルの看板もところどころありました。
ビルの大きな看板に「玉子」と書かれているのには笑いました。

10時過ぎに旅行会社の方が迎えに来てくれました。
車でヒースロー空港に行き、早めにチェックインを済ますとヒースローのマ○ドナルドで腹ごしらえをしました。

娘に感想を聞きました。
「また、Tちゃん(ミジーさんの息子さんのこと)と遊びたい」
「一番思い出深いのはロンドン動物園」
「一番おもしろかったのは(MOJOさんの歌う)『アルプスの少女ハイジ』」

私の感想は
「ジョーンジーの所縁の地に行けてよかった」
「一番思い出深いのはダートフォード」
「一番キレかかったのはMOJOさんの王子の歌まね(^^)」

まだイギリスにいたい気持ちを引きずりつつ、親子でBAに乗り込みました。

 

8月3日 成田、福岡 晴れ

12時間のフライトの後、無事に日本に着きました。

「日本では、信号守らなきゃいけないねー。」と娘に言いました。
ロンドンでは赤信号でも、車が来なければ皆、横断歩道を渡っています。
娘はこのイギリス人のアバウトさがすっかり気に入っていました。
世界にはいろんな人種、いろんな宗教、いろんな価値観が存在している。
ロンドンの街で生きる人々を通じて、それを肌で感じただろうと思います。

バスツアーで知ったことですが
イギリスの会社では遅刻してもあまりうるさく言われないそうですし(ガイドさんの話)
バスガイドは客の方を向くのは安全上禁止されています。
バスドライバーには45分の休憩時間を取らせなければいけません。
そのために「帰りは渋滞に遭うと思いますが、我慢してくださいね。」と説明がありました。
ロンドンの所々にはタクシードライバーがお茶をするための小屋がありました。
私も日本で働く人間として「ちがうなー」と思うことが多かったです。

それにしても私はイギリスがとても好きなのです。
私の好きな国を娘に見せることが出来てよかったです。

イギリスでは最高気温21度ぐらいの日々でした。
それが日本に着いた途端最高気温35度の猛暑です。
やはり夏はイギリスに限ります。(その後イギリスが猛暑に襲われるとは、当時知る由もありませんでした)

今までお付き合いくださいましてありがとうございました。

 

 


 

 

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